- Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622083498
作品紹介・あらすじ
「隣人が世界内に存在するのは、決して偶然として理解されてはならない」-社会のきずなの存在論的根拠を問うた、アーレント政治哲学の出発点。
感想・レビュー・書評
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ハンナ・アーレントの博士論文とのこと。古代キリスト教最大の理論家であるアウグスティヌスにおける「愛」の概念を分析することを通じ、「隣人愛」が彼においてどのように理論化されているのかを詳らかにした上で、その有意性を現代にも問いかけたアーレント政治哲学の原点の書であるとのこと。次の通り幾重にも理解を難しくする要素があり、自分にはなかなかの難物であったことをまずは「告白」しておこう。
解説にもあるが、本論文ではアウグスティヌスの神学教義を分析しながらも、神学的方法ではなく哲学的方法の枠内に留まる分析に終始しており、自分も宗教教義に対する哲学的説明にはしばしばその立ち位置と土台を見失うことしばしばであった。また、アーレントによれば、アウグスティヌスの「愛」の思想は不統一であり、その不統一の見解を本論文では縦横に論点を移しながら、あえて論理的つながりを説明しないままに論述する手法をとっていてこれがまた誠にやっかいだった。
さらに、アウグスティヌス=アーレントの提示する「愛」の概念であるが、日本語に訳してしまえば「愛」なのだが、「善きもの」を絶えず欲求するものとしての「愛」(アモール)、神を追求する「愛」(カリタス)、神により秩序付けられた「愛」(デイレクテイオ)、そして一般的な「愛」に近いと思われるリーベと、その「愛」の使い分けに馴染みが無い者にはこれまたややこしい限りである。いま本書でアーレントが問題にしている「隣人愛」の有意性は、「愛」(リーベ)→「愛」(デイレクテイオ)という論理的な発展の検証の中で導き出そうとしてるもので、段階を踏んだ理論の不統一をどのように整合化してみせるのかはアーレントの腕の見せ所であったことだろう。
「善きもの」を追求する「欲求としての愛(アモール)」はいづれ「死」によって失われるが、永遠としての絶対的未来がそれを克服してくれる。それが神を追求する「愛」(カリタス)というものである。そして、神を愛し追究し続けることによって、神へとその他への愛(自己愛、隣人愛など)は階層的に共存可能な「秩序づけられた愛(デイレクテイオ)」へと導かれる。
一方、人間=被造者は、現在だけではなく「記憶(メモリア)」を通じて過去と未来を統合して神=創造者とともに生きるべく創造者への「立ち帰り」を行うことで永遠を生きることになる。しかしながら、創造者と被造者が永遠の名の下に直結してしまうと、同じく創造者によって製作された被造世界は、このままでは仮りそめに住むだけの「荒野」になってしまい、創造者から与えられたはずの世界を愛することができない。逆に「世界」を愛し過ぎると人間は世界を「貪り」、人間がつくった「習慣」を重んじるようになるが、それをさせないものが「良心」であり、これを「選択」した人間のみが「神の恩寵」=神の「愛」(デイレクテイオ)を受けることができるのだとする。
「隣人」も神の創造物のひとつとして愛さねばならないが、神への不断なる「立ち帰り」は各人それぞれの創造者との直結を強めてしまい、論理的に立ちゆかなくなってしまう。ここでアーレントが持ち出した論理が「社会的愛」なのである。神学的に人間が立ち帰る起源としての神と同時に、人間の歴史的起源としてのアダムという共通起源が、「隣人」への「愛」となって共通に生きる者としての根拠となるということである。
このようなアーレントの論理構築に対し、自分には最後の「社会的愛」という論理転換はかなりの唐突感があった。アウグスティヌスの不統一を何とか整合的に理解しようというアーレントのあがき(?)のようにも思えるが(笑)、その唐突感は「社会的愛」の論理展開不足に一因があるのと同時に、神学教義に対して人類の可能性を哲学的に問いかけて融合しようとした方法論にも一因があるように思われる。だが、指導教官であったヤスパースの言う通り本論の結語は未完であったかもしれないが、これは、これ以降のアーレントの半生をかけたテーマの一つとなっていくのだろう。
それにしても愛(アモール)から愛(カリタス)への昇華は良いとして、愛(デイレクテイオ)となり、隣人にも現世ではなく神の下での永遠性の共有を求めるその教義の行く末には(アウグスティヌスの理論を超えて)空恐ろしいものをおぼえた。 -
3.89/67
『ヤスパースの指導と、ハイデガーの影響のもとに書かれたこの博士論文は、ナチスの政権掌握によって亡命を余儀なくされたアーレントが、つねに携え、長い年月をかけて手を加えつづけた一冊である。このデビュー作のなかには、成熟期の政治哲学にみられるものがすでに胚胎し、のちの思想的展開の豊かな基盤ともなっていることにまず驚かされる。
政治的・道義的に急速な転換をみた1920年代のドイツで、アーレントはアウグスティヌスという哲学史上・神学史上の巨人と、愛の概念について、社会のきずなの存在論的根拠について、さまざまな角度から対論を試みている。共同性の存在論を問うことで、自己と隣人と世界に対する、みずからの魂の位置づけを探求するかのように。
1929年にドイツで刊行された初版本を底本とし、のちに本人の手で加えられた注釈や修正をいかした英語版についても言及した、訳者による詳細な解説に加えて、解説「アーレント政治思想の展開と著作案内」を付す。』
(「みすず書房」サイトより)
原書名:『DER LIEBESBEGRIFF BEI AUGUSTIN』
著者:ハンナ・アーレント (Hannah Arendt)
訳者:千葉 眞
出版社 : みすず書房
単行本 : 312ページ -
アウグスティヌスの愛の概念
(和書)2012年09月22日 21:33
2002 みすず書房 ハンナ アーレント, Hannah Arendt, 千葉 真
数年ぶりの再読です。アーレントさんの思考を辿るように読むのがお勧め。決して結論を出したいわけではなく、思考そのものに可能性を感じるような本です。
2009年03月17日 18:42
詩を読むように読みました。
愛の概念に於ける諸関係を吟味していくところが哲学と詩のような言葉の紡ぎによって形成されているところが良かったです。
神学と哲学、詩・文学の諸関係と愛の概念の諸関係がリンクされていてそう言う批判がとても心地よい作品でした。
なるほどそれは慧眼ですね。
アーレントの場合は「愛」(カリタス)の時点で、それは「選別」である、...
なるほどそれは慧眼ですね。
アーレントの場合は「愛」(カリタス)の時点で、それは「選別」である、としていました。
アーレントの本は、1冊か2冊読みましたが、私には、よく理解できませんでした。
アウグスティヌスも読ん...
アーレントの本は、1冊か2冊読みましたが、私には、よく理解できませんでした。
アウグスティヌスも読んだのですが、やはり、よく理解できませんでした。
愛(アモール)
愛(カリタス)
愛(デイレクテイオ)
こんなにいろんな愛の考え方があるのですね。驚きです。
コメントいただき、ありがとうございます!
正直なところ私も内容を忘れていまして、改めて自分...
コメントいただき、ありがとうございます!
正直なところ私も内容を忘れていまして、改めて自分のレビューを読んでみて、いろいろと愛の考え方があるんだなあと読んだ当時の感慨に浸ってしまいました。(笑)
ま、一応どれも「愛」ということですが、途中とか最後のやつなんかは日本語的にはもっと合った言葉があるんでないかな。
「盲信」とか・・・。
今日というか昨日処刑されちゃった6人なんかはあるいはその類でしたかね・・・。あーこわっ!?