- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622087113
作品紹介・あらすじ
「どうしても今晩のうちに出かけていって、あなたの心に語りかけずにはいられません」。マールブルク大学の教授ハイデガーは、入学まもない女子学生に一目で恋をし、1925年2月、この最初の手紙を書いた。
本書に切り取られた時間は50年。その間、三つの「高まり」の時期があり、本書もそれに沿って構成されている。第一期は最初の恋の体験。それはおずおずと内気だったアーレントにとって、「カプセル」内で孤立する自縛からの解放であり、ハイデガーにとっては、「デモーニッシュなもの」に掴まれた体験で、彼はこの力を『存在と時間』の執筆に創造的に活用することになる。
第二期(再会)は、時代の政治状況に起因する20年の休止期間を経て1950年から数年。とくにハイデガーの手紙は、この時期の彼の伝記的事実にかんする宝庫である。
第三期(秋)はアーレントの死まで、最後の10年。「人生からの引退」が双方の心を占め、基調底音は「静けさ」であった。アーレントの『精神の生活』はこの時期に構想されている。
ふたりにとって、「仕事」と「人生」がどれほど強く綯い合わされていたか、本書はそれを納得させてくれる。さらに、「判断の国の女王」(ルッツ)と「思索の国の王」のダイアローグは、20世紀精神史のなかでモザイク状だったふたりの肖像を完成させ、ヤスパースやメルロ=ポンティなどとの関係と布置についても、さらに多くを明らかにするだろう。
感想・レビュー・書評
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知りたい人たちの、一番興味のない部分だった。
アーレントもハイデガーも興味深く、それぞれ知りたい内容の専門家たちだ。
その二人に共通するものがあるのか、その二人が共同で行ったプロジェクトがあるのかと紹介を読まずに読み始めてひじょうに後悔した。
ハイデガーとアーレントが恋愛関係にあったというのは、全く興味がない。
それどころか、教授と学生であり、不倫関係であり、ハイデガーが欲しい要素をとにかくアーレントがひたすら注ぐという図が気持ち悪くて仕方なかった。
アーレントの言葉にすれば「誠実」とのことだが、そんな高尚で清らかなものではないだろう。
個人としては、ハイデガーに都合の良い「搾取」が行われ続けたに過ぎない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
笑ってしまった
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1889年生まれのハイデガーと、1906年生まれのアーレント。マールブルク大学の教授と学生として出会い、恋に落ち、それぞれの哲学的研究に没頭する。その後しばらく離れるが、四半世紀を経て再会したのちは、アーレントの死までその信頼関係が途切れることはなかった。彼らの人生において、お互いの存在がどれほど大きいものだったかが伝わってくる、膨大な量の手紙の記録。
前に読んだ『戦場のヨナス 漂白のアーレント』は、純粋に友情の物語だった。この本は、ハイデガーとアーレントの感情がより複雑に絡み合っていて、ドキュメンタリー映画を観ているような感覚に陥った。全体が三章に分かれていて、出会ってすぐ恋に落ちた激情の時期、四半世紀の断絶を経て再会し、かつての信頼関係を取り戻していく時期、そして双方が哲学者・思想家として十分なキャリアを積んで年を重ねた時期、という構成。最初から最後まで、アーレントのハイデガーに対する尊敬は揺るがず、ハイデガーがアーレントを本当に大切に思っているということも一貫して伝わってきた。特にやっぱり最初のラブラブ期の手紙が一番読んでて楽しかったかな。“現存在”とかそういうんじゃなくて生身のハイデガー、ひとりの人間としてのハイデガーが自然な文体で紡ぎ出す言葉のひとつひとつがもうすでに詩のようで、ああこんなこと言われたいなあとか、アーレント幸せだっただろうなあとか、笑っちゃうくらい非本来的日常に頽落しまくるスタイルで読み切った。どんなに親しい相手であっても、こんなに長い手紙を何度も何度もしたためて、自分を理解してもらおうとしたり、相手を理解したいと願ったり、そういうことはなかなかできるものじゃない。第二次世界大戦をまたぐ複雑な時代に、ドイツ人とユダヤ人として生まれながら本当に稀有な関係を築きあげた二人。素敵だなあ。