狼は帰らず―アルピニスト・森田勝の生と死 (yama‐kei classics) (yama-kei classics)
- 山と溪谷社 (2000年11月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784635047135
感想・レビュー・書評
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ノンフィクション小説。
昭和を生きたクライマー。森田勝。
42歳という若さで亡くなるまでの、山に懸けた生き様を描く。
その時代、その境遇を除いては語れない。
母を早くに亡くし、奉公に出て働き、学校にも行けず、生きにくい世の中へ疑問を持った。自らの表現をどこに見出すか。若者たちの一部は荒れ、労働、暴力、政治活動と有り余る力を時代に向けて爆発させた。
そんな時代に森田は山を生きる場所とした。
絶対に真似できない。
懸命に生きていた彼であるが、山にのめり込みすぎて、仕事を続けることが出来ず、金が出来れば山に入り、余裕があれば遊びに使ってしまう。
周りから見れば、どう見ても人並み以下の生活の中で、自分の気の向くままに生きていた森田はバカに見えたのだった。
プライドも高く、山への妥協できない姿勢を他人にも強いた。
だが魅力があった。とてつもない魅力があった。
多くの人が離れて行くが、同じ数だけ人は畏敬の念を抱いた。
森田の山に懸ける姿勢は、どこか眩しく、男としての情熱を代弁しているようにも見えるのである。多くの登山家が、本音では彼の様に全てを投げ打って、山に打ち込みたいと願ったであろう。
私は『おいおい、おっちゃんそれは身勝手じゃないか』と感じながら読み始めたが、後半は『格好いいが、寂しい人』なんだ、と感じる部分が多かった。
山はなぜ、男達の野心を駆り立てるのか。命を懸けて成す、または果てる価値はあるのだろうか。無かったことに出来ずに、決して割り切れない事には妥協しない男の物語。精算することに拘り続けたその胸中とは。
山に生きた一人のクライマーの話だ。
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精一杯生きた人。
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the 山男。 取りつかれたように山に登り、散っていった。
なぜそこまでするのか?という疑問を持って読んではいけない。そういう世界に生きる人の話だから。
追悼のレクイエムだから。
1950年代から80年代にかけての、東京の山岳界の雰囲気が垣間見える本であった。
谷川岳をベースに大人数で席巻していた下町の社会人山岳会の存在。それはヒマラヤなどを攻める大学山岳会ベースの日本山岳会とは一線を画す存在だった。とか。
そのあたりの状況描写が非常に興味深かった。 -
神々の山嶺の良いエピソードがほぼ入っている。グランドジョラスの歯で登るのが事実だったとは驚愕。
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夢枕獏「神々の山嶺」の主人公、羽生丈二のモデルになったと言われている森田勝の生き様/死に様を描いたノンフィクションなんですけど、あまりにも人間くさい森田氏の羽生とのギャップに最後まで違和感をぬぐいきれませんでした。森田氏はフィクションの主人公などではなく最後の最後まで人間だったという当たり前の現実には、感動ではなく「こんな人であって欲しくなかった」という寂しさしか感じません。俺はヒーローの裏側なんて知りたくなかったのです。
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森田勝は純粋で子どものような人であった。
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「神々の山嶺」の羽生のモデルが本書の主人公の森田勝である。
この本は劇薬のような強烈な内容です。男なら読むべし!そしてそのパワーをもらうべし。
でも生き方はまねしちゃほんとにダメかも。相当な覚悟がないとこういう生き様は無理だし、中途半端にこういう生き様をするのが最もダメなのかもしれない。森田さんはとにもかくにも最後まで生き様を貫いた。