カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?

著者 :
  • 山と渓谷社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784635062947

感想・レビュー・書評

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  • 「行動観察から見えてくる動物の姿は世間一般で思われているイメージとは必ずしも一致しない」なるほど。
    カラス専門家が書いたから烏ネタ、鳥ネタが多のは仕方ないけれど書名の見かけ倒れは編集者?出版社?が悪い?
    知らなかったことも結構多かったけど業界でもわからないのか、著者が(調べてないから?)わからないのか、どちらだかわからない。索引とかあればネタ本として有効なのだが。新書ならともかく単行本として、この内容では出来栄えが雑で残念。

  • 動物の生態を紹介した上で、世間に浸透している言説がどのようにズレてるかを解説する構成。
    動物を愛する専門家としての自負あってのことだと思うし、ユーモラスで読んでいてわかりやすくはあるのだけど、槍玉にあがってる世間サイドの人間としては「や、よく聞く言説が本気で学問的に正しいとは思ってないスよ」とも反論したくなる。
    「人間、興味ないジャンルは恐ろしく低い解像度で満足しちゃってるのね」という自覚と、いつか使えるかもしれない話のネタがこの本の成果物。
    読み物としては面白い。

  • S図書館
    ブクログきっかけ
    動物行動学から事実に基づく性格や行動

    目次
    ○見た目の誤解
    かわいいと怖い、美しいと醜い、綺麗と汚い
    ○性格の誤解
    賢いと頭が悪い、優しいとずるい、怠け者と働き者、強いと弱い
    ○生き方の誤解
    群れると孤独、亭主関白と恐妻、子煩悩と放任主義

    《感想》
    松原氏や川上氏といい、鳥の研究者は面白い人が多い
    タイトルの割にハト、サメ、イルカの出番がないことは、自分でフック戦略、生存競争だとあとがきで茶化していた

    動物のちょっとしたコアな記述が非常に楽しく読めた
    何事も人間目線で見るのはナンセンスである
    動物は敵から身を守ること、子孫を増やすことが目的
    水浴びの目的も遊んでいるのではなく、羽毛の汚れを落とす、寄生虫を落とす、水で濡らして羽を整えやすくするなど、肉食ほど気をつけなくてはいけない(カラス、猛禽類等)

    ・ある動物公園の孔雀
    長い尾でなく、よく鳴くオスがモテる
    どうやらメスが歌えるオスがいいという好みにシフトしてしまったらしい
    ・チョウの餌は花蜜だが、ミネラルも必要で、種類によっては動物の尿や糞、死骸からも栄養摂取している
    ・鏡に映っているのが自分だとわかる(鏡像認知)
    ○チンパンジー、ゴリラ、ゾウ、イルカ、カササギ、鳩、イカ
    ✕ハシブトガラス、魚、猫
    ・タコは超ハイスペック
    観察してる人間が瓶のネジを開けて見せるとタコはこれを見て開け方を覚え早く蓋を開けられる
    全体としてこうしたいという大目標を出すのが頭部の脳
    それを受けて腕1本ずつ「自分はこうしたて」「隣の腕がこの位置にいるから自分はこうして」と動きを決定しているらしい
    タコは1個体の中でチームプレーをやっている
    ・犬が子猫を育てる
    おそらく何かの勘違い、もしくは誤作動である
    自分の巣にいるのは自分の子供と判断する
    ・ある刺激とその刺激によって引き起こされる行動がセットになってことを鍵刺激という
    カラスやツバメの雛が「大口を開けて餌をねだる」「ここに餌を放り込まなければ」は反射的に行う

  • ●鴨の雛たちは、親鳥の後をついて歩く。ところが子連れの親同士がばったり出会ってしまうこともある。この時に雛はちゃんと自分の親についていくかと言うと、どうもそうとは限らない。雛ごちゃまぜになってしまうのである。しかも、一方の親にばかり集中してしまうこともある。
    ●カッコウの托卵。進化の過程で托卵をされる大ヨシキリが用心深くなり、カッコウは非常に繁殖しづらくなる。そこで少し前から長野県あたりでオナガに托卵するようになったと言う報告が出た。

  • 動物好きにはたまらなく、面白い。中のイラストもすごく上手。(木原未沙紀さん)

    長ったらしく、キャッチーなタイトルだが、著者はカラスを専門に研究されている動物行動学者の松原さん。
    従ってカラスを筆頭に鳥に関する話題が多いが、昆虫から爬虫類、魚類、哺乳類まで、知らなかったことが面白おかしく書かれてある。
    そしてこのタイトルにある形容は、全て人間が主に見た目で判断しているもので、決してそう簡単に割りきれるものではないことを言いたいがためのタイトルだと理解した。

    人間以外の動物は、本能と進化の中で生存に必要な機能が備わったものが生き延びてきたものなので、彼らの行動は全て何らかの意味付けがあるのだろうなと感じた。

    以下は、なるほどの例。

    世界一ブサイクと言われている魚は深海魚のニュウドウカジカ。「リアル人面魚」としか言いようがない。
    肥厚した背中の皮膚に卵を埋め込んで保護するコモリガエルもハンパなく気持ち悪い。

    働きアリの法則といわれるものは、働きアリのうち2割は働いていない。2割は本当によく働くアリで、残り6割がそこそこ働くアリだという。面白いことに、働かないアリを除去して働く奴ばかりにしても、その集団だけにしてみるとやっぱり、よく働く:そこそこ働く:働かない=2:6:2になる。逆に、働かないアリばかりを集めると、今度は働かないアリだったうちの2割は(その中では)勤勉にり、6割は普通になり、残る2割は本当に働かないので、やっぱり2:6:2が維持される。

    ハチドリは仮にー日じゅう食べ続けていても、気温や餌条件によっては餌が足りないと考えられている。
    ここで、ハチドリは裏技を使った。夜間、休眠する間は体温をうんと下げ、代謝率を低く抑えて、消費エネルギーを削減したのである。つまり、彼らは鳥のくせに、毎晩冬眠しているのだ。

  • 【感想】
    人間は、見た目がかわいい動物には甘い。
    2012年には「保全の対象となっている動物は多くが大型でかわいい、あるいは目立つ動物である。目立たない動物は少なく、植物に至っては滅多に取り上げられない」という論文が発表されている。科学的に言えば、動物の見た目と保全の重要性には何の関係もない。もっと言うと、人間にとっての「かわいい」と動物にとっての「美しい」は違う。にもかかわらず、イメージがプラスに働く動物を、人は贔屓しがちなのである。

    本書はそうした「動物に対する偏見」をまとめ、それを生物学の領域から反論する一冊である。見た目、性格、生き方といった様々なテーマごとに動物の特性を紹介していくのだが、根底には「動物に対する綺麗、賢い、温厚といったイメージは、人間が勝手に作った基準にすぎない」という主張がある。

    例えばカラス。日常で見かける鳥の中で特に大きく、見た目が怖い。人間の出したごみをあの手この手で漁る、ずる賢い動物のイメージだ。
    カラスはその見た目から、凶暴で、目を合わせたらとびかかって来ると思われている。しかし、カラスの攻撃は大抵足で蹴るだけだ。また、カラスの嘴は湾曲しているため、まっすぐ前向きに叩きつけても滑るだけで刺さらない。要するに、カラスが飛びながら人間に嘴を突き刺すのはほとんど無理であり、それこそ人間の作った「イメージ」に過ぎないのである。

    また、「賢い」という点にも疑問が残る。
    カラスはかなり計画的な動物だ。クルミを自動車に轢かせて中身を取り出す。お店の軒先のお菓子(当然蓋は開いていない)を食べ物と認識し、奪っていく。人間社会にここまで上手く適応できる動物はそうそういないだろう。
    しかし、カラスは鏡像認知ができない。鏡像認知はサルやゾウだけでなく、ハトやイカにもできる。しかし、「イカが賢い」と言われてピンとくる人はいないだろう。
    結局のところ、知能というのは、その動物がその環境で生き残るための性能の一つにすぎないのである。だから、ある特定の能力が発達していて、他の能力が平均以下、ということも当然ある。それなのになぜ「賢い動物」「バカな動物」というカテゴリがあるかと言えば、人間が人間の基準に当てはめて語っているからだ。人間は動物のやることを、ことごとく人間の行動のように解釈しがちである。しかし、人間のバイアスで動物を一括りにするのは、非常に浅はかではないだろうか。

    ――そう、人間はしばしば、自分自身の行動原理を動物に投影し、勝手に動物像を作り上げ、その虚像にああだこうだ言っているわけである。
    ただし、人間が作り上げた虚像も、それはそれで一つの物語であり、世界の把握の仕方の一つであることは間違いない。古代社会において、神話や伝説が世界を説明する方法であったのと同じである。例えば、カラスは仲間の葬式をするとか、悪がしこいとかいう「物語」も、それはそれで、人間にとって納得のゆくストーリーだ。
    だが、ストーリーはそれ一つではない。生物学に則った理解も、世界の見方の一つだ。動物の目から見た時に世界はどんなものか、という視点を持っているのは、悪いことではない。(略)人間の常識から踏み出して、動物たち自身の視線に合わせて世界を見ようとする時、生物学的な解釈は極めて正しい方法である。
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 その「動物像」、誤解です
    動物行動学の目を通した動物は、決して世間で思われている通りの姿をしていない。第一、動物の行動はそんなに単純ではない。
    もちろん、種ごとの傾向や制約はある。だが、それを一言でくくってしまうのは、「日本人はメガネをかけていて、スシとスキヤキを食べる」というくらい雑な理解である。
    動物にもこういう間違ったイメージ付けがなされるわけだが、私が感じるモヤモヤは、単に「間違っている」ということではない。言ってみれば動物に対する敬意の問題だ。知った上で「こいつはひどいやつだな」と思うならまだいい。だが、知らずに決めつけてしまうほど失礼なことはない。


    2 見た目が恐ろしいと凶暴なのか?
    カラスはその見た目から凶暴だと思われており、カラスに襲われる話も少なくない。しかし、カラスの攻撃は足で蹴るだけで、ちまたで信じられているような、飛びながら突進してくるようなものではない。第一、カラスが飛ぶ速度で頭から激突したらカラスの方が危険だ。
    また、標本を見るとよくわかるが、カラス(特にハシブトガラス)の嘴は湾曲しており、まっすぐ前向きに叩きつけても滑るだけで刺さらない。要するに、カラスが飛びながら人間に嘴を突き刺すのはほとんど無理なのである。ただし捕まえると噛みつかれる。鳥の攻撃の基本は噛むことで、カラスの咬筋はなかなか強力なのだ。

    同じく凶暴だと思われている動物にサメがいるが、サメは大きな獲物を襲うのが上手ではない。人間が襲われる例として案外多いのが、サーフボードに腹ばいになってパドリングしている時だそうである。サメが水面下から見上げると、アザラシやペンギン、あるいはウミガメが泳いでいるように見えるのだと言われている。そして、大型のホオジロザメはしばしば、そういった餌を食べている。第一、人間が海中にいることは滅多にないので、サメの方も人間を常食するほど出合うのは難しい。人間をわざわざ狙って捕食しようとするサメは、おそらくいない。

    動物の多くも、人間と同じように見た目を重視する。ただ、動物のメスは突然好みを変えてしまうことがある。例えば、クジャクのオスだけが持つ長い尾はどう考えてもメスにモテようと発達したものなのだが、現在の伊豆シャボテン動物公園においては、もはやメスに対するアピールになっていないという研究がある。
    長谷川寿一らは長年、伊豆シャボテン動物公園で繁殖しているクジャクのモテ方を計測していた。長谷川らは尾の長さ、目玉模様の数、対称性など、様々な要因と、繁殖成功の関連を調べ続けた。だが、結果はことごとく予想を裏切るものであった。尾の長さも目玉模様も、オスのモテ具合と今ひとつリンクしないのである。ところがある時、思いもよらない結果が出た。クジャクのオスの繁殖成功と強い相関を持っているのは、鳴き声だったのだ。よく鳴くオスはモテる――なんとシンプルな、そして意外な結果であったことか。


    3 「賢い動物」って、そもそも何が基準?
    賢い動物と言われて想像するのは、「道具を使える」「鏡像認知ができる」動物だ。
    鏡像認知というのは、「鏡を見て、映っているのが自分だとわかること」である。人間はこれができるが、小さな子どもにはわからない。動物の場合、鏡を見ると大抵は「他個体がそこにいる」と思い込む。魚もネコも、鏡を見ると後ろをのぞきに行くが、これは「そこに誰かがいる」と思っているからである。
    ヒト以外の動物で、鏡像認識ができるのは、チンパンジー、ゴリラ、ハト、イカなどだ。しかし、賢いと考えられているカラスにはできない。

    人間が「賢いと感じる」行動が、実はもっと単純な仕組みで発現している、ということはよくある。カラスは鏡像認識ができないが、数の概念を理解し、計画性もある。道具も使う。

    知能というのは、生き残るための性能の一つにすぎないのである。だから、動物の知能は、その動物が必要とするものになっているはずだ。例えば、社会を作らない動物には社会的知能はいらない。だが、獲物の動きを読んで先回する能力はいるかもしれない。
    こういう一匹みたいな知能は、「人間でいうと何歳児並み」といった言い方ができないだろう。先読みは大人並み、社会性ゼロ、道具使用はそもそも手がないのでできません、なんて動物相手に、「何歳くらいの知能」という言い方は通用しないのである。


    4 個体としての強さと生態系の中での強さ
    マンボウやネズミのように、一個体は非常に脆弱だが、どこにでも分布する上に個体数が極端に多い、よって地球上で繁栄している、といった生物もいる。逆に、それこそライオンやトラのような生態系の頂点に立つ動物たちは、餌となる動物が十分にいなければ生存できず、そのためには広大な環境が保全されていなければならず、何より最も手強い敵である人間に狙われやすいという、弱い立場に置かれている場合もある。一個体の強さと、生態系の中での安定性はまた別なのだ。というわけで、生物の場合、「強いは弱い」「弱いは強い」のようなアベコベな理屈も、成立しなくはない。決して1対1の決闘で勝てるチャンピオンだけが、生物として強いことにはならない。それこそが、この地球上にありとあらゆる生物が存在できている理由である。


    5 群れを率いるリーダーは、意外といない
    人間の集団には社会的なリーダーがいることが多い。だが、動物の場合、そういったリーダーや命令系統が存在するとは考えにくい場合がしばしばある。
    かつて、ニホンザルはボスザルを中心とした社会システムがあると考えられたことがあった。だが、これは1960年代あたりの想定で、現在は野生状態のニホンザルにそのまま当てはめられるモデルではないことがわかっている。だが、一般にはまだまだ「ボスザルは群れに君臨してメスと子どもを守っている」「ワカモノはボスの命令によって集団を守る」といった説が信じられているかもしれない。
    もちろん、そういう状況が生じることもないわけではない。初期のニホンザルの研究は餌付け群を対象に行われたから、餌が極度に集中していたのである。そういう場所では、優位個体がやすやすと餌を独占できる。その結果、優位個体を中心に、周囲を他のサルが取り巻くような構造ができる。メスや子どもはまだしも近くにいられるが、劣位のオスは「餌待ち」の列のはるか後ろだ。
    その結果、中心にボスザル、それからメスと子ども、中堅クラスのオスザル、周辺部に若いオスという形が生まれる。
    だが、野外ではこんな独占は不可能だ。餌はそこら中に分散しているからだ。彼らに命令系統という意識はないだろう。


    6 本能とは複数要素の組み合わせ
    よく「本能」という言葉が使われるが、これは現在、生物学ではあまり使われていない。というのは、説明になっているようで、なっていないからである。例えば、ガンの雛が猛禽のシルエットを見ると反射的に隠れる行動がある。これは生まれてすぐにできるようになるし、人間が育てても同じような反応を示す。これを「本能」と呼ぶわけだが、「驚異的な、しかも教えられたわけでもなく知っている叡智」を「本能」と呼び変えただけである。結局その「驚異的な叡智」のメカニズムについては言及していないわけだ。

    本能と呼ばれていたものは、生得的な部分と後天的な部分が組み合わさった、一連の行動と考えるのが適当だろう。これらをまとめて「本能」と呼ぶこともできるのだが、それだけでは「実際に動物の中で何が起こっているのか」という研究には進まない。それが、「本能」という言葉を使わなくなってきた理由である。
    多くの動物は学習によって行動を変えることができる。ただし、何を学習するかできるかは、生得的に決まっている場合が多い。

  • こちらのカラスの先生が、カラスのことを話すときにブドウパンを食べるエピソードを使うか毎回確認している者です!今回の本では確認できませんでした!!
    あらゆる動物について満遍なく興味を引くお話が読めますので、動物行動学とか動物行動学研究者に興味がある人にオススメです。(私だ。)
    そういう本を他にも読んでいると、「この動物を研究してる○○さんの話では〜」とかで知り合いの名前が出てきて嬉しい。
    知り合いというのはもちろん面識があるということではなく、その人の本を読んだというだけのことです。

  • カジュアルな文体で読みやすい

  • 途中でギブアップ

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著者プロフィール

1969年、奈良県生まれ。東京大学総合研究博物館特任准教授。
京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。
理学博士(京都大学)。専門は動物行動学。
著書に『カラスの教科書』『カラスの補習授業』(雷鳥社)、『カラスと京都』(旅するミシン店)、『カラス屋の双眼鏡』(ハルキ文庫)、『カラス先生のはじめてのいきもの観察』(太田出版)など。

「2018年 『鳥類学者の目のツケドコロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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