情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ

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  • NTT出版
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757103122

作品紹介・あらすじ

いかなる局面にわれわれはいるのか?つながりと共働(コラボ)が拓く新社会。情報社会論の開拓者の貴重なメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • 一見易しい本だが、社会の歴史を巨視的に捉えた、とてつもない奥行きを持つ議論。しばしば読み返すことになりそう。(以下、この本の要約ではなく、私の意見である)

    気の早い人は「ポストモダン」と言うけれど、まだまだ近代化はピークを迎えたくらいであって、定着と呼ぶには早い。「ポストモダン」ではなく「ラストモダン」と呼んだ方がいい。もちろん「ポストモダン」も始まりつつあるが、いま前景化している(観測される)のは「ラストモダン」のほうだ。

    「富を得る能力が人の価値である」というような「富のゲーム」の価値観(文化)においては、ベーシックインカムの受給が「スティグマ」になってしまう。しかし人々の価値観が「智のゲーム」の価値観に変われば、ベーシックインカムを受け取ることのスティグマ性もなくなるだろう。

    かつては「農業しか知らない親を馬鹿にしつつ大学に通ってサラリーマンになる若者」がいたが、いまや「親はサラリーマンだが農業に憧れる若者」がいる。成熟から定着のフェーズにかけて「衰退」する産業は、プレイヤー(競争)が少ない「金のなる木」でもある。そして従事者は規制で保護された特権階級になる。その特権はしばしば家督として相続される身分である。同じ事が市民(サラリーマン)と智民の関係についても言えるのではないだろうか。智民に憧れる若者が増え、サラリーマンになる若者が減る。これから数十年は「ダサい」と呼ばれるサラリーマンが、そのさらに数十年後には「カッコイイ」と呼ばれるかもしれない。みんながやりたがらない、しかし社会のなかで誰かがやらなければならないソレを、あえてやっている人になるからだ。いまの農業従事者がソレであり、数十年後(?)のソレがサラリーマンになるかもしれない。

  • ネットが人類に及ぼす影響
    S字カーブの解説のくだりは市場の成長と捉えるとマーケティングに活用できる。

  • ビジネス
    Internet

  • 産業革命の次にくるのが、情報革命であって、それを契機に産業社会は情報社会に転換していくのではないか。つまりこれまでの産業化に代わってこれからは情報化が進展するのではないか。

    主権国家が、これまでの傭兵制に代わる国民皆兵制や常備軍制を主体とする国軍化によって威のゲームを勝ち抜こうとし、産業企業が手作業に代わる機械化による生産性の工場によって富のゲームの競争に優位を占めようとしたように、情報智業はソーシャル化を新しい手段として協働に支えられた智のゲームにおいて智者としての名声や評判を高めるように努める。

    智のゲームのプレーヤー、智業はintelprise

    情報社会の通識は、社会的コミュニケーション(ソーシャル)過程の中で、生まれ育って成長していく。

    1990年代後半になると、前衛的な社会活動を行うサイバーアクティビストの台頭と、モバイル技術の発達と普及に伴って、スラックティビストやスマートモブズによる群集的な社会運動や政治運動に進化していく。
    1995年をインターネット元年とみるならば、2000年はインターネット政治元年。

    中国は、多極的世界を形作る極国家の1つとして米国、EU、インドのような極国家と対峙しつつ、時刻の影響の及ぶ権力内では周辺国に対して多くの義務や責任を進んで担ってくる可能性がある。

    日本は極東におけるもう1つの極国家を目指すべきではない、と筆者は考えている。清国と薩摩のハザマを生きることを余儀なくされた琉球王国のようなのが今の日本。

  • 構成も注釈も図解も申し訳なくなるくらい明快で分かりやすく、言葉ひとつひとつが丁寧に送り出されていて、大切に受け取ろうと思わざるを得ません。

    「いま」を形作る「いままで」を、S字波曲線によって様々な尺度から読み解き、そしてこれからを考えてみる。長い長い歴史の中で自分の立っているほんの一瞬の、しかし激動の面白さを思いました。いや生き残れるか瀬戸際でもあるけど。

    中高生の社会の授業でやっりたいなああああ!と思いました。難し過ぎるというなら噛み砕いて。だってこれこそが社会の勉強をする意義であり目標だし、社会や歴史そのものをこういう形で理解した上で知識は必然的に必要になるし、ゴールと走るべき道筋と、いやもっというなら課題を与えられてそれに取り組む姿勢、モチベーションまでも与えて貰える内容だと思います。というか、それすら与えられない意味の無い授業を受けさせられている哀しさよ。教師の方が社会や歴史を捉え切れてない、理解していないからそういう授業が組めないんだろうなと思うにつけ、教師の方も必読だなとも感じました。

    もう一つ、個人の人生もまた、S字波曲線を重ね合わせながら紐とけるとして、私はどうだろうとかも考えました。あと、見田宗介先生の成長曲線と、弱肉強食じゃなく共存共栄が生物界の最適解なんだって話を思い出しました。

  • S字波モデルで近代日本を60年周期に区切り、軍事化・産業化・情報化という過程を図示している点は非常に新鮮である。そして、各々の局面の出現から突破に至る過程においては、憲法改正が必須であると。これも斬新な視点である。一方で、やや性善説というか楽観主義的で気になるのは智民に関する記述である。著者の言う智民とは、おそらくSNSユーザの5%に満たない人間が対象者に思われるが、そのような50-100万人程度のマイノリティーによって、新しい社会が出現してくるのか?というのはかなりの疑問ではある。(同様な異議を唱え、悲観的に捉えているのが中川淳一郎氏だろう。)が、何らかの変化の兆しはあるので、成熟期に入った産業化からの移行期である事に変わりは無く、これから日本がどうなっていくのか?と考えるにはよい本である。

  • 2時間くらいで読破。普段使っているツールの意味は、自分の心の中にある。1回読んだだけでは、まだ理解出来ませんので、週末にもう一度読み返そうかなと思います。なんだか心に残る本でした。

  • 部分的に面白いし再読するけれども、部分的に退屈。

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    アルコール入った頭で読むような書物ではなかった。これは齧らないとだ。

  • 今読めてよかった。参考文献一覧はスキャンして保存。

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著者プロフィール

1935年生まれ。多摩大学情報社会学研究所所長・教授。情報社会学会会長。経済学博士。東京大学教養学部教授、国際大学GLOCOM(グローバル・コミュニケーション・センター)所長などを歴任。近代化の最終発展段階としての情報社会の研究に取り組む。1970年代に独自の社会システム理論を提唱。著書に、『社会システム論』(1978年)、『文明としてのイエ社会』(1979年:共著)、『情報文明論』(1994年)、『文明の進化と情報化:IT革命の世界史的意味』(2001年)、『情報社会学序説:ラストモダンの時代を生きる』(2004年)、『情報社会学概論』(2010年:編著)、『情報社会のいま:新しい智民たちへ』(2011年)など。

「2011年 『社会システム理論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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