- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784758413008
作品紹介・あらすじ
本ばかり読んでいる稔、姉の雀、元恋人の渚、娘の波十、友だちの大竹と淳子…。切実で愛しい小さな冒険の日々と頁をめくる官能を描き切る、待望の長篇小説。
感想・レビュー・書評
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主人公・稔と関係のある様々な人達の一夏の出来事が綴られた連作短編集のような長編小説、という感じで読んだ。さらに作中作として、稔が読んでいる本の内容が挟まれており、この本の中で、日本と海外、夏と冬、と場面が変わるため、読み慣れるまで少々時間がかかった。それらの場面が最終的に稔に集約されたので、読後感は良かった。
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本の虫である稔が主人公の、普通とはなんだろうと考えさせられる話だった。
雀さんには他人の家の炊事場に立つのが苦手という共通点や、稔が読む本の続きは確かに自分も気になってしまうところなどがあり、入り込めた。
同じ小さい子を持つ立場である渚と由麻の境遇の違いも考えるものがあった。また淳子みたいに息子に植木職人になりたいと言われたら…などとも考えてしまった。 -
江國香織さんワールド全開の作品。
作品内に主人公が読んでいる外国文学小説が出てきて、そちらの方も展開が気になって仕方なかった。 -
読書をしている途中に話しかけられる“あの感じ”にすごく共感してしまった。
夢中になりすぎて、実は周りを寂しくさせていたのかも、と思うと少し反省したりもした。 -
30過ぎてからだろうか、江國さんの作品がますます好きになった。これもほろよいのイチゴ味を飲みながらすらすら読めました。
祖父母や両親の財産で生活している50を過ぎた男性・稔が主人公。財産管理をしているだけで仕事をしていない。独身で娘がいて、そして無類の読書好き。
彼が読んでいる本の世界も楽しめて一石二鳥のストーリーになっている。むしろそっちの話がミステリーなので、続きが気になって読み進めてしまった。これも江國さんの仕掛けかな。
稔が本の世界に入り込む様子、邪魔が入る様子、本ばかり読んでいる稔(や娘の波十)に腹を立てる元恋人の渚など、ふふふ…と楽しめた。
なにが言いたいのかと言われると困るけど、たぶん人生はこんな風に若いときと自分自身の感覚はあまり変わらないってことと、自由を生きることは孤独だし、普通を選ぶとそれはそれで不満もあるしってことだなぁと思った。
稔とその姉の雀にとってはセックスがまったく重要じゃなくて、二人が姉弟だからまだ孤独じゃなくてよかったね〜と思った。
稔と雀のなかなか暮れない、緩やかな時間が心地よかったです。 -
江國さんの小説を久々に読みました。あぁ、そうだった、江國さん、こんな感じだった。
稔と雀の姉弟を取り巻くたくさんの登場人物、稔が読む小説、、、、頭が混乱しましたが、徐々に慣れてきて、稔が読む小説の方が気になったりして。 -
本の中の登場人物が読んでる本を、本の外にいる私が一緒に読むのはなんだか不思議な体験だった。
キリのいいところで、登場人物の読んでる本が終わるのではなく、唐突にプツッと終わり、また唐突に始まる。
ラースの本を最初から最後まで読みたかったなー。
稔の本の世界にすっぽりと入ってしまう読み方が、共感できて楽しかった。 -
江國香織さんの長編、初めて読んだ。
本を読んで暮らす稔の小説内小説と、周りの人たちの小さな痛みのある生活。
「でもだから何だというのだろう。世界のどこかで実際に起きたことと、小説のなかで起きたこと、どう違うというのだろう。」
稔の心の声。
本当に。と、思わずにはいられない。 -
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私、江國香織さんって読んだことがないんですが、niwatokoさんの感想でちょっと興味が湧きました。
それと、バブル期のイメージが私と同じ...私、江國香織さんって読んだことがないんですが、niwatokoさんの感想でちょっと興味が湧きました。
それと、バブル期のイメージが私と同じで笑っちゃいました。私もバブルと聞くといつも、ワンレンでキメたW浅野の姿が脳内に浮かびます。私だけかと思ってた(笑)。2017/02/23 -
どうでしょう、江國さん、好き嫌いはけっこうありそうな気がします。ダメな人はまったく受けつけないかも……。
バブルといえば彼女たちですよね!...どうでしょう、江國さん、好き嫌いはけっこうありそうな気がします。ダメな人はまったく受けつけないかも……。
バブルといえば彼女たちですよね!(笑)。
中年になった彼女たちのようなイメージの字登場人物も出てきます。働いててお金があって、たまの休みにこじゃれたところで食事したり、温泉行ったりしてそうな。。。2017/02/23
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読書が人生にある人の話。
日常を読めた。
大人になって周りにこんな友達がいてくれていいな、自由で羨ましいけど、私にはなれなそう。
題名に惹かれて読んだけど、なぜこの題名だったのかは分からなかった。
離婚してお疲れ様って言われたくないな -
合間合間に差し込まれる稔の読む小説が良いアクセントになっていて、読んでいる途中に唐突に現実に引き戻される感覚が何度でも面白かった。
色々な人の視点で小刻みに物語は進み、さっぱりしているけれどなぜか愛着が湧く不思議な作品だった。 -
良作。
久々に江國作品を読んだが、江國香織の登場人物たち、相変わらず自由。魅力ある。羨ましい。
稔みたいに自分の価値観だけのなかで生きたいな。
さやかも由麻も、みんな不器用でみっともなくて心細くていとおしい
淳子の気持ち、よくわかる。 -
稔は変わらない。
けど、まわりの人たちは変わっていくのがおもしろい。
私は、テレビより読書がいいな。
お話の中のお話はドキドキした。
あの、本と現実の間のぽやぽや感、わかる。
蒼井優すき。 -
作中作があんまり面白くなくてとばしてしまった。
別に面白くある必要はないのかもだけど。
主人公のことはよくわからん。
友達の税理士のキャラがよかった。
ゆるく放埓に生きる資産家の世話をして
年下嫁に目尻を下げるオッサン、いいじゃん。
渚の気持ちちょっとわかるな~。
人に不満を持って別れて
別の誰かをその役割に据えると(この場合は夫)
前の人と比べちゃうよね。よくないんだけど。
養育費は受け取ったれや。子どもの権利だし。 -
実は読みきるまでにとても時間がかかった。
読み始めた頃、物語が私まで届いてきてなかったんだと思う。
どの江國作品も好きだし、とはいえ、江國香織も、私も、若かった時分とは変化があって、江國作品との距離感に多かれ少なかれ違和感もあった(今にして思えば、そうだったのかなと思う)
自分が年をとってきて、夏の気怠い、ほの苦い、つまり、戻ってこない幼い時を思わせるようなあの感じをとても大切にしていることを思い出した今だから、するすると体に入ってきた作品だ。
日常なので、帰着点がなく、どこへ向かうかも、よくわからず、それでも、憧れやら焦燥やらがあり、さらには、確実な諦めがある。気づきがあっても喜びとは違い、お金があったりなかったり、結婚したり、離婚したり、仕事があったり、援助してもらったり、いろいろ自分とは違うわけなんだけれども、共感して、切なくなる。
あー、夏の読書が楽しみだ(笑)
そろそろ、長編新刊も出るようで、いい時期に読み切った。 -
本の中に物語があるタイプの話、ついつい読み飛ばしてしまう。
波十と雀の関係が好ましい。
起承転結ではなく、彼らの生活の一部を切り取って日記を見ているような本。読み手としても感情を強く揺さぶられるわけではないのが、今の自分には相応しい。
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資産家で読書好きな自由人が、ちょっと浮世離れしているというか、とても五十男には思えないところがなんだか楽しい。
彼の読んでいる小説は、読んでいる部分しか内容が分からず全体が気になるし、読書を中断した後もまだ少し意識が本の中にある様子なんかは、そうそうそんな感じ、と頷いてしまう。
小説の中身だけじゃなく、彼や周りの人達のことも、視点を変えながら断片的に知っていくのが面白かった。
誰のことも少しずつ興味が増していくのに、一から十までは分からないところがとても自然でよかった。 -
本編の主人公と、彼が読んでいる本の内容が自然に往き来してしまうため、初めの頃は何が何だかよく分からなかった。
読み進めていくうちに、どうやら主人公の行動と、本の中の行動が続けて書かれていることに気づく。
そして、全体の物語の中に入っていくことができるようになりました。
さらに物語は淡々と続いて行きます。
本書が終わってからも、そのまま。 -
P256夫婦というのはグロテスクだ。結婚して以来何度も考えたことを、渚はまた考えてしまう。互いに相手の考えていることがわからなくても、それどころか、相手の存在を疎ましく感じるときでさえ、夜になれば一緒に眠り、朝になればおなじテーブルにつく。小さな不快さも言葉のすれちがいも、何一つ解決されないまま日々のなかに埋もれ、夜と朝がくり返され、夫婦以外の誰とも共有できない何かになってしまう。世間では、それを絆と呼ぶのだろう。だから、絆というのは日々の小さな不快さの積み重ねのことだ。
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江國先生にしては珍しい、長編での男性主人公。
そして、登場人物が読んでいる小説の文章が挟み込まれるという形式で書かれた小説でした。
う~~ん先生が書くとこうなるんだな…。
途中で出てきた海外の絵本がめっちゃ気になるんだよな~~…。 -
読書好きの主人公・稔が読んでいる本の内容が、作中作として書かれている。本の中ではいろいろ事件が起こるけど、稔の方の世界は平穏で何も起こらない。スパイの世界に入り込んでいたのに、インターフォンが鳴ったり誰かに話しかけられたりして稔が現実に引き戻されると、私まで読書を中断させられたような気になった。その物語が途切れる感じがなぜか好きだった。わかる、わかる。最後の稔のセリフが微笑ましい。続きも気にならないし、記憶にも残らないような話だったけど、休日に旅先でのんびり本を読んでいるような気分になれた。それがいい。
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普通や一般って難しい。
人それぞれの受け答えのタイミング、思考の速度、金銭感覚、恋愛観、家族観。
登場人物が多くて、視点もころころ変わるから多くの人のものの見方がわかったなぁ。
登場人物が読んでいる作品まで地の文で出てくるから、場面の切り替えが多い。一気に読むのがおすすめかも。
読書家でも他人に興味がないわけじゃない。没頭してその本の世界に浸るのがただ楽しい。周囲のことが遠くなってしまうのはわかる。その本に影響されて、色々試したくなって、料理するのもわかる。 -
読書に夢中な気持ち、周囲の人々のおもしろさが良かった。
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タイトルに期待を寄せて手を伸ばした本だったけど、私が思っていた様な心を動かされる描写はなく、淡々と物事が進む印象だった。
この先どうなるのかな?といった展開もない。
読み終えて気づいたのは、大人になると夏の夕暮れってこんなもんだよねってこと。
汗かくのが不快だったり、冷房のきいた部屋で物語にのめりこんだり…そしたらいつの間にか暗くなって。
なかなか暮れない夏の夕暮れも最近は充分に暑いから、涼しい風が吹いてきたね、なんて感覚はもう覚えていない。 -
夕暮れの長い今の時期、読書好きの資産家の50男稔とその税理士と妻、ドイツで暮らす稔の姉、稔の元妻と実子、店子たち。それぞれが関わり合って話が進んでいく。特別な事件が起きるわけではない。時間が有れば本を読んでいる稔の本の内容も興味深い。けどそれだけ。
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じめっとした季節が閉じ込められている。お金にも時間にも困らない、社会に必要とされているのかそうでないのかもわからないが、そんなことは瑣末な問題である、と断じて酒を飲み、美食を嗜む。それでも世界は何の問題もなく回る。
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主人公は読書ばかりしている50歳の稔。友人の大竹と淳子、姉の雀、
登場人物は10人以上いて、彼らの生活が細やかに描かれる。色んな人がいて、色んな複雑な感情があると、人間そのままを肯定している物語のような気がする。
変わっているのは、稔の読む海外のミステリーが途中途中に入ってくること。それも登場人物は10人以上。さらに稔が2冊目を読み始めて混乱。
一度目はよくわからず通読。二度目は紙とペンを片手に相関図を書きながら読んだ。
難解です、江國さん。 -
ちょっと久しぶりに読んだ気がする江國作品。作中に登場人物が読む小説の中身が出てくるのでその行方が気になったり、小説自体の登場人物たちも複数いる上視点が変わるのと、作中小説の登場人物までいるので、なかなか読むのに手間取った感がある。
昔から江國作品は起承転結があってスッキリするタイプの小説というよりは、いろんな人たちの人生のここから→ここまで←を切り取って本にしたような作品だなと思ってるのだけれど、今作も基本的にはそんな感じ。
みんなそれぞれ独特だなーと思うけれど、どこか生々しいというか、「いる」と思わせる人物像は流石だなぁ。