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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784768476826

感想・レビュー・書評

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  • オウムを特別な存在、として排除するだけでは第二、第三のオウムを生んでしまうのだろう

  • 『オウム=悪』と言う一元的な価値観に(確かに、やっちゃいけないことをやったんだけどね。教団としてのオウムと言う団体は)、集団になってオウム出て行けと叫び続ける人々。その末、オウム信者の家への電話敷設の妨害。
    そんな人達だけでなく、オウム信者と話すことを禁止し、オウム信者の荷物に手を触れることも禁止し……禁止しながら、オウム信者自らに荷物を開けさせて彼らの荷物検査までする団体も存在していた。
    一見、住民側が力の無い信者達の妨害をしていると映る。が、オウム真理教という実体の見えない(報道によってよけいに見えないようにイメージを増幅されたのもある)強大なものを相手にしていると言う意識が住民側にある限り、責めることは出来なかったのかもしれない。
    しかし、つくり出された価値観のモトに枠にはめ込まれた報道。それを鵜呑みにし、何も考えずに(考えたとしても、手段しか考えられないなら考えてないも同じだ)周りに賛同する人たち。そして、その人たちが集まって、集まることによって一個人では到底抗えない程の大きな力になっていく。
    そして、その実体を持たない大きな力がマスコミ、警察までもを飲み込んでゆく。
    その力がいくら大きくなって、世界に強大な陰を落としても、土台を持たずに作られてしまった力だけにその根本を見つけ処置する事など出来やしない。
    最悪の悪循環がここにあった。いや、有り続けている。

     けれど……色々考えることによって、人はそのループになってしまった中から自分で出口を見つけられると言うことも判った。
    考える時間って大切なんだよ。
    そして、その時間のなかで、人は何かに気がつくことが出来るはずなんだけどな。
     と言うのも、最初はループの中でオウム出ていけとオウム施設を監視していた人たちと、監視されているオウム信者の壁が無くなって、友達と言えるような関係を持てはじめたようにね。
     情が移ったと言うそのおじさんは、隠しているように見えた。自分に対する照れを……
    一人のおじさんが言っていたんだ。自分が判らないって。
    オウムが自分たちの住んでいる地域に引っ越してきた時は、殺人集団オウム追放 とか言う節の看板を作り、オウム出ていけと叫んでいた彼が、数ヶ月の間オウム真理教の個人と人としての関わりを続けた末に、ついに立ち退くことになった彼らの健康を心から心配するようになった……
    それで良いんだと思う。
    答えなんていらないんだよ……たぶん。答えなんて出せなくても、あのおじさんはもう、タダ流されると言う事はもう無いはずだもん。
     オウム真理教の中で、オウム排斥運動の団体の中で、右翼団体の中で……そんな人の集まりの中で考え、考えを持った自己と言う一人の自分を見つけて居る。
     個人主義をうたい、群れる人々を白い目で見つめ、自分は神を信じないと胸を張り、群れるのは嫌いだとニヒルな笑いを浮かべる。
    そうしながらも、結局自分をもててない人達……。
     矮小な人の輪の中に入りその小さな世界に流されてもいいんじゃないかな?
    小さな価値観の中に居るからこそ、その果てにある壁が見えることによって、その先を見ようとし、壁にぶつかり、その反動で自分を確認することができるんだから。
    世間と呼ばれるこの輪は広すぎるよ。広すぎて、広すぎるから……何処まで行っても何に触れることも、ぶつかることも出来ず、自分の姿を確認できず……そんな世界じゃ自分を見つけるのは難しいんだから。
    あなたは、……あなたは何処にいますか?
    自分が今何をしているのか、しようとしているのかを考えて下さい。
     どんな事であれ、どんな風に見えても、行動した人達を笑うことは出来ないよ……
    いくらその姿を見て、悲しくなったとしてもね…………。
    メディアが問題だと言う。が……そこに逃げてはいけないはず。
    テレビ局がああなってしまうのは、資本主義社会の性なのだから?
    ただ、個人への販売と言う形をとっている新聞……これはもう少ししっかりして欲しかったけどね。
    電波をただ流しているテレビと同じなのは悲しいものがある。
    ああいう報道をしても、その新聞を買い続けてしまう我々にも問題があるのだろうが……
     でも、メディアのせいでも、人間の性でも、宗教のせいでも無い。
    流されて、周りと同じ早さの中に流されてしまったって、見えるモノは変わらない。
    考えることによって、たまには流れに逆らわないまでも、少しの間でも立ち止まって、その流れが何に向かっているのか。時間をおいて見て考えることが出来たのなら……少しは自分の向かう方向が見えてくるんじゃないのかな。
    なんて、外部から言ってる自分って……結局、人権団体や、オウム出ていけと叫ぶだけの人達と変わらないんだな……
    でも、
    最初は一緒でいいじゃん(開き直り(笑))。その後に色々考えられたんだから……

     意識的には、環境保護団体の人々や、地元住民が原発の建設予定地に座り込みをする事や、軍艦の前にゴムボートで立ちふさがり入港を拒否する事に見られるように、大概は運動する人々の側の方が小さな力なのだ。
     そう、今までは確かにそうだったのだ。例え無理だと判っていても、小さい力が団結して、強大な力に対抗していく。しかし、その状況が変わってきたのはこのオウム事件の後だったような気がする。オウム真理教の信者が借りたという一件の家の前に大人数が押し掛け、電話の敷設、電気の通電を阻止する。
    それが、オウム真理教のやったことと、それに対するマスコミの煽り、そしてオウムに対する増大した恐怖感から、このような風になったのはなんとなくわかってはいるんだけれどね……やるせない気持ちにはかわりがないです。
     が、自分が本当に許せない思いだったのは、地元に集まった人達ではなく、自治体側や、政府の対応かな。地方自治体がオウム信者の図書館への入館を禁止したり、住民票を受理しなかったりするのは、許されないよね?
    その延長が、今現在北朝鮮籍の船の入港を阻止するために条例を作っている東京都……だんだんだんだんエスカレートしていないか?
    そして、つい先日も……
    ドンキホーテの火災事件で、買い物籠を持ち帰ったとして窃盗容疑で○○を逮捕したと警察が発表。 そして、それをそのまま当然のごとく放火犯の容疑者のように取り上げるマスコミ。

    考えてみる材料は、流れてくる情報は途切れることはないんだから。

著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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