崩壊

  • 現代企画室
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773809107

作品紹介・あらすじ

軍事政権、クーデター、内戦、サッカー戦争—中央アメリカ現代史を背景に、架空の名門一族が繰り広げる愛憎のドラマの行方は?注目のエル・サルバドル人作家の作品を初紹介。

感想・レビュー・書評

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  • なんとなくとっつきにくそうなイメージがあって何年も敬遠していたが、いざ読んでみるととてもリズムが良く、読みにくいどころか全くページから目を離させてくれないほどだった。

    読み終わって、これは家族の歴史の物語だったのかなと思ったが、少し腑に落ちない感覚があった。物語が終わるのは家族が崩壊した時では無かった。父と母の関係なら物語が始まる時既に崩壊しているし、母と娘の関係は二章の終わりで崩壊した。三章で母は死ぬが、娘と孫が残っているので家族全員の関係が崩壊したわけではない。
    物語の終わりは、土地が分譲されて亡き母の名前がついた小さな農園が残るというものだ。とするとこれは、家族というよりも土地の歴史だったのかもしれない。そういえば、物語は土地を離れては語られない。娘が暮らすエルサルバドルでの様子は、手紙から伺えはするものの視点はエルサルバドルまで行くことは無い。

    マルケスの「百年の孤独」も家族と土地の話だった。最後は家族全員が土地とともに死んで終わった。しかし「崩壊」では土地は無くなっても娘と孫は生き残った。母の印象的なセリフがあって、人は帰る土地も持たずに生きていて良いことなんてあるはずない。と言う。昔の人間は皆それぞれ土地に根を張って生きていた。だからこその「百年の孤独」の終わり方だろうし、土地と共に死んだ母のセリフだったろう。でも新しい世代である娘や孫は土地から離れ、これからも生きて行くのだ。そう考えるとこれは、昔の生き方が崩壊し、新しい世代の生き方が示される物語とも取れそうだ。そして言うまでもなく私たちは、その新しい世代の行く末を生きている。

    土地を守り続けた母が、死んで小さな農園にその名をひっそりと残すというのは、素敵な終わり方だなと思う。現代日本の例えば東京で、土地を持たずに生きている私たちの周りにも、誰かの名を残した地名や建物なんかがある。今私たちが生きている世界の下には、レイヤーのように昔の人たちの生き方があったんだなと思いを馳せるきっかけになった。

  • ホンジュラスとエル・サルバドル、隣国の二国が戦争に至った時代に、両国の国民感情、戦争へ向かう緊迫感、戦争下の混乱をホンジュラスの名門一家の手紙や報告書により描いた作品。

    冒頭はホンジュラスの名門政治家ミラ・ブロサ家のレナ夫人が夫エラスモに浴びせる罵詈雑言から始まる。
    彼らの一人娘のテティが寄りにもよって”エル・サルバドル人の共産主義者”で”最初の結婚で3人の子供をつくった娘より倍も年上の男”と結婚するのが耐えられないのだ。
    レナ夫人は、赤子を亡くし、夫は家庭の外に癒しを求め、生き残った娘のテティは”知性も感性もゼロ、親の金で遊びまわるだけの脳味噌の腐った尻軽女”で今は母親の許さない相手と結婚しようとしている。
    娘のテティは、そんな母のレナの毒々しい口撃と頭ごなしの支配から逃れるために隣国エル・サルバドルの男と結婚して移住することにしたのだ。

    しかしテティがエル・サルバドルに移った後の次第に両国の国家関係は悪化していく。
    1969年サッカーワールドカップの試合をきっかけに起こった「サッカー戦争」、隣国でありながら両国は相手の国民を憎み合う様相、戦争前の緊迫した両国の様相がテティと父のエラスモ・ミラ・ブロサの手紙により語られる。
    しかし諍いに火をつけるようにレナは国際電話でテティへの罵りは増すばかり。盗聴されているかもしれない電話で、ホンジュラスからエル・サルバトルへの罵詈雑言は、娘のテティの命さえ危険に晒すというのに。

    両親のエラスモとレナ夫人は、テティにホンジュラスへ戻るよう勧める。
    しかしテティはレナ夫人に人生を支配され、自分や夫を否定されて生きていくことはできないと苦悩の末敵国となったエル・サルバドル、夫の国で生きていくことにする。

    そしてテティの夫のクレメンテが巻き込まれたアル中更生会が絡んだクーデーターと殺人。

    長い年月がたち、ミラ・ブロサ家の使用人マテオは、レナ夫人とテティとその子供たちの事、そしてミラ・ブロサ家の相続の顛末を語る。
    人を罵り続けるレナ夫人の元へは客も家族も訪れない。
    しかしそんな家でレナ夫人は、いつだれが来てもいいようにいつも家族を想い居心地の良い家を保っていたのだ…

  • 背景となるサッカー戦争、アル中更生会クーデターの史実だけでも興味深いが、なんといっても物語の中心となる家族の愛憎劇の描き方が素晴らしい。

    文体をそれぞれ違えた3部構成が見事で、1部のハイテンションな戯曲に心を鷲掴みにされ、2部の書簡集に戦争の緊迫感を味わうが、それまでの緊張が一転する3部の静かな語り口の回想録によって、愛しても愛しても相手に伝わらない悲哀が初めて明かされる。

    その家族の「崩壊」の姿が、「国家」という概念に囚われたホンジュラスとエルサルバドル両国の「崩壊」の姿と重なって見えてしまうのである。

    詳細はブログに→http://takatakataka1210.blog71.fc2.com/blog-entry-25.html

  • ホンジュラスとエル・サルバドル両国を舞台に、サッカー戦争が勃発した1970年代前後の時代を背景として、ある一家の翻弄される姿を描く。クーデター、内戦、暗殺、というモチーフは南米小説を彷彿とさせる。それらが物語の定番となっているところに、同時代人として切なさを感じる。国交断絶により切り離された家族の交流が、手紙形式で描かれた章が印象深い。

  • 第三部がすばらしい。

  • とても現代的な小説でありながら、同時に中南米のあの魔術的な血筋をしっかりと受け継いだ作品。

    物語としてはすべて、未完のエピソードしかない。
    人称も章ごとに統一されているものの変わっていき、
    一つの筋を追おうとしてもつかみきれない。

    ただ、それは物語の力を一番緊迫したところで
    手放していくというむしろ積極的な技法ともとれる。
    混沌とした2つの国に住み分かれた一族の話はこういう形でしか書けなかったのだろう。

    捨て置かれたものがその人々の歴史を形作っている。

  • 2017/6/14購入
    2018/12/22読了

  • 見たままの現実なんてあやふやなものは、見る者によって如何様にでも変わるのだ。そこにある事実とされるものこそ、それを現実としたがるその人自身の見る目からなるのかもしれない。
    そんなことからある小説の「聖なる愚者」を思い出した。いくらまっとうに生きたって、どれだけ愛情深く接したって、それを分かってくれるのは閉じられていない、開かれた世界の住人のような気がする。それってものすごく寂しいことだ。

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