文庫 女子高生コンクリート詰め殺人事件 (草思社文庫 さ 2-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794218186

作品紹介・あらすじ

1989年、東京都足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件は、検察をして「犯罪史上においても稀に見る重大かつ凶悪な犯罪」と言わしめた残虐な事件だった。恐るべき犯行に及んだ16〜18歳の4少年の素顔とは?生い立ちや親子関係、犯行時の心境をたどり、少年犯罪の闇、家庭や教育が抱える問題を指摘する。事件後、初めてその全容を明らかにした衝撃のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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    ── 佐瀬 稔《女子高生コンクリート詰め殺人事件 20110412 草思社文庫》 〔〕 …… 
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4794218184
     
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/19881108
     女子高生コンクリ詰め殺人事件(編集中)
     
    (20180822)
     

  • 昭和63年11月25日夜、アルバイト先から帰宅途中に突然連れ去られた女子高生は、その後長期間にわたる監禁生活を強いられ、凄まじい暴行の末に命を絶たれた。
    遺体はコンクリート詰めにされ捨てられた。
    犯人は4人の少年。
    監禁生活の最中に10名を超える人間が暴行に加わっていたとされる。
    こんな悲惨な結末になる前にどうにか出来なかったのか。
    純粋な疑問がわいてくる。
    監禁されていた場所は人里離れた廃墟などではない。
    住宅地に建つ一般住宅である。
    しかも、犯人である少年の両親も同居していた。
    にも係わらず、誰にも救いだされることなく女子高生は命を奪われた。
    少年犯罪が起きたとき、必ず言われるのは育ってきた家庭の環境である。
    両親の育て方が悪かったのでは?とメディアは騒ぎたてる。
    すべての少年犯罪が親のせいにされたら堪ったものではないだろう。
    けれどこの事件の場合はどうなのか?
    裁判ではいろいろと理由をつけていたようだけれど、結局のところ、この両親は息子の暴力が怖くて踏み込めなかったということだと思う。
    子どもの生活のすべてを親が把握しているはずがない。
    それはあたり前のことだし、格別珍しいことでもないだろう。
    しかし、同じ家の中に長期にわたって監禁されていたことに気づかないはずがない。
    何らかの不自然さ、違和感を感じていたはずだ。
    それでも彼らは見て見ないふりをした。
    殺害までは予想出来なかっただろうが、不穏な空気に反応して行動していれば・・・と思う。
    この事件でサブリーダー格だった少年は、出所後ふたたび事件を起こし監禁致傷罪で逮捕されている。
    冒頭に書いた裁判官の言葉は、彼には少しも届いていなかったようだ。
    何しろ、「女子高生コンクリート詰め事件」を一種のハクのようにひけらかしていたと言うのだから。
    少年法が厳罰化するひとつのきっかけになった事件である。
    家に帰るために自転車をこいでいたひとりの女子高生。
    退屈していた少年たちの目に留まったことが彼女の運命を変えてしまった。
    長く辛い時間の果てに待っていたのは無惨な死。
    やりきれない。こんなことが許されていいのか・・・と思う。
    現実には4人ともすでに出所して社会復帰をしている。
    もしかしたら家庭を持って親となっているかもしれない。
    死んだ者の時間は永久に動くことはない。
    けれど、犯人たちの時間はいまこのときも時を刻んでいる。
    「罪を憎んで人を憎まず」ということわざがある。
    刑に服したことで罪は償ったのだから、という人もいるだろう。
    どうか4人には彼女の死を無駄にせずに懸命に毎日を過ごしてほしい、と思う。
    そうでなければ、無念の死を遂げた彼女があまりにも浮かばれない。

  • 2011年(底本1990年)刊。◆どこにでもいる親、どこにでもいる子。しかしながら本書で裁かれるのは特異な犯罪。本書はその公判廷での傍聴を通じ、加害者の生い立ちや足跡を明らかにしつつ、その要因を見つめようとする試み。◆特異な犯罪は一般化・抽象化しにくい事案。抽象化を不可避とするルール化にあたっては、前提とする事例とはしにくい。◆一方、冤罪防止のために自白法則を認めたことを前提にしつつ、自白自体が真相をつまびらかにする大きな要素というのも否定できない(殊に被害者が死亡している事案。殺人に限らない)。
    ◇ここで出てくるのが厳罰化、特に死刑の適用範囲の拡大を対応策とするのだろう。が、事はそう簡単ではない。厳罰化・死刑適用範囲の拡大は、物的証拠を埋めることのできる自白、被害者の証言を獲得できない中、真相の鍵となる自白が期待しにくくなり、犯罪事実の確定を遠のかせる。◇また、全ての類型を死刑にするわけにもいかないし、重刑化(懲役の長期化や罰金の高額化)は社会的な費用負担を増す。軽微な犯罪類型(これが圧倒的多数)を含めて考慮すれば、結局、予防と再犯防止のプログラムが科刑と刑の執行後に社会が用意しているかに係る。◇
    ◇勿論、ある程度の厳罰化が有益な類型(飲酒運転の罰則強化)も有るが、厳罰化が事件の潜航化を招来する類型には、そこで思考停止せず、合理的根拠に基づく他の有益な方法の模索と重畳も求められるのだろう。◆その観点で本件から学ぶべきは…。①虐待予防と早期発見(子育て世帯の経済的支援も包含か)、②学校教育の意義(意外なのはスポーツ系クラブの重要性とその門戸拡大の必要性)、③単親家庭への援助(経済的支援が鍵か)、④安定職業獲得支援(ハローワークと高校教育現場・矯正施設との連係)、⑤反社会勢力との関係遮断。
    ◇しかし、我ながら言うは易しでしかないなぁと、頭を抱えてしまう……。

  • 978-4-7942-1818-6 351p 2011・4・25 1刷

  • すごく加害者寄りに書かれてる印象。被害者の視点がまったくないからなんだろうけど(それはこの本の主題ではないからなんだろうけれど)。加害者たちが愛情に満たされない幼少期を送りその結果がこの事件につながる、親や学校や問題はそこにあったんじゃないか、実際に事件を起こした当事者たちは実はかわいそうな子たちなんだよ、いろいろと不幸な偶然が重なった結果がこの事件なんだよ、みたいな印象で、「え?」と思ってしまう。これじゃあ被害者やその遺族はどう気持ちの折り合いをつければいいんだろう。

  • 主に、弁護士と検察官の被告人質問、及び証人との質疑応答で構成されている文章。実際の傍聴を下敷きにしてるのだろうが、どの証言も、結局著者の見解で締めくくられているため、客観的なルポルタージュとは言えない。
    証言の順番も明らかではないし、唐突に海外の事件や学説の一文を挿入したりするので、ひどく散漫な印象を受ける。
    そして、被害者少女に関しての証言は一切取り上げられていないのだ。これでは加害者擁護と言われても仕方ない気がする。(文中に擁護するような言葉があった訳ではない)
    被告の4人が環境に恵まれていなかったのは分かる。崩壊した家族。教師や先輩からの体罰。だが、あれほど陰惨な事件の原因になったとは、どうしても思えない。
    「なぜあんな事件が起こったのか」。読者が知りたいのはその一点だ。
    加害者側を掘り下げた本なのに、そこが見えて来ないのでは意味がない。

  • 加害者がどういう子供時代をすごしたかを書いた本でした。
    違う違うそうじゃそうじゃなーい!

  • あくまで、この事件の加害者の親子関係、教育問題に絞られた本。加害者の本質に迫るには、視点が限られていると感じられる。ましてや事件の全貌など扱うものでもないので、被害者側遺族・関係者へのインタビューは一切でてこない。

    作者があとがきで言うように「(判決についての意見を求められても)一年間にわたって裁判を傍聴しながら、その間、量刑に関してはなんの関心もなかったからです。もっぱら考えていたのは、今、われわれ人間が住む世界にどんな風景が広がっているのか、ということでした」と、今後の社会の行く末を嘆くような視点で全編書かれており、ちょっと落胆(量刑をどうでもいいと思っている人の本だと知っていたら読まなかったよ)。やっぱりあとがきは先にチェックすべきかな。

    ただ、親が負うべき覚悟、(その時には)通じない親子間の思い、検察・弁護人の偏った質問、希望を見出そうとする筆者の加害者にやや甘めの筆致。。。など、「自分の見たいようにしか見ていない」ということについて、我が身を振り返って考えさせられる本ではあった。親子関係も重要だし。

  • 昭和の終わりに起きた、陰惨な事件を扱った本です。取材を許可されなかったのか、それとも敢えてそうしたのかは不明ですが、被害者側からの視点は一切なく、加害者の少年達とその関係者の証言だけで構成されています。その為、著者の立ち位置が加害者寄りにあるように感じられます。また、明言されてはいませんが、少年達に非はなく、悪いのは周りの大人達である。と言いたげな内容は、読む人によっては大変強い不快感が生まれるかもしれません。事件の風化を防ぐことより、子供の教育についての問題提起が目的の本のように思えます。

  • 昭和から平成に変わる頃、足立区で実際に起きた殺人事件について、裁判での犯行グループの少年達の供述などを元に、彼らの生い立ちや、犯行に至る心理、犯行の様子などを克明に綴っている。
    こういった少年による残虐な犯罪が20年も前から続いていることに驚くとともに、少年達の精神鑑定の結果から筆者が考える「今時の若者像」が、現在よく語られるそれと大差ないということにも驚いた。
    あとがきにも書かれているのだが、こういった少年による度を超した異常犯罪は、いわゆる団塊世代が生んだ子供達とともに社会に産み落とされ、現在まで続く社会の病理なのだと気付かされた。
    (まあ、それ以前にこういう犯罪があったかはよく知らないけど。)
    本書を読んで、「怒り」について考えた。
    犯行グループの少年達は、皆一様に、大人達の怒りの感情を積み重なるように受けて育った。
    その怒りは、少年達を思っての怒りではなく、大人達の身勝手な怒りが多いように思われた。
    例えば、お前が居るからこんなに働かなければいけない、俺の言うことを聞かないからカッとなって殴ってしまったなど。
    その想像を絶するくらい積み重なった怒りが、捌け口を求めてこのような凶悪な犯罪を起こした。そのように見えた。
    彼らの兄弟で立派な人格を持っていると思われる人も居ることから、それだけで簡単に片付くような問題ではないのだろうけど、一因としては間違いなくあるだろう。
    今後、人と接するとき、殊更幼い子供や少年に接する際には、自分勝手な思惑から発生する怒りや、その他ネガティブな感情ををぶつけることは、極力戒めたいと思った。

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