誰も教えてくれない聖書の読み方

  • 晶文社
3.37
  • (9)
  • (6)
  • (20)
  • (8)
  • (0)
本棚登録 : 133
感想 : 15
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794964731

作品紹介・あらすじ

聖書という本は、読む人の勝手な解釈で語られすぎてはいないだろうか。都合の悪いところは後代の創作や脚色にされるし、都合のいいところは妙な強調のされ方をする。でも聖書を、いろんな脚色を抜きにして、そこに書かれているとおりに読むとどうなる?ちゃんと読めば、たとえば旧約聖書は一貫性のない神さまがひたすら残虐行為を実践しているのばかりが目につく本だったりするし、新約聖書はイエスという畸人を主人公にした荒唐無稽な物語だったりすることがわかるだろう。本書は、そんなふうに、聖書を最初から最後までまっとうに読んでみようというガイドブックだ。そしてまた、基礎教養として聖書を読み直すための副読本でもある。聖書に書かれている、ペテンと略奪と殺戮に満ちたエピソード群をひとつひとつ解釈しながら(ときにはそれに呆れながら)、それでも読者は、聖書が人をしてちゃんと読ませる力と魅力を持った本だということをあらためて理解するだろう。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ケン・スミスさんの聖書ガイドの山形浩生による日本語版。旧新約聖書66文書にはこんなヤバい事が書いてありますよ、丹念に聖書は読みましょうねという聖書読書のススメとなっている。山形浩生による聖書ガイドの詳細な解説と後書きが付いていて、聖書初心者にも親切なアドバイスもあるのでコレを読んだら聖書そのモノに当たってみるといい。クリスチャンになるもならぬもあなた次第であるが。

  • 聖書は西洋人の教養の基礎とか言われてるのがウソっぱち、実際にはほとんど読まれてない、と良く分かる本。「これからの時代、英語は必須」っていうセリフと同じくらい言われてるかも
    実際、真面目に読んだら変な記述でいっぱいなんだけど、経典だからいじらずに来た結果がこれ。イスラムはもっと路線変更が難しいけど、日本国憲法も同じと思えばよくある事なんだろう。何とか理屈をこねくり回してでも「解釈」で乗り切ろうとする点も含めて
    一番不思議なのは、ユダヤ人は何でこんな凶悪な神に付き従ってるんだろう?ってこと。こいつ絶対、民を救ってなんてくれないよなぁ。預言者と言ったってモーセ始め、軒並みロクでもない目にしかあってないし。菅原道真を祀り続けてるのと同じ感覚なのかな?

  • 誰も教えてくれない聖書の読み方

  • 今日まで聖書はあらゆる人の解釈で語られてきた。意味不明な内容(例えば、男2人が争いになり、片方の妻が夫を助けようと割り込んで相手の睾丸を掴んだなら、彼女の手を切りおとせ!-申命記25:11-12 とか)を無理にこじつけて教訓っぽくすることも少なくない。
    では聖書を文言通り素直に読んでみたら?旧約聖書は、超残虐だったり意味不明なエピソードが満載だし、新約聖書では、イエスの意外なキャラが露わになる。例えば、民をやたら強引に出家させる話が多かったり、オレ様発言が目立ったり。あと、イエス=デブキャラ説なんてのもあった(ルカ伝で、イエスがやたら何か食ってる描写があり、人に食え食えすすめて、断られたら不機嫌になる、とか)。
    この本のいいところは、聖書を意図的に揚げ足をとることを目的としていなくて、あくまで、書いてあることのみに注目している点だ。意外にもこれをやる人は少ないらしい。
    また、だいたいの聖書の概略もわかるので、ありがたい。

  • かつて一世を風靡した『磯野家の謎』に代表される“謎本”の聖書版といったところでしょうか。
    でもテーマが聖書なので、面白く読めるという本ではないと思います…。
    すごくよく研究されているのはわかるけど。

    キリスト教徒みんな、都合のいいところばかり、よく読むから。
    で、私が「ああ、そうかも。」と思ったところはここです。

    >聖書の旧約部分については…いや、これはひたすらすさまじい話の連続なのだ。(略)
    自己中心的なテロや、虐殺、詐欺のオンパレード。(略)
    これを信仰しているという人が、いったい何を信仰しているのか、というのは、ちょっと興味のある話だ。
    いったいキリスト教徒は、この旧約聖書の部分をどういうふうに理解しているんだろうか。
    もちろん旧約部分の記述が意味していることは一つで、たぶん最初の頃は神さまってのが、日本の神さまたちと同じで、祀らないとたたりをなす、おっかない存在だったってことだ。
    そして一貫性がないのも単に、みんなが後付でお話を作っていったからそうなるんだよね。
    親戚に、縁起かつぎの好きなおばさんとかがいる人なら、経験があるだろう。
    最近不運が続くんですけど、なぜでしょうか?ときいてごらん。
    ああそれは、きみが三年前にかくかくしかじかのことをした罰ですよ、と説明してみたり、それらしいのが見あたらなければ、ああそれはきみの親父さんの悪行の報いなのです、と言ってみたり。
    旧約聖書のほとんどは、そいういうその場しのぎの思いつきをあとからまとめて、なんか一つの神さまの意思と行為ってことで押し通そうとしているので、いろいろ無理が出てきている。
    それだけのことなのだけれど。

  • 何も基礎知識なしに聖書を読んだら、どうなるのかが書かれている本。聖書を最初から最後まで読んだことのない人間は、この著者を批判することはできない。少なくても、この著者はすべてのページに目を通したのだから、それは評価したい。しかし、あえていうなら、著者は茶化したいという気持ちのほうが先走っている気がする。ノンクリの人がどのようなところに引っかかるのか、教えてもらった。

  • とにかくひたすら、聖書の揚げ足を取ることに執念を費やした本。
    真面目なキリスト教徒の方々には様々に言いたいこともあると思われるが、そうでない人間に「面白く聖書を読ませる」という点に関しては群を抜いていると思う。
    とにかく何らかの「読む気になるガイド」がなければ、聖書を読み終える前に討死しかねない。

  • 聖書のおかしい部分を挙げまくってる本。
    重箱の隅をつつくような感じでキリスト教徒からするとウザったい本だろうね。
    例を挙げると↓な感じ
    新約聖書の中に旧約聖書の引用が書かれているけど、実際は旧約の中に書かれていないのに引用されている、とか
    水をワインに変えた話で、酒になったかどうかを飲んで確かめたのは一日中酒を呑んだくれてた人物だった、とか
    ヨハネ曰く、神様は緑色。愛の定義は「神の命令に従順に従うこと」とか
    有名なヨブ記でヨブが不幸のどん底に落ちても神を恨まなかったというと、
    これは嘘でヨブ記の大半が神様への愚痴で埋まってる。 などなど挙げたらキリがないくらい。

  • 翻訳者が解りやすく京極夏彦ファン…。

  • 「肩書きや先入観で相手を差別したくない」
    「読んでもいない本のことを知ったように語りたくない」
    「相手が権威のある人だからといって、盲目的に隷従したくない。
     お世辞を言われる相手がかわいそうだから」

    つまり、「聖書」は「レッドマン」や「ゴッドマン」と同じものとして読みたい、ということです。
    (ニコニコ動画で有名なあれです)
    そうすれば腹が立つこともないし、
    かんちがいをしてまちがえてしまうことも少なくなると思うのです。

    「聖書」について書かれた文章については、
    もんのすごく腹が立ったことが多いのです。
    「何を根拠に、そんなにもちあげるのよ?」
    ですが、考えてみれば、
    「聖書」そのものを読んで腹が立ったことというのはほとんどないのです。
    それ以前に、あんなめんどくさいもの、
    最初から最後までちゃんと読んだことないなあ、と思うのです。
    読んだとしても細部なんか忘れちゃってるでしょう。

    その事実を認識した上で、腹の立った理由、というのを考え直してみると、
    「腹を立てるだけばかばかしい」と思えるような理由と言うのが実に多いのです。
    相手にするまでもないほどのばかばかしいまちがいだった、と思えることが多いのです。
    そのうえで、別の人が腹を立ててくれているのを読むと
    「ああ、そういう人もいるんだ」と分かって安心して、あとは、
    「腹を立てる必要なんかない、なぜそれがいやなのかを考えて、整理して、
     相手にわかってもらえるような話し方を考えればいい」
    と思えるようになるのです。

全15件中 1 - 10件を表示

山形浩生の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×