熱く生きる

著者 :
  • セブン&アイ出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784860086275

感想・レビュー・書評

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  • 順天堂大学心臓外科医 天野篤氏による、医療への思いを綴った本。日大医学部出身でエリートではない道を歩んで心臓外科の第一人者まで上り詰めた人物だけあって、言葉のひとつひとつに重みが感じられる。心臓外科手術の経験からくる自信であろうが、妥協を許さぬその姿に感銘を受けた。
    「20代後半の研修医になったばかりの頃から、私は月曜から金曜までを勤務先の病院で寝泊まりする生活を続けてきた」p10
    「熱い思いで一生懸命になることが大切なのは、何も医師の世界だけのことではない。会社であれ、お役所であれ、お店であろうが、その存在と仕事が、世のため人のためになってこそ価値がある」p14
    「手術中、予期しない事態にぶつかるとパニックになる医師。手術をしても結果を出せない医師。安全性の確立していないひとりよがりな手術を繰り返し、患者さんを傷つけている医師。こういう医師は今すぐに医師免許を国に返すべきだと感ずる」p17
    「(優秀な医師には)「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない」p23
    「患者さんの回復状態が芳しくない場合、その原因が、手術中の場面としてはっきりと目に入ってくる。手術中にほんの一瞬、数秒かもしれないが「思い迷った理由はこの状態だったのか」と思い知らされるケースが今でもある。私は外科医だから、そう気がつけば意を決して再手術を行い、全力であるべき状態に戻す行動をとる」p38
    「温存しとこうとか、あとで使おうというのはダメで、今持っている力は早く使い切った方がいい」p64
    「(失敗した部下について)いちばんやってはいけないことをやった部下を育てなければいけない。彼をとにかく一人前にすれば、そのあとの道も開ける」p109
    「手術が複数ある日は、朝食を軽くとって、昼食は缶コーヒーとスナック菓子で済ます。そして、夕食は集中治療室の隣の大部屋で弁当を食べる日がほとんど」p117
    「教授である私が病院に寝泊まりしているからといって、そのやり方をスタッフに求めてはいけない。順天堂の心臓外科教授としての私の収入はほかのどの医局員よりも多い。この点に関してはつね日頃から「収入が多い者は、誰より働かなければならない」という持論を持っている」p119
    「性格の悪い人間はダメだ。実際にそうでなくても、そう指摘されているのもダメ。人間的な信頼がきわめて大事になる」p136
    「不成功体験が成功体験に変わったときに、精神はより一段と強くなり、人間は大きく成長する。誰しも一朝一夕に今があるのではない」p156
    「普通の人と同じことをやっていたのではダメだ。普段からアンテナを張りめぐらせておいて、人より一歩先に行動を起こす」p169
    「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」p170
    「取材を受けたり、テレビに出演させていただいたりするたびに感心するのが、テレビの制作現場で働く人たちは、どんな若者でもあいさつの習慣が日常的にあることだ。ところが、テレビの業界でできていることが、大学病院ではできていない。テレビの現場ではADが大きな声であいさつすると、初めて来た場所であってもリラックスできるし、打ち合わせでも話しやすくなる気がする。やはり、新人が慣れない環境でもうまくやっていく秘訣は「あいさつ」にある、と私は思っている」p216
    「(将来を嘱望された医師)が帰国し、海外で習得したり経験したすばらしい点をアピールしたとしても、日本の医療界には受入れる懐の深さがない。ここでも組織の論理や、医局制度などの「悪しき伝統」の上にあぐらをかいている」p224
    「(病院内の軋轢)「三歩進んで二歩下がる」という日々だった。ときには、引くことも技のうち。逃げつつ、勝ちを狙うために「死んだふり」をしてまた前進する。そして機を見て「倍返し」するのだ」p229
    「若い世代には「脇目もふらずにまずやってみろ!」と言いたい」p234
    「医者の世界、研究者の世界は概してひとりよがりだ。よその世界とのネットワークを持ちたがらない人も多い。見識を広めるためには、何よりも外の世界の人たちとの交流が必要だ。それは必ず自分に戻ってくる。外科医として、こういう時間をつくることは、自分という存在を真摯に見つめ、見直すことにつながるのである」p236
    「私は武士道を次のように理解している。「他の人々と共存し、支え合って自分の位置を築いている。だが、ひとたび、“いざ鎌倉”となれば、武士は身を投げうっても、人々のために尽くさねばならない」これは医師の道も同じである」p239

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  • どうしたら天野篤みたいになれますか?

  • 天皇陛下の冠動脈バイパス手術を担当した心臓外科医の著書。 医学部に入学するまでに三浪をしたが、卒業後は医局に所属することなく技術を磨く。患者への思いと手術に対する熱い姿勢が伝わる一冊だった。
    特に感銘を受けたのは、壁を取っ払ったところで通用するかを考える、の記載。自分の分野とは異なる世界、壁を取っ払ったところで通用する人になりたい。
    また、医師道を極めるとの内容は、そのまま理学療法士道とも捉えられる部分があった。ただの良いPTで終わらず、名PTになれるよう患者と向き合い、結果を数字や文章に表し、社会に貢献できる人材になりたい。

  • 天野医師は50代後半の順天堂大学の心臓外科教授です。しかし、表紙の写真を拝見すると、白髪はあるものの肌つやはよく、自信に満ちた笑顔をこちらに投げかけています。また、白衣の写真ではなく手術着で撮影に臨んでいるところが、天野医師の現場重視の姿勢を表しているともみてとれます。
     天野医師が、医者を志すきっかけは、お父様の病気とのことでした。実際、天野医師は32歳のときに、亀田総合病院で執刀されたお父様の心臓弁膜症の出術に、第一助手として立ち会います。しかし、その甲斐むなしく、お父様は3年後に66歳で他界されました。
     そうした無念が、天野医師を前に駆り立てています。天野医師は天皇陛下の冠動脈バイパス手術の執刀で一躍注目されました。執刀を任された理由の一つは、天野医師のバイパス手術、オフポンプ手術の手腕を買われてのことですが、その実績は、本書で触れられている天野医師の信念に裏付けられたものです。その信念を、以下に抜粋して紹介させていただきます。
    ・世のため、人のために生きろ
     人の支えで医師になれた。志をもって、恩恵を世の中に返さなければいけない。自己犠牲の精神がなければ、患者から信頼される医師にはなれない。
    ・人の逆をいけ
     ゲームの才能を安易に否定してはいけない。手術支援ロボットの登場により、ゲームの得意な子供が優秀な外科医になる可能性がある。
    ・問いかけろ
     常識を知らなくては患者の声に耳を傾けることもできず、寄り添えない。寄り添い、人をいやすのが医師の本当の仕事だ。
     病院には挨拶もできない非常識な人が多い。これまでたびたび院内で主張を繰り広げたが、なかなか体質が変わらない。
     手術記録は大学教授と成った今でも、必ず自分で翌朝までに自分で書く。これが「復習」効果を生み、現在でも年間500例の執刀数を可能としている。
    ・目標は高く
     「医師道」を貫く。「医師道」とは、自らを極限にまで追い込んで、高い能力を発揮できる心と力である。自利的な態度はもちろん不可。患者のことを第一に考え、乱暴な言い方をするときもあるが、それも外科医の文化である。患者の命を守るためには、時としてそうならざるを得ない。

     かなり、過激に、追いつめるような主張が繰り広げられています。しかし、大学教授でありなががら、最前線の外科医であり、未だに教授室に寝泊まりして家に帰れないような生活を皆に求めている訳ではありません。それは自分の信念と判断でやっていること、と説明しています。
     本書から学ぶポイントは、自分の仕事を天職と信じ、妥協を許さず邁進すること、現場に常に身を置き、誰よりも自分がリーダーシップと卓越した技術を発揮すべきこと、専門性の追求と平行し、知識や教養の横展開を図って人間力を高めるべきであること、自己犠牲と自己責任の精神を併せ持つこと、と解釈します。
     心臓外科医というプロフェッションを通じ、自分の職業倫理を揺さぶられる一冊でした。

  • 闘う心臓外科医、すべてがポジティブ、ゴッドハンドは努力の賜物、読むと気合が入ります。

  • 494

  • プロ意識がすごい。自分に厳しく、すべての時間を患者さんのために費やしている。
    あまったれの自分に、喝!を入れてほしい方に是非。

  • 登録番号:11311 分類番号:289.1ア

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著者プロフィール

天野 篤(あまの あつし)
心臓血管外科医。順天堂大学医学部教授。
1955年、埼玉県蓮田市に生まれる。
1983年、日本大学医学部卒業後、医師国家試験合格。関東逓信病院(現・NTТ東日本関東病院。東京都品川区)で臨床研修医ののち、亀田総合病院(千葉県鴨川市)研修医となる。1989年、同心臓血管外科医長を経て、1991年、新東京病院(千葉県松戸市)心臓血管外科科長、1994年、同部長。1997年、新東京病院での年間手術症例数が493例となり、冠動脈バイパス手術の症例数で日本一となる。2001年4月、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授。
2002年7月、順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。
2012年2月、東京大学医学部附属病院で行われた上皇陛下(当時の天皇陛下)の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。
2016年4月より2018年3月まで、順天堂大学医学部附属順天堂医院院長。
心臓を動かした状態で行う「オフポンプ術」の第一人者で、これまでに執刀した手術は9000例に迫り、成功率は99.5%以上。



「2020年 『若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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