- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862483683
感想・レビュー・書評
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安全装置が暴走し人々を攻撃するSFを思わせる表題であるがもちろんそんなことはない。
年々高まるセキュリティ意識というものがどこから来てどこへ向かうのか、その行き先へ警鐘を鳴らす。
例えば監視カメラについて、このような流れがあるとしている。
・サリン事件が地下鉄の車内で起きた
→サリン事件捜査の陣頭指揮に当たっていた国松長官が狙撃される
→鉄道車両内のセキュリティを向上させたいが、「監視社会!」という反発が予想される
→痴漢防止キャンペーンを大々的に行い、これまで黙っていた被害者も声を上げるようになり、実数はさておき認知件数が激増(97~07年で3倍:被害者の「発見」)
→並行して「痴漢冤罪」も増える
→「痴漢も痴漢冤罪も防止するために、車内カメラをつけましょう」という意見が受け入れられやすくなる
非常に大雑把なとらえかたではあるが、大筋では大体この通りであるような気がする。このようにして世論を誘導しているというわけだ。
最近では高齢者による自動車暴走事故が頻繁に報道されるが、統計上の数としては特段増えているわけではない。しかし繰り返し報道し、被害者の悲しみを大々的にクローズアップすることで規制強化、例えば自動車に何らかの安全装置を取り付けることを義務化すれば、そうした機器の取り付け需要、さらには自動車そのものの買い替え需要を喚起できる。公安委員会は道路行政を通じて自動車業界との結びつきも強いということから、なんとなくいろいろなことを想像できる(本題ではないのでここでは断言しない)。
「少年犯罪の凶悪化」なんてものも叫ばれるが、これだってデータ上は増えるどころかむしろ減っている。しかし「体感治安」なる怪しげな指標が跋扈する。
凶悪な少年犯罪を繰り返し報道し、「凶悪な少年犯罪は指弾すべきものである」という教育が施されたために世論がそれを覚えただけの話であって、「昔はこんなことをする少年はいなかった」というのは、それを殊更問題視する世論ではなかっただけの話である。
不安を煽ることで高価な壷を売りつける霊感商法と原理的には大差ないわけであるが、それでもいくらかは効果がある(たとえば監視カメラの映像によって相手の罪や自分の無罪を立証できる)からこそ、なんとなく良いものとして広く受け入れられてしまう。
過剰なセキュリティはコスト増になるが、薄く広く負担するために、また「ゼロリスク」を望む声もあるだけに、今後もセキュリティの壁はどんどんと高くなっていく。
約十年前の著であるが、2017年の現在にも通じる良書であると思う。
巻末に哲学者との対談があるのも、セキュリティというものの意義を考える上で非常に参考になる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本はこれまで悩んできたことについてある種の答えを与えてくれました。でも最後の対談にフーコーまで出てきたのに、犯罪社会学の範疇を超えられないのは学者の性か?
統制・管理は世界的な潮流の中でとらえる視点も欲しかった。
世界は監視社会に向かっているのですから -
治安は全然悪くなってないのに、暴走する一方のセキュリティ意識についての警鐘。
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2009.07 セキュリティーがあまりよくない意味で独り歩きして拡大してしまっている。必ずしも良くない傾向だが、こと個人に立ち返ると求めてしまうセキュリティー。あー難しい問題だ。
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凶悪事件、少年犯罪は統計上減っているにも関わらず監視・厳罰化が進むのはどうしてか。