集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)

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  • 風行社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862581044

感想・レビュー・書評

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  • 著者のスタンスは「あとがき」に明快に述べられている。本編を読む前と読んだ後に「あとがき」を読むとよい。法人としての「国家」とその関係から導き出される「国民」あるいは「臣民」、そして「人民」「人権」という概念が、「自衛権」という問題を考える上で重要であることを気づかされる。また戦後日本の安全保障論議で展開された、「個別的自衛権/集団的自衛権/集団安全保障」、「必要最小限度/それ以上」、等の線引き問題等について、わかりやすく整理されている。と、読後に書いたのだが、その後、 水島朝穂氏が篠田氏による本書、『ほんとうの憲法』、ブログの内容を批判している文を、水島氏のウェブサイトで読み、なるほど、と思った。またそれに対する篠田氏の反論は水島氏の指摘にまともにこたえていない。米軍の存在を前提に9条について考えるべき(憲法だけを見て9条を論じるべきでない)という篠田氏のスタンスはもっともだが、学者として批判したことに学者として反論されたのだから、篠田氏はそれにきちんと答えるべきだろう。そうでなければ、氏への信頼は自ずと揺らぐ。いずれにしても、本書を読むのにあわせて、水島氏による批判を読むことをおすすめします。

  • 集団的自衛権が戦後の日本でどのように論じられてきたかを丹念に分析し、現在の安保法制(安全保障関連法)がどのような位置にあるのかを示したものである。非常に難解な憲法学者たちの議論も丁寧に取り上げられている分、自分も副務素人にはハードルが高いように感じた。

    しかし、「今や日本国憲法の国際協調主義は、瀕死の重傷を負っていると感じる。このまま死に絶えてしまう恐れすらあると思う。なぜこんなことになってしまったのか。」という問いかけは充分に共感できるし、その歴史的プロセスの解読が重要だということもよくわかった。

    また筆者は政府が結局採ることのなかった2008年安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)報告の意義を評価する。たとえば「集団的自衛権行使を違憲とする見解により、『北朝鮮ミサイルを追尾する日米イージス艦の共同行動が行われているが、その際、我が国の海空自衛隊がこれを掩護できない』問題などを指摘し、日米同盟の信頼性の維持のために対処が必要だと論じ」たことを指摘している。

    今まさに集団的自衛権行使の瀬戸際にある状況で憲法9条と安保体制の思想史的分析がいかなる力を持ちうるのかはわからないが、たとえば「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」という根本規範を擁護するという「立憲主義」に基づく国際協調主義が求められることはまさにその通りであろう。

  • 日本国憲法制定の経緯から、宮沢俊義の変節、そもそも入り口から間違って来た、日本の自衛について、内閣法制局の見解の変遷をキーにたどる。

    最初をきちんとしてないから、本質的な議論が出来ない。米国の思惑と、軽武装経済発展、冷戦などに左右されてきた。
    んで、声の大きい奴の言うことが影響するし。

    篠田先生の憲法議論は、素直で分かりやすい。

    なんか憲法本読むといつも思うんだが、憲法学者って、この憲法が日本のためになっているのか、なってなければどう言う憲法がいいのかって議論、一切やんない。
    聖書の解釈やってるみたいなもんだよな。コネクリ回して、権威になって、どこかの世界の坊主と変わんねえ。
    憲法改正なんかされたら、飯の種なくなるから、必死だよな。

  • 自衛権に関して、憲法の国際協調主義を中心にした憲法解釈ではない、国際政治事情を過度に重視した憲法解釈を批判する。

  • この問題に関心のある人にとっての必読書。
    国際法の文脈で理解すべき自衛権(その場合は個別と集団とを分ける必然性は大きくない)を、憲法の解釈の文脈「のみ」で整理しようとすることによって噴出する矛盾。

    私の解釈がやや入ってしまうかもしれないが、集団的自衛権行使反対を叫んだ人々は、結果的に米国との軍事同盟を強める方向に物事を動かしてしまった。
    というのは、「集団的自衛権を持っているが行使できない」という解釈自体が、現行憲法のもとで米軍基地を国土に持ち続けることの矛盾をかわすためにひねり出された論理だからだ。そして悲しいことに、それはベトナム戦争のさなかの沖縄返還で論点になったことだった。

    本来、憲法のもう一つの柱である国際協調主義の文脈で集団的自衛権を考えるべきであったのに、いつしか「(武力行使の)『最低限』なことが合憲で、『最低限』ではないものが違憲だという思想が、日本の憲法をめぐる議論に広範に染みわたっていった」(P173)。

    このような解釈が定着する根源は、実は旧憲法の理論的牙城であった東大法学部のドイツ系「国家法人説」を、英米流立憲主義の色濃い新憲法においても援用した(つまり「国家自体を守る」という思考を許した)ことにある、との指摘にするどさを感じる。

    保守もリベラルもないフェアな本。

  • 2016.11.05 池田信夫氏、池内恵氏、篠田英朗氏

  • 安保法制について問題になった集団的自衛権について、歴史を追って検討する書物であるが、おそらく、著者のせいではなく、とにかく理解しづらい。このような検討が憲法学者でなく、国際政治学者が実施しているところが、問題の根の深さを感じる。

  • 本書は憲法を相対化するのでなく、憲法解釈を相対化する。憲法学者が演繹的な解釈世界を作り上げてきたことに対しての挑戦状である。
    新憲法が日米安保とパッケージ化されてきた歴史、英米法的条文を意図的にか大陸法的に読み込もうとしてきた経緯などが述べられる。国家を統治権の主体として見たがる憲法学者に対して、本書のように国民の信託による機関とみた方が、イデオロギーの戦いが終わった現代において、極めて自然に感じる。
    また、他にはあまり聞かない議論に、沖縄返還と集団的自衛権の公式化が期を逸にしていることの指摘がある。それは様々に解釈できるだろう。もし在日米軍の他国への武力行使=日本の武力行使と見做されることを回避するための布石であれば、かつて小泉純一郎が「自衛隊が派遣される場所だから非戦闘地域だ」と言い張ったことと同程度の詭弁であり、憲法学者がそんな帰納的な解釈の産物を後生大事にしてきたとはなんとアイロニカルだろうか。
    著者は国際協調の視点から、新たな憲法解釈の可能性を提示する。何かに協調するということは、一方の何かには協調しないことである。協調すべきものの選択基準が、本書の批判するところの専門の学者の恣意的解釈とならないことを願う。

  • 憲法9条に照らした自衛権解釈が時代によって変遷する様子がよくわかる。

    サンフランシスコ講和条約発効時、防衛力は駐留米軍しかなく、集団的自衛権は当たり前の前提だった。

    憲法9条=個別的自衛権となったのは、ベトナム戦争への巻き込まれリスクのあった1972年。
    その後明らかに集団的自衛権の行使である日米安保条約と、個別的自衛権に縛られる憲法解釈の板挟みとなる。

    結局内閣法制局の憲法解釈は、政治状況に左右されるということだろう。

    憲法学者は師弟伝来の教義に縛られ、憲法は国の原理を定めるものではなく、国民が国家権力を縛るものだと言い続ける。
    憲法学者に未来はない。

  • 安保法制は、従来の日本の安全保障のあり方を固定化するものであるとし、その際にキーワードになる、憲法9条、集団的自衛権といった概念が、日本の安全保障において、どのような立ち位置にあったかについてまとめた本。
    著者は、平和構築を専門家にする国際政治学者であり、憲法学者ではない。そのために国際政治学からの立場から憲法や概念の変遷がまとめられているのは貴重である。

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著者プロフィール

1968年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。同大大学院政治学研究科修士課程修了。ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)博士課程修了、Ph.D.(国際関係学)を取得。広島大学准教授、ケンブリッジ大学客員研究員などを経て、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授(国際関係論)。著書に『平和構築と法の支配――国際平和活動の理論的・機能的分析』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『国際社会の秩序』(東京大学出版会)、『「国家主権」という思想――国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『国際紛争を読み解く五つの視座――現代世界の「戦争の構造」』(講談社)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)など多数。

「2023年 『戦争の地政学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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