半難民の位置から: 戦後責任論争と在日朝鮮人

著者 :
  • 影書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877142872

作品紹介・あらすじ

「日本人としての責任」をめぐって-半難民=在日朝鮮人の視座から、自らの国民的特権に無自覚な日本人マジョリティの戦争・戦後責任を鋭く問う。『分断を生きる』に続く待望の第3評論集。花崎皋平氏との論争を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 初めて読んだとき自分の中にわき上がった何ともいえない感覚に、何度読んでも再びとらわれてしまう。ともすればやすきにながれがちな自分の立ち位置を、少なくとも「それでいいの?」と少しは動かしてくれる、そういう本です。それは少なくとも浅薄な「血債」論を「答え」として提出することを許さない。
    「『頽落』という言葉がある。頽廃しつつ転落するさまである。ここ4、5年の日本社会を言いあらわすには、この言葉がぴったりだと私は思う。ひとつの社会がこうもやすやすと頽落していくとは、不覚ながら予想できなかった」(361ページ「あとがき」より)「リエパヤの女性たちとの連帯において失格した私たちは、いまもウクライナのボムズたちとの連帯において失格している。世界のいたるところで、人間は人間との連帯に失敗を重ねている。しかも自らの弱さ、卑怯さ、あるいは愚かさのゆえに、そのことから目を背けているのだ。これは『意図的な怠慢』ではないのか」(13ページ「身を灼く恥」より)といった文章がとくに印象に残ります。花崎皋平さんとの論争(「あなたはどの場所に座っているのか」)、「記憶・証言・断絶〜植民地認識の継承に関する私論」、など全ての収録作品は、何度でも読んで何とか少しでも消化したいと思わせてくれます。そして強烈なのが「母を辱めるな」という文章です。少し長いけど引用を、、。「『朝鮮、帰れ』ーああ、何と聞き慣れた台詞だろう。私自身も幼い頃、子どもどうしのケンカになると最後にはかならず『チョーセン、チョーセン、帰れ、帰れ』とはやされた。『チョーセン、チョーセン、パカ、スルナ、オナチメシクテ、トコチガウ』と、近所や学級の子どもたちが大声で歌いはやした。大人たちが教えなくて、どうして子どもがそんな台詞を知っているのだろう?『チョーセン』とは何のことか、なぜ『チョーセン』である自分がこの日本にいるのか、どこに帰れというのか、何もわからないまま、泣くまいとして口をへの字にまげて帰宅すると、何も言わないうちに母はすべてを見通して、無条件に、ただ無条件に私を抱き締めたものだ。ことの経緯を聞くでもなく、ケンカの理由を問うでもなく、理由の如何にかかわらずケンカはいけないなどと退屈な市民道徳を諭すこともなく、ただ無条件に私を抱き締め、母は低い声で私の耳に何度も何度も繰り返した。『チョーセン、悪いことない、ちょっとも悪いことないのやで』。その母の力で、私はまた、真っすぐに立つことができたのである。どうして母は、あれほど揺るぎのない態度で『チョーセン、悪いことない』と言い切ることができたのだろうか?自分自身も幼いときに日本に渡ってきて、差別と侮蔑にさらされ、学校にも行けず、朝鮮民族の文化や歴史を知らず、文字すらも読めなかった母が。その上、母は後年、息子ふたりを韓国の監獄にとらわれることになって、再び何度も息子たちを抱き締めなければならなかった。『ぺルゲンイ(アカ)、悪いことない』と。母に守られ、母のあらゆる犠牲の上で、いわば母の肉を喰らって、私は学校へ通い、文字を覚え、『知識』なんかを身につけ、いつの間にか小ざっぱりした中産階級のなりをして、きいたふうな口をきいている。母が世を去った2年後、まだ獄中にあった兄のひとり(徐俊植)が母の夢をみたと手紙に書いてよこしたことがある。夢の中の母はバスの停留所でひとり立っていた。嬉しくて駆け寄ってみると、母は鼻を赤くして泣いていた。『お前たちがみんな立派な人になってくれるようにと大学に入れてみたら、大学で難しい勉強をしてきては、みんなこの母さんを無学だと言って蔑むではないか。お前たちは学のない母さんを恥に思っているのではないか。だから私独りでどこか遠いところへ行って暮らすつもりだ』兄は夢の中で泣き、夢から覚めて『イザヤ書』53章を思い出したと書いていた。宋神道さんを思うとき、私は母を思う。母を思うとき、宋神道さんや多くの元『慰安婦』を思う。侮られ、人に捨てられた人、顔を覆って忌み嫌われる人。私たちの病を負い、私たちの悲しみを担った人。この人を、わたしたちも尊ばなかった。植民地支配と戦後日本の差別社会の中で、民族分断体制と反民主強権政治の下で、つねに踏みつけにされ、軽んじられ、小突きまわされるように生きてきた人。富も地位も権力も知識も持たなかった人。だからこそ、まさにその故に、『自分たちは悪くない』と、一点の曇りもなく信じていることができたのだ。母たちは、その打たれた傷によって私たちを癒したのである」(33ページ)

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著者プロフィール

徐 京植(ソ・キョンシク)1951年京都市に生まれる。早稲田大学第一文学部(フランス文学専攻)卒業。現在、東京経済大学全学共通教育センター教員。担当講座は「人権論」「芸術学」。著書に『私の西洋美術巡礼』(みすず書房、1991)『子どもの涙――ある在日朝鮮人の読書遍歴』(柏書房、1995/高文研、2019)『新しい普遍性へ――徐京植対話集』(影書房、1999)『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社、1999)『新版プリーモ・レーヴィへの旅』(晃洋書房、2014)『過ぎ去らない人々――難民の世紀の墓碑銘』(影書房、2001)『青春の死神――記憶の中の20世紀絵画』(毎日新聞社、2001)『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)『秤にかけてはならない――日朝問題を考える座標軸』(影書房、2003)『ディアスポラ紀行――追放された者のまなざし』(岩波書店、2005)『夜の時代に語るべきこと――ソウル発「深夜通信」』(毎日新聞社、2007)『汝の目を信じよ!――統一ドイツ美術紀行』(みすず書房、2010)『植民地主義の暴力――「ことばの檻」から』(高文研、2010)『在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社、2012)『フクシマを歩いて――ディアスポラの眼から』(毎日新聞社、2012)『私の西洋音楽巡礼』(みすず書房、2012)『詩の力―「東アジア」近代史の中で』(高文研、2014)『抵抗する知性のための19講―私を支えた古典』(晃洋書房、2016)『メドゥーサの首――私のイタリア人文紀行』(論創社、2020)ほか。高橋哲哉との共著『断絶の世紀 証言の時代――戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店、2000)『責任について―日本を問う20年の対話』(高文研、2018)や多和田葉子との共著『ソウル―ベルリン玉突き書簡――境界線上の対話』(岩波書店、2008)など。韓国でも多数著作が刊行されている。

「2021年 『ウーズ河畔まで 私のイギリス人文紀行』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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