永遠の仔 下

著者 :
  • 幻冬舎
4.02
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本棚登録 : 2187
感想 : 217
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  • Amazon.co.jp ・本 (493ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877282868

感想・レビュー・書評

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  • やっぱり思ってた通りの状況だった、ユウキは。

    でもどうして、子供を虐待できる親が存在するんだろう。
    それをする親と、しない親の差は、一体何………?
    意外と、紙一重だったりするなら、とても怖い。

    この本にも何度も書かれているように、子供が全く悪くないのに、「自分のせいなの?」って思わせてしまうことは、本当によくないことなんだなと思った。
    自分の子供たちには、絶対そんなこと思わせないようにしよう、と心に誓いました。

  • 重い…救いのない話だけど過去と現在を交差する展開に引き込まれました。

  • 10年前にドラマを見て、いつか読もうと思っててやっと読んだ
    今さら感が漂うなぁ

    まぁ、読んで楽しい本ではないのはわかってたけど、やはり重い
    でもまぁ、ドラマだと子供視点での印象が強いけど
    本で読むと多少は客観的な視点で見られる
    だからこそ、病院の対応はそんなにひどいものではなかったとも思える

    ってか、それにしても救われない話しだなぁ

  • 身内や大事な人を傷つけて。反省するんだけど、繰り返してしまう。
    そんな自分にジタバタしていたので3人の不器用さに共感してしまった。

    3人の子供の頃の病院のシーンが作中で一番安心するシーンだった。
    上巻で言った「おいていくな」そしてこの巻の「あなたの魂は、美しいままです。」心の叫びだよね。

    優希は生きている彼と支え合って生きていってほしい。
    Aが駄目ならBでって事じゃなくて、読んでいる私がそういう救済を求めているのかもしれない。

    一番好きな人とは幸せになれないという話を聞くけど、
    ジラフもモウルも優希も、何でも分かりあえるし許し合えるからこそ一生を沿わせられないのかとも思った。
    女性患者さんの話とつれあいの方をイメージしたらそう思った。

  • 2021/07/19-07/24

  • 優希の入院の理由がついに明かされる。
    そして17年前の事件の真相も・・。
    優希の父親を殺したのは誰だったのか?

    これだけ長い物語にも関らず、誰も救われる事のないラスト。
    特に優希は周りにいた人間の殆どを亡くしてしまう。
    新しい土地に渡り、これから彼女はどのように生きていくつもりなのだろうか・・・。
    ラストに満足できなかったので、この評価に。

  • 親によって不幸な人生を運命付けらてしまった憐れな仔たち。
    大人になっても救いはなく、世界はどんどん生きにくくなる。

    かなり長いが、
    章が一定のタイミングで切り替わるので、
    整理がつきやすく読みやすい。

    不幸のきっかけは誰かのエゴだ。
    エゴが感染して、誰もが救いを求めて必死にあがく。
    タイミング噛み合わない不運も重なって、
    彼らの人生は不幸しか生まれない。

    根底に優しさを流して、
    他に手がなかったのかと思わずにはいられない。
    暗く深い暗闇の話だが、
    それでも最後に優しさを読者に導く。

    事件は二転三転するが、この話の本筋はミステリーではない。
    しかし本当に伝えたいはずの悲劇が、
    度重なる不運にかき消されているような気がした。

  • 再会は地獄への扉だった。十七年前、霧の霊峰で少年たちが起こした聖なる事件が、今鮮やかに蘇る―。山本周五郎賞受賞作から三年余。沈黙を破って放つ最高傑作ミステリー。


    アマゾンレビューを見ると絶賛の嵐。
    なるほど文章は秀逸で、重くて暗いのに引き込まれて、1000ページ弱ある上下巻をあっという間に読み切ってしまった。
    病院の設定はともかくとして現代社会の闇と、その子どもへの影響も妙にリアル。

    ただ、「最後の二行に救いが」と書いてあるものが多かったけれど、私はそこに救いや希望が見出せなかった。
    だってそれまでがあまりにも痛くて、哀しい。

    重松清の『疾走』を読み終えた後の感じに似てるかもしれない。

  • 父として、夫として、子供として、男として、無力感がぬぐえない、悲しさがとまらない・・・。

  • <途方にくれて>
    レインという学者の、「狂気と家族」という本を読んだ時に、円朝の怪談話が頭の中に浮かんだ。何代か前の罪によって、罪のない子孫が代々にわたって祟られていく。読んだ当時は、結局、怪談というのは、解消されない無意識のトラウマという因果が何代にもわたって、無意識を経由して、祟るプロセスを記述したものなのだと、分析できたことを無邪気に喜んでいた。しかし無意識の遺伝ということの怖さをはじめて認識したのも事実だ。

    親になりきれない親に傷つけられた3人の子供の話だ。精神に傷を負った3人が出会う病院での子供時代と、それぞれに成長した3人が再び出会う2つの時代が交互に語られていく。そして、それぞれの精神の傷の謎と、おかした罪と罰が描かれていく。実の父親がトラウマの源であるヒロインは大人になって献身的な看護婦になっている。2人の男の子はそれぞれ母親を原因とした傷を負い、それぞれ孤独な弁護士、刑事に成長している。それぞれの人生は、重苦しく、出口がない。

    普通の親に普通の愛情を注がれるということが、いかに幸福なことなのか。作者が、綿密に描き出す闇は、圧倒的な力を持っており、自分をその場に置き換えたなら、まさにそこに展開すると同様な人生が反復されるに違いないと思わせるほどだ。

    家族というものをめぐる大きな物語が崩壊したあと、偶然にこういった物語を共有する人々だけが、確率的に普通の家族を享受できているのかもしれない。過去の経緯から親になりきれていない親によって育てられていくということの絶対的な恐怖。社会学者は家族というものについてこう語る。

    「たしかに母親は、多くの場合現実に子供を産んでいるわけだが、その事実によって母親であるのではない。人間は、ただ生まれただけでは、社会のメンバーになることができない。そのあと長い養育の期間を経て、ようやく一人前の人間となる。親であるとは、この養育の責任を引受けるという、社会的役割のことである。」(橋爪大三郎 言語派社会学の原理 洋泉社)

    子供を育てるという義務には世代的なねじれがある。自分を育てくれた親の愛というものには狭い意味での経済合理性はない。それは愛という形で語られる、類としての人間への個人の負債である。だからその義務をきっちり果たさない親に育てられた子供が親になった時、彼らには自分の負債を返済するための心理的なもとでがない。まわりは親としての義務を押し付けてくるが、自分の心理の中では、幼児期の親からの愛をもらい忘れたという想いによって、自分が親になることを拒絶するようになるのだろう。ある世代で、置き去りにされた負債は、こうやって何代にもわたって返済の失敗をまねくのだ。

    「ときどきこの世界って、親が大人とはかぎらないってことを、忘れるみたいね。子どものままでも、親になれるんだから。親ってだけで、子どものすべてをまかせるのは、子どもに子どもを押しつけている場合もあるのよ。子育ては競争じゃないって伝えるところが、どうしてないの。支える道も作らずに、未熟な親を責めるのは、間接的に子どもを叩いているのと同じかもしれないのに。」

    未熟な親を、以前はおせっかいな共同体が見張っていた。未熟な親が類に対する責任を果たすことができるようなシステムがそこにはあった。核家族の中で、未熟な親たちは途方にくれているのだ。子どもたちが、肩を寄せ合い、そこで癒される場であるクスの大木がある森の描写はとても美しい。森は、そういった親という暴力から逃れる唯一の場所なのだ。核家族の時代の、野生の場はどこなのだろうかと、少々絶望的な気分になった。

著者プロフィール

天童 荒太(てんどう・あらた):1960(昭和35)年、愛媛県生まれ。1986年「白の家族」で野性時代新人文学賞受賞。1996年『家族狩り』で山本周五郎賞受賞。2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞受賞。2009年『悼む人』で直木賞を受賞。2013年『歓喜の仔』で毎日出版文化賞を受賞する。他に『あふれた愛』『包帯クラブ』『包帯クラブ ルック・アット・ミー!』『静人日記』『ムーンナイト・ダイバー』『ペインレス』『巡礼の家』などがある。

「2022年 『君たちが生き延びるために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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