- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877284671
感想・レビュー・書評
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「少女」が出生にまつわるトラウマを乗り越えて、街に生きる自由な「獣」の本性をとりもどす物語です。
主人公の女子高生ユーリは、仲間のケンジ、イズミとともに、テレクラ、援助交際、オヤジ狩りなどの行為をくり返していました。彼らのだれもが、自分たちは「獲物」たちとは違うと自分自身に言い聞かせながらも、ほんとうの自由と強さをそなえているわけではありません。
イズミは、自分や妹に性的な関心を向ける父を殺し、その父にすがりつくだけの母をうしなうことで、そして、中学の頃に受けていたイジメを忘れるために足が不自由なふりしていたケンジは、ユーリと一緒にいることを願うことで、「獣」の本性をとりもどします。
ユーリもまた、うちに眠る〈それ〉のために、自由に人を愛することができないでいました。彼女が〈それ〉を飼いはじめたのは、ホテルで母親が男と会っているあいだに車のなかで死に直面していたことがきっかけでした。以来彼女のなかに、自分自身の愛や悲しみ、絶望といった感情から切り離された〈それ〉が住み着くことになります。ある日彼女は、テレクラで知り合ったマキガミという男とのセックスによって、〈それ〉を支配されることになります。彼女はケンジとイズミの説得に背を向けてマキガミのもとを訪れ、あの日ホテルで母親と会っていた男がマキガミだったことを聞かされることになります。
マキガミは、愛をささげていた少女ルミカとその母親によって殺され、ユーリ自身も室内に閉じ込められます。そこで彼女は、5歳のとき車の中で熱に焼かれた記憶のフラッシュ・バックと戦い、部屋を脱出してケンジのもとへと歩み出します。
第一作の『イノセントワールド』に比べると物語の構造がわかりやすいのですが、やや平板に感じてしまったのも事実です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
多分初めて読んだのは高校生くらいのとき。当時桜井亜美はけっこう流行ってた。何冊か読んだはず。久々に読むとあまりの感性の若さとグロい表現にうんざり・・・この後、ケータイ小説とか流行らなかったっけ。ケータイ小説、懐かしい。1冊も読んだことないけど。
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PTSDの描写がリアルです。
きっとPTSDを知らない人には、ただ傷つく事を恐れているだけの臆病な高校生、としか思えないのではないでしょうか。
きっと著者はPTSDを深く調べたのしょう。
単なる心の傷では無く、「トラウマ」と戦う少年少女たちのストーリーです。 -
若い世代の新しい文学のような気がする。
希薄なる生き方。
おさない頃、炎天下の車中に取り残され
意識不明になったことがトラウマとなり、
人を愛することができない女子高生(ユーリ)。
テレクラ、援助交際、オヤジ狩り。
中学1年生からテレクラに電話をかけ、それを記録していく。
それが一種の日誌。9冊にもなる。
Q quarry 獲物 P plunder 略奪
「今日はどんな不幸な少女になって金をむしり取るか。
考える時間はとても気分がいい。」
<それ>に見えるようにすべての表情を消し去った。
<それ>は誰とも言葉を交わさず、
思考の交換もしない。
生命そのものに何の目的も持たないから。
愛や悲しみ、絶望なんて過剰な生体反応は、一切おこらない。
頭上から伸びてくる巨大な舌が、あたしの身体をなめ尽くす、
逃げ場のない熱気が、じりじりと皮膚から吸い尽くす感覚と
ともによみがえってくる。
ラップをかけられてトレイにのせられ、
電子レンジで加熱されている魚みたいに、
熱は容赦なく内蔵まで突き刺さっててくる。
全身が乾燥フルーツのように水気を失い、
みにくく皺くちゃの老婆のようにちじみあがっていくのが、
自分の目に見えている。
ゲームのように男たちを狩る。
ここでは「少女」たちに欲情する中年男性たちは、
「獲物」でしかなく、社会的な処刑をする。
PTSD 心的外傷後ストレス障害 -
・いつだって愛される自信なんかない。だから誰も愛さないふりをするのが、プロのデークラ嬢なみにうまくなった。
・「だから、あたしは『もの』みたいになりたいと思った。傷つけたり、傷つけられたりするぐらいなら、何も感じない方がまだましだから」
・あたしは傷つくかわりに、どう扱われても大丈夫なように、自分を「もの」にすることにしたの。 -
ベンツのマーク
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(メモ:高等部2年のときに読了。)
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すらすら読み進めることができました。