- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877287047
感想・レビュー・書評
-
この本はずっと前から読もう読もうと思って、そのままズルズルと来てしまった本でした。今回の震災を受けて、できることなら被災した現地の方にぜひ読んでいただきたいものです。
この本は前々から読もう読もうとは思っていたんですけれど、それがかなうことのないままに、今の今までズルズルと来てしまったので、今回この機会がすごくよかったものとして一気に読んでしまいました。あらすじの中にある
「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」
や
「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」
という言葉に僕は胸を打たれましてね。特に今、このご時世だからこそ、心に響くものがあると考えます。
僕は元来ひねくれ者で、
「そうだよなぁ、がんばれがんばれっていわれたって、何をどこまでガンバりゃいいのかね?」ということをずっと思いながらページをめくっていると「たゆまぬユーモアは頑健な体をしのぐ」と銘打たれた箇所が出てきましてね。その途中でナチス・ドイツがアウシュヴィッツでやった事が出てくるんですけれど、その中で生き延びたユダヤ人は毎日何かひとつ面白い話を作って、それをお互いに披露しあう。過酷な状況でよくそんなことを考えつくなぁ、と最初は驚いたのですが、
「ユーモアというのは単に暇つぶしのことではなく、本当に人間が人間性を失いかけるような局面の中では人間の魂をささえていくく大事なものだ」
という箇所がダイレクトに心に響いてきました。
前に
「アリサカくん。日頃マッチョイズムを振りかざしている人って、いざって言うときには案外脆いもんなんだよ。」
という言葉を聴いたことがあって、そんなことを考えておりました。いま、テレビを見ていると、しきりにガンバレガンバレといっておりますが、そういう言葉に疲れ果てた人間こそがこういう本を読んで、明日という日を迎えてくれたら…。そんなことを切に願っています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「人生に対する無意識の甘えがあるような気がしないでもない.そもそも現実の人生は決して楽しいだけのものではない.明るく,健康で,幸せに暮らすことが市民の当然の権利にように思われている最近だが,それは間違っていると私は思う.」
(p.13)
この文章には心が惹かれました. -
五木先生らしい平易で明瞭な文章による、生きることや言葉についての随筆集。題名にもなっている冒頭部分の「大河の一滴」に関する章に最も心打たれた。自分は全編通じて興味深く読めたが、何かストーリーがあるようなの本ではないので、エッセイや評論を読むのが苦手な人はしんどいかもしれない。
-
社会の閉塞感はきっとここに書かれていること。
また読むかも。
でも死んだじいちゃんの話聞いてるみたいで
ちょっと悲しくなる。 -
悩んだときに救われるような言葉が詰まった一冊
20年経っても色褪せる事のないメッセージに心打たれました。
悩み疲れたときに是非手に取って欲しい -
マイナス思考も生きていく上では大事なことであり、ブラスもマイナスも寛容して生きていくことが必要であるということが感じ取れた
-
清濁、陰と陽、男女、排除と包摂。相対する二つの極の間で覚束ないながらもバランスをとりながら人は生きていく、というのがメッセージでしょうか。わたくしにはそう感じられました。
剛性のある建物よりも、しなやかな木造建築の方が長期的に耐性があることもあります。世間や人生をこうあるべき、ととらまえてしまい自分を追い込んでしまうのでなく、生き抜くことに何よりも重きをおいて生を全うすることの尊さを思い出させてくれたような感じを持ちました。
孤独や寂寥を前提とした人生観が、時としてネガティブなものとして見られがちであるものの、大きく喜ぶには大きな悲しみを経ないとわからない、といいます。誰しも、悲しい気持ちや深い懊悩を腹の底に隠して世間を渡っているとも。
君看よや双眼の色、語らざれば憂いなきに似たり。
という言葉に大変感銘を受けました。時々思い悩んだときに、手にとりたくなる本かと思いました。 -
本当のプラス思考とは、絶望の底の底で光を見た人間の全身での驚きである。そしてそこへ達するには、マイナス思考の極限まで降りて行くことしか出発点はない⁉️私はたしかに地獄に生きている。しかし私たちは死んで地獄へ堕ちるのではない。人はすべて地獄に生まれるのである。鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、鳴物入りで祝福されて誕生するのではない。
しかし、その地獄のなかで、私たちはときとして思いがけない歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇跡のような愛に出会うことがある。勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある。人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。皆とともに笑いころげるときもある。
その一瞬を極楽というのだ。極楽はあの世にあるものでもなく、天国や西方浄土にあるものでもない。この世の地獄のただなかにこそあるのだ。極楽とは地獄というこの世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。「地獄は一定」
そう覚悟してしまえば、思いがけない明るい気持ちが生まれてくるときもあるはずだ。それまでのたうちまわって苦しんでいた自分が滑稽に、子供っぽく思えてくる場合もあるだろう。
【リファレンス】
「私たちは、人生は明るく楽しいものだと最初から思いこんでいる。それを用意してくれるのが社会だと考えている。しかし、それはちがう」と作家、五木寛之は同書で断言する。そして、この混迷の時代だからこそ、人生とはそもそも苦の連続なのだと覚悟するところから出直す必要があるのではないかと問いかける。その背景には五木が一時休筆までして学んだ仏教思想がある。
「地獄は一定」は親鸞の「嘆異抄」の中に出てくる有名な言葉。上記はその言葉を著者なりの解釈を加え、現代社会に照らし合わせ、誰にでもわかるように、詩的なまでにシンプルにして解説している部分とも言える。本書は著者の感覚をフィルターにしてかびくさい仏教を現代バージョンにして生き生きと蘇らせたエッセイ集ともいえるのだ。この種のエッセイ集は他に「他力」、「人生の目的」などがあり、いずれもバブル崩壊後に出版され、ベストセラーとなっている。 -
「人はだれでも日々の暮らしのなかで、立ち往生してしまって、さて、これからどうしよう、と、ため息をつく場面にしばしば出会うものなのだ」
ため息をつく最中なんかに、気付きにくいけど。
目の前に現れたり、出会ったりするものがある(わたしには書籍だったり人だったりきっかけだったり??)
後から考えたら、「ああ、あのタイミングで出会うべくして出会ったのか」と、良き思い出になったり、深い感謝を感じる場面は、誰にでも経験があるのかも。
本書は、今では古い。人生本でもあるし、暴露本でもあるし、ある意味、説教本でもある。
だから?なのか、今に通じるし、どんどん嫌われて世の中から消えつつある説教ぽくも読めるのが、心地良くてステキ。
五木さんが、自分をさらけだし、簡易な言葉で語ってくれる。それがいい。それだからいい。
順風満帆なときに読むと説教に聞こえ、暗雲低迷しているときに読むと希望に聞こえる。これもその人の出会うタイミングなんでしょうね。笑
教養いっぱいの、そんな一冊でした!
p.s.
屈原のことを書いてるページが、好きです