- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784879842435
感想・レビュー・書評
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著者・アーダルベルト・シュティフターは、1805年、現在のチェコ南部、ボヘミアを流れるモルダウ川上流の小さな村で生まれている。修道院のギムナジウムで優秀な成績を収めてウィーン大学に進み、法学部に在籍しつつ、自然科学に傾倒し、文学や絵画にも没頭する学生時代を送った。作家としてだけでなく、画家としても才能を発揮した人物である。
本書の作品群は小さい子供を対象として書き始められた。が、結果的には特に子供向けという感じの仕上がりではない。大人が読んでも楽しめるお話になっている。
花崗岩・水晶・白雲母といった石の名前が冠された短編を集めた作品群だが、それぞれは石の説明というわけではなく、その石が著者に想起させた物語と言ってよいだろう。
出てくる人物は、英雄や大悪人ではなく、市井の人々である。どきどきわくわくする大冒険や世紀の恋物語があるわけでもない。
しかし、これがしみじみと読ませる。
まっとうに、時にはいささか頑なに、それぞれの土地で、それぞれの人生を生きている人々が、風景画のように、また博物画のように、書物というキャンバスに封じ込められている。
19世紀のドイツやオーストリアの森林地帯の風景や暮らしが、生活感を持って描かれている。そうした人々が確かにいただろうと思わせる存在感がある。
上巻にあたる本書には、「花崗岩」「石灰石」「電気石」の3編が収められている。
「花崗岩」の主人公の少年は、悪気のない行動がもとで、母をひどく狼狽させて折檻されてしまう。優しく穏やかな祖父は、意気消沈した少年を外へ連れ出し、森を歩きながらさまざまな話をしてきかせる。人々の暮らし方、木々や鳥たちのこと、かつてこの地を襲ったペスト禍。狭い家の中の描写から、広い世界へ、そして過去をも含む大きな視点へと向かう広がりが心地よい。最後には母との和解もなされ、家族の中で育まれることの安心感・温かさを感じさせる1編である。
「赤い鳥」などに採られてもよいような作品だったように思う。
「石灰石」は一風変わった人柄の司祭が主人公である。語り手は司祭の知己を得た測量技師で、2人の間の節度ある友情、司祭のいささか複雑な性格が読ませどころとなる。
石灰石が多いことが特徴である程度で、取り立てて人を誘うもののない、おもしろみがない田舎の風景描写も物語の基調を作っている。
ラストでは、親しみやすいとはいえない司祭が心に抱いていた子供たちへの思いが、慕わしく懐かしく感じられる。テイストはまったく違うのだが、司祭のある場面の行動が、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を少々思い出させる。
田舎を描いた前2編とは異なり、「電気石」の舞台は都会である。ここでは、1つの重苦しい事件が起こる。
事件のせいで1つの失踪が起こるのだが、空き家となった部屋の描写が絵画的・幻想的で非常に美しい。最近、第二次大戦の際に退去したままになっていたユダヤ人の家の写真が公開されたのを思い出した。薄くつもった綿埃が舞い上がる気配すら感じられそうである。
事件のとばっちりを受けた女の子に優しく手をさしのべる女性が印象的である。自分の暮らしを営みつつも、困っている人にはできる限りの援助をする、素朴で力強い倫理観が感じられる。
派手さはないが、飾らず、凛として誠実。そんな印象の作品である。
この著者の風景画というのも、見られるものであれば見てみたいと思う。
*上下巻とも最寄りの図書館の所蔵本だったので、下巻もまた予約本の合間に読むかなと思います。
*自分、そういえば石好きの子供でした。気に入った石をポケットに入れたままにして洗濯して怒られたりしたなぁ・・・とちょっと思い出しました。いえ、本書とはあんまり関係ないんですけど、石、いいよね、という話です(^^;)。
*もう1つ、石で思い出すのは『石の花』。ロシア・ウラル地方の民話を元にしており、労働者の生活を描きつつ、幻想的な場面が印象的なお話です。このお話に出てくるのは孔雀石(マラカイト)でした。 -
端正で静かで緻密で誠実。地味で生活が丹念に描写されている、というと最近読んだのでは「桑の実」が思い出されるが、なんというか両者はまるで違う。(良い悪いではなく)石の名前を付された短篇が収録されている。どれもが実直で誠実な人ばかりが登場し、必ずいくらの誇張も含まれない自然の姿が深くある。「花崗岩」では祖父と孫の語らいでペストの恐ろしさ、人がどのようにそれに翻弄されたか、そこで起きた奇跡のような子供たちの生還が地続きの過去として、周囲の自然を指さしながら描かれる。鳥が唄うという、おとぎ話のようなことが老人の口から語られると、まったくの真実として不思議に真に迫るということが、私はとても気になって好きだった。「石灰石」も地味な地味な自然の描写の中で、測量師が鄙びた土地での仕事をきっかけにある清貧を頑なに維持する不思議な司祭の思いでと遺志を知る。司祭が恥じながらも清潔で美しい白い下着を持ち続けるというのが、とても好ましくて少し切ない。「電気石」は、語り部も前の二篇とは違う痛ましい話であることを前置きし、事の次第を見届けた夫人の語りで話が進む。ある裕福な年金生活者の生活、妻の浮気と失踪、消えた年金生活者と女の子が一体どんな生活をしていたのか、必要以上に想像を煽るような書き方はされていない。ただ男が死に発見された少女の表現しがたい異質さと無垢な彼女が度々父に宿題として課せられた父と母の死についての作文が寒気をさせる恐ろしさだった。彼女は夫人と周囲の人の親切で生活と精神の健康を得て静かに暮らしたと言うけれど、・・・こういうことって、あまりフィクションとも思えず、見えないところで進んでいるんだろうなあ。じんわりと静かに染みいるような読書ができた。下巻も引き続きとりかかる。
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こんなに綺麗な物語は読んだ事がありません
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端正で緻密で静かで誠実。
誇張のないしかし自然を画家の視点で浮き上がらせた
美しい描写と目立たず生きてきた人々の真心が染みる。
憶測をよせつけないとても地味で完璧な小説。
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積読中。
ありがとうございます(^^)。
しみじみと真面目で素朴でよかったです。
フェルスマンの本は知りませんでした。...
ありがとうございます(^^)。
しみじみと真面目で素朴でよかったです。
フェルスマンの本は知りませんでした。ご紹介ありがとうございます。リストに入れておきます。
*石と言えば、いまちょうど、「不思議で美しい石の図鑑」つながりで、カイヨワの「石が書く」を読んでいます。