生きる希望: イバン・イリイチの遺言

制作 : デイヴィッドケイリー 
  • 藤原書店
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (409ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894345492

作品紹介・あらすじ

人びとに「未来」などない。あるのは「希望」だけだ。「最善の堕落は最悪であるCorruptio optimi quae est pessima.」-教育・医療・交通など「善」から発したものが制度化し、自律を欠いた依存へと転化する歴史を通じて、キリスト教‐西欧‐近代の最深部に批判を向けつつ、尚そこに、「今・ここ」の生を回復する唯一の可能性を探る。イリイチの思想の根底が示された最晩年の美しい結晶。

感想・レビュー・書評

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  • 社会

  • キリスト教社会でこのような主張をするのは、かなり勇気のいることではなかったかと思われるが、やむにやまれぬ思いで、システムという権力に立ち向かおうとした著者の熱い思いが伝わってくる。
    それにしても、もう少し訳文を何とかしてほしい。あまりに直訳調のところが多すぎて、意味がよくわからないところが多くあった。

  • イバン・イリイチが登場するまで、「学校」や「病院」は、世界の中でごく自然に自明のものとして存在することを許されていた。しかし、『脱学校の社会』が出版されて以来、学校という制度を見るとき、イリイチの視点を無視してかかることはできなくなってしまった。それほどまでにイリイチの視線は透徹して学校制度の持つ本質的な欺瞞、倒錯を暴き立てていたのだ。

    イリイチがそれに気づくことができたのは、プエルトリコ大学にカトリックの司祭として赴任したことによる。そこで彼は、学校が教会とあまりにもよく似たシステムであることや、不平等をなくすためという学校化のシステムが、逆によりいっそう不平等を蔓延させていることに気づく。その認識が彼に『脱学校の社会』を書かせる。それ以来、学校や病院等の持つ一見善意に見えるケアは、本来人間が持っている能力を奪い、貧しくするものであるという理論の提唱者として、イリイチはあまねく知られることになる。

    社会的な意味における性を表す用語として知られる「ジェンダー」の発見もまた、イリイチを待たねばならなかった。ただ、遺憾なことに「ジェンダー・フリー」などという、イリイチが考えたのとは正反対の使われ方によってだが。両性の平等の権利を主張するリベラルな人々にとって、イリイチの言う男性と女性とが異なりながらも対立しない相補性原理を持つことで成り立つ社会が時代錯誤的なものに受けとられたからだ。

    そんなこともあってか、2002年にイリイチが亡くなったとき、メディアの扱いは過去の人というものであったように記憶する。しかし、現代を覆う不安や無気力な空気は、世界がイリイチが警鐘を鳴らした黙示録的な時代にますます近づきつつあることを実感させられる。この本はラジオ番組向けに録音された内容を文章化したものである。友人を相手に話すイリイチの言葉は親密さに満ちており、語の選び方や例の挙げ方が丁寧で、後期のイリイチがどのような思索を展開させていたかを窺うことのできる貴重な一冊になっている。

    主題は、「最善の堕落は最大の悪である」という一語に尽きる。聖書の中に、イエスが隣人としたい人はと訊かれてその名を挙げる「善きサマリア人」の話がある。追い剥ぎに襲われ溝に倒れていたユダヤ人を同胞が見て過ぎる中、偶然来合わせたサマリア人が介抱し宿賃まで払ってやるという話だが、サマリア人は今ならパレスチナ人に比される外部の人であり、ユダヤ人を助ける行為は同胞を裏切るものである。

    この話が教会でどのように語られるかを調べていくと、人として行わなければならない「規範」として語られてきたことが分かる。イリイチによれば、サマリア人が偶然出会ったユダヤ人を介抱したのは「当為」としてしたのである。それは敵対的な関係にある二人の間に起きた新しい世界の顕現であった。我と汝という関係の中で自発的に起きたものが、教会という制度にかかると、人として守るべき規範という形に世俗化されてしまう。

    イリイチは、信仰の本来の姿が教会制度によって堕落させられたことを「最善の堕落は最大の悪である」という言葉で語る。そして、このキリスト教という制度がいかにして現代社会を生み出したのかを豊富な例を挙げて論証していく。たとえば、本来は善の不在を意味する「罪」が、規範化された社会で法のルールの下に「犯罪」と化していくことで「裁き」が行われるようになる。デモクラシーが尊重されない社会への介入は、こうした論理で行われるようになるというわけだ。

    後期のイリイチは、恩寵としての人生を実り多く生きてきたにちがいない。穏やかな語り口に友と語り合う喜びが溢れ、知的な中にも信仰者としての揺るぎない自覚が見て取れる。現代を読み解く手がかりとして読むことも可能だが、老司祭の信仰告白として座右に置き日々繙くことで、この黙示録的な現代を生きるための希望を見出すよすがとするにふさわしい書物である。

  • 「人間のために」と整備されたサービスが、人間の自律を喪失させていく錯綜と経緯を執拗に追求したイリイチ思想の集大成

    本書は、「脱学校化」論で知られるイリイチの最晩年にインタビュー集だが、イリイチ思想の集大成ともいうべき魅力的一冊だ。

    近現代を象徴する出来事は教育や医療、医療といったインフラの制度化であろう。本来、「人間のために」と整備されたサービスが、人間の自律を喪失させていく錯綜と経緯を執拗に追求し、社会実践の経験から批判したのが異色の思想家・イリイチではあるまいか。

    イリイチは、この本末転倒をどこに見出すのか。氏自身のキリスト教信仰の立場から東西教父の文献を辿り、キリスト教の教会「制度」の逸脱に現代のパラドクスの原因を見出している。始まりは隣人愛だ。それは美しき「善」であろう。しかし、「規範化」されることでその生命は喪失されることとなる。勿論プラスの側面もあるだろう。しかし失われたものの方が多いし、積極的側面をも貶めてしまう。善意の制度化は「栄光」をも権力と金に満ちた業務へと転換してしまう。

    「現代の福祉社会が、客をもてなすキリスト教徒の習慣を堅固なものとして拡張する試みであることには、何ら疑いの余地はありません。他方、それはたちまち倒錯しました。誰がわたしの他者であるのかを選ぶ個人の自由は、サービスを提供するための権力と金の行使に形を変えました」。

    先に「異色の思想家」だと形容したが、イリイチは人生の中盤までカトリック神父として活動を展開している。その経緯ゆえに、氏の指摘は重みをます。思えばイエスはファリサイ派の律法主義を否定したが、制度化は律法主義を再生する。あらゆるものがシステムとして制度化されて効率よく合理的に運用かされればされるほど、律法的なるものは堅固なものになってしまうのだろう。

    いかに「善」から発したものとはいえ、「制度化」は、パラドクスを必然する。システム依存を否定し、地に足をおろした生き方を探るイリイチの営為は、技術理性や特権的専門家集団、そして管理社会の問題を再考するヒントが溢れている。

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