- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909394590
作品紹介・あらすじ
It’s automatic(イッツ オートマティック)!?
誰かのためになる瞬間は、いつも偶然に、未来からやってくる。
東京工業大学で「利他プロジェクト」を立ち上げ、『利他とは何か』『料理と利他』などで刺激的な議論を展開する筆者、待望の単著!
今、「他者と共にあること」を問うすべての人へ。
自己責任論も、「共感」一辺倒も、さようなら。
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偽善、負債、支配、利己性……。利他的になることは、そう簡単ではありません。
しかし、自己責任論が蔓延し、人間を生産性によって価値づける社会を打破する契機が、「利他」には含まれていることも確かです。——「はじめに」より
本書は、「利他」の困難と可能性を考える。手がかりとなるのは、居心地の悪いケアの場面、古典落語の不可解な筋書き、「証明できない」数学者の直観、「自然に沿う」職人仕事の境地、九鬼周造が追求した「私は私ではなかったかもしれない」という偶然性の哲学……など。
「利他の主体はどこまでも、受け手の側にあるということです。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができません」 「利他的になるためは、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要」 ——本文より
意思や利害計算や合理性の「そと」で、
私を動かし、喜びを循環させ、人と人とをつなぐものとは?
感想・レビュー・書評
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利他的な行為は相手にお返しをしなければならないという負債感を抱かせるのだが、一方的にもらってばかりになると、「支配-被支配」の関係がおのずと出来上がる。これが利他的な贈与の怖いところ。ギフトというドイツ語は「毒」をも意味するらしい。
本書が面白い所は、「文七元結」という落語を解説の根拠とした点。この落語のストーリーについては詳しく記載しないが、ある自堕落な男の利他的な行為が連鎖していくような展開だ。その一番最初の起点となる利他的行為が、どのような理由で生じたのか。その解釈によって、落語の中での演じ方が変わるというもの。例えば、相手を見捨てられなかったからとか、見返りを求めてとか、自分を重ねたとか、江戸っ子として義理人情だとか、利他行為は賭博のようなものだったとか。落語は「人間の業」を肯定するものと立川談志。この立川談志による「文七元結」の解釈や葛藤が面白い。この話から、読者は「人間の利他性」とは何かを一緒に考える。
それは、不可抗力的なものである。与格であって主格ではない。オートマティックなもの。衝動的なものである。つい、利他しちゃう(日本語がおかしいが)。利他とは、そういうものである。
ありがた迷惑という言葉がある。施す主体の思い込みで利他行為に臨んでも、相手の感謝が得られなければ、それは利他ではない。迷惑行為や妨害のたぐいである。従い「利他とは社会的文脈によって育んだ自らの倫理観を外圧とした行為」でかつ「相手が有難く享受できるもの」として、私は認識する。
コロナ危機の中で、フランスの経済学者ジャック・アタリの合理的利他主義という考え方に注目が集まった。利他主義こそ、最善の利己主義だとするものだ。マスクで感染を防ぐことが、巡り巡って自らの利益になると。結局、自己満足や利己主義との境目も怪しい。だからこそ「衝動的な行為」が重要であり、「一方的では無い」事が成立要件なのだろう。例えば、自粛警察は利他的ではない事は自明である。社会的文脈に担保されない限られた正義の押し付けは、完全なる利己である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
利他をしようと思うと押しつけになる。
偶然相手が時間が経った時にどう感じるかで利他かどうかが決めるため、特に意識するべきではない。
難しいが、せめて喜んでくれるかなと思ってやったことが喜ばれなくても落ち込まないようにはしたい。 -
「思いがけず利他」中島岳志著、読了。
「利他」という言葉が気になって、「ぼけと利他」「料理と利他」という2冊を読んだのだけれど、なんだか「利他」の解像度が低すぎてイマイチ理解できなかったんですが、この本を読んで、ちょっとスッキリしました。
最初にこの本を読むべきだった!
この本の「はじめに」にも書いてあったのですが、「利他的に行動する」(他人のための行動をする)ことは、素晴らしいこと、という印象はあるけれど、例えばコロナ禍で「医療従事者のために飛行機を飛ばします」とか、「マスクをたくさん用意しました」とか、そんなニュースを見ると、あれ?それって本当に「利他」だけが目的なの?会社の評価を上げたいとか、感謝してほしいという自己顕示欲だったりしない?と思ってしまう。なんだか「利他的行動」には「胡散臭さ」が付きまとう。
「あなたのために」と言った瞬間に、「利他的な行為をしている私、偉いでしょ!」が湧いて出てきて、逆に「利他」から離れていくような気がする。
それが私の中の疑問でした。
人のためにやる、つもりでいても、結局は、自分を守るためであったり、相手をコントロールしたいためであったり、なんか、そんな「したごころ」があるように思えてくる。だからといって、やらないより、やる方が良い気もする。いや、でも、結局「したごころ」が…、と、堂々巡りでわけわかんない〜〜!と。
この本では、いろいろな研究や資料を使って、いろいろな方向から考察してあって、なるほど、なるほど、と読み進めていくうちに、なんだか私の疑問の答えのようなものが書いてありました。
「利他」は、発信した時ではなく、相手によって受信されたときに初めて発動する。
行動を起こした時には「利他」ではなく、相手が気持ちよく受け取ってくれた時点で「利他」になるのだ、と。そして、それは、時に、長い年月がかかることもある。
親鸞の考え方、「自力」と「他力」。
「自力」はある意味「利己」。「他力」は「業」であり、「無」から生まれるもの。「おもわず」「とっさに」自分の意思ではないようなところ(他力)から生まれた行動、オートマティックに発動されるようなものが「他力」であって、「利他」につながる、と(解釈間違っているのかも。ごめん。私の理解ではそうなる)。
だから「思いがけず」「利他」(本書のタイトル)なのか!
とはいえ、結局、どうやって生きればいいのか?という壁にぶち当たるわけですが、私の解釈でまとめると…
自力の限りを尽くすこと、自力では超えられないものにぶつかり、自分の無力を認識した時「他力」が現れる。この偶然を受けるための器として生きていることが重要。その器に「利他」がやって来る。
要するに、真面目に生きればいいのだ、と。「あの人のため」というのが本当に「あの人のため」になるのかどうかわからないと嘆くより、関係性を感じながら、誠実に積み上げていきなさいよ、ということですね。
「利他」「利他」と悩むのはやめて、やれることを頑張る、ってことですかね。
ちょっと「利他」に対する解像度が上がりました。
この状態で、先に読んだ2冊「ぼけと利他」「料理と利他」を読み直せば、違う見方ができそうです。
※本書の途中に出てきた、ヒンディー語の「与格」の話が興味深かった。上の感想にうまく入れられなかったので、欄外に書いておく(自分用メモ) -
利己と利他のパラドクスが面白い。行為が利他的でも動機づけが利己的な場合、その行為は純粋に利他的であると言えるのか?社会的貢献を殊更に強調されると、どうしても企業の利己性を感じてしまう。
利他的であることを意識的に行おうとすると、利己的に転換されてしまう。私がSDGsに感じていた違和感が見事に言語化されていて、非常に嬉しく思いました。
愛知県にある「ちばる食堂」の話も興味深いです。認知症の人を雇い、「注文を間違える料理店」をコンセプトとしているようです。なんて寛容で遊び心があるのだろう。 -
10/29(金)中島岳志×タルマーリー(渡邉格・麻里子)対談 「思いがけず発酵」ライブ視聴チケ...
https://mishimasha-books.shop/items/613988758c1a5b472803c60a
株式会社ミシマ社 | 思いがけず利他 | 原点回帰の出版社、おもしろ、楽しく!
https://mishimasha.com/books/omoigakezurita.html-
他者の利益を優先する「利他」の、 “押しつけがましさ”を考える【書評】|Pen Online
https://www.pen-online....他者の利益を優先する「利他」の、 “押しつけがましさ”を考える【書評】|Pen Online
https://www.pen-online.jp/article/009819.html2022/01/13
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意思や合理性のそとでもたらせるものがあるということば。
利他をめぐる考察の中で、他力や古代インドの与格構文というものが説明される。そんな言語構造があることに驚くとともに、その構造で表せる世界観に感動する。文法の進化とともに落とされていく視点があるということか。
自力自力で意思でガチガチになってる視野狭窄の世界から脱していき、利他を呼び込むヒントに溢れた書。 -
これはちょっと難しい…。
読み通すと、どうしても「じゃ、どーせいっちゅうねん!」と言いたくなってしまう1冊だからです。
著者自身も「おわりに」で、「そうすると、私たちは何をすればいいのかわからなくなってしまいます。」と述べていて、草の根論的なフニャっとした結論に至っています。本編には書けないわな。
まぁでも『暇と退屈の倫理学』でも感じましたが、世の中スカッとロジカルに結論が出るテーマばかりではなく、むしろこの種のテーマに相対した時にこそ人間の地金が問われるのかもしれません。
本著、分量少なめかつ読みやすいので気になったら読んでみていただいた方が早いかと思いますが、様々な例を引きながら「利他」を紐解いた1冊です。
その論考自体は納得のいくもので、本著のタイトルどおり、利他の贈り手からすると「思いがけず」結果的に受け手に感謝されていた、という状態になる。というのは理解できました。
ただ、その上で↑とは別にもう1つ疑問点。
本著では、結果的に自分の利益になるでしょ?という「合理的利他主義」を利他の観点で否定しており、仲間外れレッテルを貼るのは結構ですが、最善ではないにしろ、これを否定しきった先には何があるんでしょう…?
いつか帰ってこいと他人に親切にする振る舞いと、それを否定して触れ合いを拒絶するようになるのと、どちらが世の中を良くするんでしょう。ゼロイチなんですかね。両方認めれば良いじゃない。
(メセナ活動だって、無いよりマシなのでは?というスタンスです)
個人的な思いとして、読書を読んでおしまい、にはあまりしたくないので(いやー面白かったー、だけでも良いんですけどね)、何かしら自分の振る舞いを変えるキッカケになればと思ったのですが、でもひょっとすると、時間差でやってくる利他を受け止められるチャネルが、自分のどこかで開いたのかもしれません。 -
前々から気になっていた本書。タイトルが好き。
読みやすくて一気に読破してしまった。
宇多田ヒカルのAutomaticが鳴りやまない。
与格の考え方がおもしろかった。
利他性というのは舞い込んでくるもの、宿るものなのだな。
「情けは人の為ならず」という言葉がでてきそうで出てこなかった。人に情けをかけると巡りめぐって自分にもよいことが返ってくるという意味だったと思うけど、それだけじゃなくて、情けは見返りを求めるものではないということもあわせて覚えておかないといけない。
見返りを求める利他的な行為はけっきょく利己でしかない。利他を生むのは受け取る側だというのも印象的だったな。なにが他者のためになるかなんてわからないから、受け取ってもらえるかわからないし、自分が思うように受け取ってもらいたいないんて押しつけがましいこと考えないで、目の前の相手に真摯に向き合うことしかできないのだな。
それが偶然の産物になるかもしれない。
偶然性にひらかれた自分でいたいと思う。 -
「『合理的利他主義』は利他ではありません。むしろ利他の本質を崩壊に導くイデオロギーです。」ふだんやわらかな語り口調の著者からすると、これはかなり激しい意見表明に聞こえる。合理的利他主義とは、利他的であるのは、まわりまわって自分に利益がもどってくるからであるという、結局利己的な考え方のことである。その利己的な部分が入ってくると、もはやそれは利他ではありえない。だから、利他とは、偶然に、思いがけずやってしまうものであって、意図的なものではない。自分はなんとも思っていなかったのに、ずいぶん経ってから感謝されたりする。そんなふうに未来からやって来るものなのである。本書の後半を読みながら、ずっと「恩送り」ということばについて考えていた。自分がもらったプレゼントに対してお返しをする。気持ちの問題だし、そうやって経済はまわっていると考えれば悪い習慣ではないのかもしれない。しかし、自分がプレゼントをして、そのお返しを期待するというのはちょっと違うような気がする。自分が受けた恩を、与えてくれた相手にではなく、また別人に与えていく。それはおそらく、同じ時間の中に限らず、過去から現在へ、そして未来へとつながっていくものだと思う。親から受けた恩は、子へ与えればよい。先生や先輩からいただいたものを、生徒や後輩へ受け継いでいけばよい。だれも皆自分一人で生きてきたわけではないのだから、他から何らかの利益を得てきているはずである。そうして生かされてきたことに感謝し、無意識であったとしても何かを他者に渡していくことができれば良いのではないか。皆がそんな思いで暮らしていれば、住みやすい世の中になるような気がする。これは利他ではないでしょうか。たまたま、2日休みが続いたので一気に読み通した。若松さんとの出会いの場面に最も感動した。偶然が一気に必然になる瞬間。そういうことってあるのですね。
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「パンデミック時に一番大切なのは、利他であること」
というのを、どこかで読んでから、利他についてずっと考えていて手に取った一冊。
「だれかのために」と思った瞬間、それは利他ではなく利己的な行為になってしまう。
利他は自分でコントロールできるものではなく、相手次第。つまり利他かどうかを判断するのは相手にかかっている。
だからこそ、先祖に感謝して、いまを一生懸命生きて、自分を開く……というようなことかなと思った。
とても大切なことが書いてあったけど、全部理解できたとは思えないので、しばらくしたら読み返したい。