- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784991044137
感想・レビュー・書評
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白杖(はくじょう)を手にして歩く人がいるのに気づくことがある。
障害物などを探索するかのように白杖を動かして歩くさまは、まるでセンサーが付いているかのよう。だが実際にはセンサーは付いていないので、視覚障がい者が白杖を手にして一人で歩くのを見て、多くの人は「すごい」と言って驚嘆する。
しかし広瀬さんの本を読めば、私を含めた晴眼者(注1)と視覚障がい者とは、基本的には、自分が使いやすい感覚を使って、歩いたり何かをするという点では同じだということに気づかされる(注2)。つまり視覚障がい者が歩くところを「すごい」と思う発想自体が、バイアスのかかった見方だということだ。
(注1)晴眼者(せいがんしゃ)=視覚障がい者の対義語として用いられる。
(注2)広瀬さんの用語使用にしたがい、以下、晴眼者を「見常者」、視覚障がい者を「触常者」と書く。
「同じだということ」についてもう少し詳しく書こう。触常者(特に全盲の方)は確かに視覚を利用して歩けない。ではどうやって歩くかというと、聴覚や触覚(さわって得られる感覚)などの人間のもつ感覚をフル稼働させている。別に超能力やハイテクなんか使っていない。
この本は広瀬さんからの、視覚を最前列に押し出す見常者に対して、視覚以外の感覚を有機的に使う触常者の有益性についての積極的PRだ。断っておくが、それは視覚優先主義の否定ではない。視覚以外の感覚を含む人間の感覚の“多様性”への気づきの促進である。
とは言っても、広瀬さんの縦横無尽とも言えるオリジナルな発想が文字通りあふれていて、正直なところ、それらの波状攻撃にたじろいだこともあった。
しかしまずは正面から受け止めて、適当にフンフンと読み流し(すみません)、そのうえで、触常者の広瀬さんならではの「視点」による、この本の読みどころをあげておきたい。
1 言い換えの妙
「健常者」を「見常者」に。「未開の地」を「未開の知」に。「偏差値」を「偏差知」に。「発見」を「発建」にetc.
これらを“こじつけ”と言うのは早合点。私は見常者の例で気づいた。
健常者も見常者も、点字にすると「けんじょーしゃ」と同様に書く。日常で点字を読み書きする広瀬さんが「けんじょーしゃ」を、より実際に合う形で「見常者」と漢字変換するのは、ごく自然なことだと思い直した。既存の漢字の字画だけしか見えていない私より数歩前を歩いているとまで思えた。
2 ユニバーサル・ミュージアムと民博について
見るだけではなくて、聴いたり触ったりといった人間の様々な感覚によって作品や展示物に相対すべしというのは、一聴したところわかるようでいて、見常者が実践的に理解するのは難しいなと思っていた。
そこで、私は大阪在住でもあるので、これを機会にと、1970大阪万博の跡地にある国立民族学博物館を訪問し、広瀬さんプロデュースの展示を体験してみた。
私が特に注目したのは、「世界をさわる」の展示の一角の「見てさわる」のコーナーにあった民族楽器の一種だ。竹のような細長い筒状で、中には砂時計の砂のような細かい粒子がはいっている。私はその楽器がはじめから目に見えているので、形状からの推測でまずは斜めに傾けてみた。
すぐに不思議な感覚に包まれた。まず中身の粒子が動いて海で波の音を聞くような心地よい音が耳に入ってくる。そして意外だったのは、筒を傾けることで粒子が動くのが流れるような感覚として手に伝わること。その感覚がとても心地よいのだ。
これはうまいと思った。なぜなら、その楽器を鳴らし続けると、聴覚と触覚を前面にしようとするようになり、自然と目を閉じるようになるからである。
3 表紙のイラストと、その点字化されたもの
見常者の私は、この本の表紙にトーテムポールが描かれていることを冒頭に知っている。
実はそのイラストを縁取るように点字が打たれている。「視覚障がい者は、その点字を指でなぞれば、答えを聞かなくてもイラストとして何が描かれているのかをイメージできる」のだろうか?
私は答えを知っているにもかかわらず、いくら指でなぞっても、何の形なのか皆目わからない。トーテムポールの両翼の部分はわかりやすい形なのに、それすらも指でいくら触っても、翼だとイメージできない。つまり触常者ほど触覚が敏感ではないという厳しい現実を突きつけられた気分だ。たぶん多くの見常者は、私と同じことをすれば、私と同じ苦汁をなめることになるだろう。
4 うまいラーメン店の探し方
広瀬さんはラーメン店巡りが好きらしい。でも広瀬さんは全盲で、初めて行く地域でも白杖はラーメン店の場所までは示してくれない。それではどうするかと言うと、「におい」でおいしそうなラーメン店を探すらしい。これは笑えた。なるほど、嗅覚を前面にすれば、おもに店の外観を目だけで探している私なんかよりも、おいしいラーメンにありつけたときの喜びは大きいはずだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示