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- / ISBN・EAN: 4523215005371
感想・レビュー・書評
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1954年イタリア映画。監督はルキノ・ヴィスコンティ。
原作名の”Senso”は「官能」の意とのこと。
主演は伯爵夫人リヴィア役のアリダ・ヴァッリ。それに不倫相手のオーストリア軍中尉フランツ役にファーリー・グレンジャー。リヴィアのいとこでオーストリア占領軍に対抗するロベルト役にマッシモ・ジロッティ。
19世紀半ば、オーストリア軍はイタリアのヴェネツィアを占領していた。オペラ劇場でオーストリア軍将校らに対抗の意志をあらわす観客たち。そんな中でロベルトはオーストリア軍中尉のフランツに決闘を申し込む。ロベルトの身を案じたリヴィアはフランツに近づき決闘を阻止せんとするのだが、フランツに会ったリヴィアは次第に若い彼に心惹かれるのであった・・・。
単刀直入にいうと不倫物です。若い男にのめり込み、不倫の果てに次第に破滅につき進む伯爵夫人リヴィアの姿を描いています。内容はこれだけなのですが(笑)、ヴィスコンティが監督すると華麗で重厚な歴史絵巻を背景に、情熱的な愛情に目覚めた高貴な淑女の悲恋としてかくも壮大に謳いあげるのかと感心してしまいます。極彩色な衣裳と映像、イタリア中世の各所のたたずまい、格調あるクラシック音楽のBGM、そして、圧倒的な戦争シーンと、これでもかと費用を使いまくったように思えるだけの独特な雰囲気を描き出しています。ほんと、内容的には若いジゴロな男に狂い翻弄される熟女(?)を描いているだけなんですけどね・・・。(笑)
アリダ・ヴァッリはなかなかの好演でした。男に振り回される毎に、歓びやいらいら感や悲嘆や怒りを縦横に演じ切っていました。特に、抑えつけた欲求が溜まっていくところなんかは迫真な演技だったと思うのですが、いまいち感情移入できなかったのは、観ている者には、あれはどう考えてもダメダメな男だろ!とわかりやすかったからかもしれません。(笑)
ヴィスコンティ以外の監督だったらここまで格調高い作品にはならずにエロティックな方向に走っていく方が楽なような内容なのですが(笑)、本作は脱ぐシーンも無いし、ひたすら堕ちていく女を観ていて思ったのは、あ~、熟女ってこわいなあ~、と。(笑)
いや、重厚で格調高い不倫なら・・・。(笑)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
う~ん、なんだかなあ。原作はカミロ・ボイトの短編「Senso(官能)」ということだから、まさにイタリア語でSensoの成せる事跡。それがヴィスコンティの大仰なセットでくりひろげられる。
気になったのは伯爵夫人のスカートの裾。完全に地面についている。泥だらけになりすぐ擦り切れてしまう気がする。当時の実情を知りたい。
1954イタリア
2020.4.11アマゾンプライム無料 -
高貴で美しく着飾るアリダ ヴァリが、髪を振り乱して般若のような醜い女となるまでのヴィスコンティが描くメロドラマのような人妻不倫の物語。
イタリア人中年の公爵夫人と若きオーストリア中尉と紡ぐ美しいとは言えないゲス不倫の物語ですが、壮大な音楽を背景に流れるイタリア貴族の絵画のような格式高いシークエンスは、オープニングの長回しで映し出されるオペラ劇の延長のようにも見えて、作品全体に溢れるクラシカルで芸術的な映像は実に重厚感があってワクワクさせられる。
アリダが演じる気高い公爵夫人が、初めての恋を目の当たりにして、十代の少女のように周りが見えないほどに自分を見失い、最終的に消化されない想いに憎しみにまみれていくまでの表情の変化で見せる演技は、今見たらありきたりなこんなストーリーの中であっても色褪せない素晴らしさがある。
そして、美しき中尉を演じたファリー グレンジャーの胡散臭さプンプンのいい意味でわかりやすい演技は、始めから悪い予感しか感じさせず、期待通りほんとうに見事なゲス男ぶりを見せてくれて、美しく着飾った夫人がそのクズ男の罠に落ちてどんどん愚かな女なるという予定調和に、こうはなりたくないと思いつつも楽しん観てしまう自分もいた。
ヴィスコンティの描く悲劇の中でも最ももって救いようのない虚しい人間関係を描いた本作品は、心に打つものは何もないのだけども、こんなしょうもない恋愛模様を壮大に、芸術的なものしてしまう才能にはひたすら感服してしまうし、全くもって共感性もなく、好きな系統のストーリーではないのに、なんとも言えぬ重厚感な雰囲気に気圧されて、結果的には観ることができて良かった思ってしまうヴィスコンティ作品の魔力、恐るべし。 -
はたから見ると、男のどうしようもなさが歴然ですが、恋はするものではなく、落ちるものなんですね。でも、ただの不倫ものではない格調の高さ。伯爵邸や荘園の様子、伯爵夫人のドレス姿の着こなしなど、ヴィスコンティならではのセンスですね。また、劇中なんども流れるブルックナーの交響曲は、後期ロマン派かと見紛う、むせ返るばかりの濃厚さでした。