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- / ISBN・EAN: 4944285021489
感想・レビュー・書評
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この作品に限ったことではないけれど、たとえば雑然とした小汚い部屋で一人でご飯を食べる姿を引いた絵で撮って寂しさを強調するようなシーンを見かけると、僕はいつも「これって見た目ほど悲惨なことなのだろうか?」と思う。これって見た目ほど悲惨なことなのだろうか。彼らは本当に画面に映し出されている印象ほど寂しくて不幸なんだろうか。
そうした視点は彼らの寂しさを理解しているように見えて、実際は寂しさを押しつけているように感じる。彼らに寄り添っているように見えて、本当は自分にとって都合の良い不幸を他人に強要しているだけなのではないか。『海炭市叙景』から僕が受けた印象はそれと似たものだった。
みんな一様にしめっぽく、ぼそぼそと暮らしているように見える。竹原ピストルの笑顔は人が良さそうに見える。猫と暮らす老婆は寂しそうに見える。
けれども僕にはそれがどこかまったく別の場所で別の暮らしをしている人間が勝手に想像で創りだした、カギ括弧付きの「地方の寂しい人達」という類型的なモデルのように思えてならなかった。
たしかにそれっぽくは見える。でもそんな人達は本当にいるんだろうか?そんな風にわかりやすく「寂しい人達」なんてどこにもいないのではないか?もっと別の形をしているのでは?そういう疑問が頭に浮かんで最後まで消えなかった。
断片的にぼんやりと描かれる彼らの内面に自分を好きな形で投影して共感する、というこの映画の構造は好き嫌いがはっきり分かれるところだろうと思う。ある意味で鏡のようになっていて、だから僕自身はこの映画を好きにはなれなかったが、それでもこの映画に登場した彼らはきっと誰かにとって自分を重ね合わせる触媒になりえるんだとは思う。
この映画のキャッチコピーが「わたしたちは、あの場所に戻るのだ。」というものだと知って、なるほどという感じがした。
加瀬亮はとても良かった。 -
結局、みんなどうしようもないところで生きている。
5つの話のオムニバスとなっている作品なのだけど、海炭市というひとつのさびれた地方の街の中の、人々の虚しさとほんの少しのたくましさが始めから終わりまで感じられる。
エキストラの出演が多く、函館市に住む人の協力があって成り立っていると知って驚いた。綺麗な街をアピールする場面はどこにもなく、霧がかかったような港、雪に埋もれた家、知らないふりをされたように静かに走る路面電車。
小さな映画館を出て、さびれかけた商店街を歩いて家まで帰り、なんだかとても泣きたい気持ちになった。 -
画面的にも心情的にも、どんよりと曇った2時間半であった。
不遇の作家と言われる佐藤泰志の、18の短編からなる同名小説が原作とのこと。
登場人物たちを、短くひとくくりに表現すると、全員が「不幸」である。
町ぐるみで、映画『ブルーバレンタイン』が淡々とくり広げられているような、観ていて、決して楽しい気分になれるタイプの作品ではない。
しかしそれでも、ほとんどの人物が腐っていないのがこの映画の救いであり、それゆえにこの侘しさに浸ることが、自浄作用になる。
小説のほうは、作者の自殺をもって未完となったそうだが、意志を継いで、この映画で作品が完結されたと言ってもいい出来だった。
老婆と猫のエピソードにその心が重ねられていたように思う。 -
時代においていかれようとしている小さな街で、大切な存在を失いかけている小さな人びとがいる。彼らが大きな声で感情を表すことはない。辛うじて繋ぎ留めているものが壊れてしまいそうだから。それでも喪失はすでにここにあるのだ。
隣で初日の出を眺めているのに、すでに失われているような恋人の顔、子を宿した猫の腹の重さ、ふいに交差する記憶の手触り、それでも毎日を運んでいく電車のアナウンス。架空の街、架空のキャラクターなのに、この場所をたしかに知っていると思う。一人ひとりの暮らしぶりをそっと見つめるような映像が優しい。それぞれの家の台所や居間に、職場に、彼らなりのやり方で生きてきた時間の蓄積がたしかに感じられる。
素晴らしい俳優、脚本、カメラ、すべてが見事につなぎあわされて、架空の街の物語を現実以上の現実にしている。傑作。 -
「そこのみにて光輝く」の映画を見、しばらくして原作を読んだころに、岡崎武志さんの「読書の腕前」で名前を見かけた。
あのエッセイでは特定の少数にカルト的に読まれていた過去があるらしいが、すでに代表作が文庫化、映像化も続々進んでいる。
夭逝という肩書きがなければ見いだされなかったかもしれないし、長生きすればさらに活躍したかもしれないし、なんとも言えないが。
群像劇という程度しか前知識を入れずに鑑賞。
夫婦? と勘ぐってしまうような兄妹の挿話から始まり、随分と年季の入った婆さんの挿話の途中で、あーこれは係わりのない群像劇だと勘付きはじめ、陰気臭男こと小林薫の挿話になったころには核心した。
その後、ガス屋の若社長の挿話、東京戻りの浄水器営業マン、と続くが、どれも陰気かつ美しい。
兄妹が見た初日の出の美しさと、その後に兄が遭難する山の重暗さが、その後ずっと通奏低音になっていたと、終盤で気づかされる映画的マジックがある。素敵だった。
少しだけ劇的・作為的・芋芝居なところがあるが。 -
寒い町の人たちの年末年始。みんな不幸で、これは生き地獄八景なのか、と思って見たが、話が進むにつれ、それだけにおさまらない滋味を感じるようになった。些細な救いも見出せるからだろう。日の出、日の入りのシーンはロメールを思わせた。あと、あがたさんが喫茶店のマスター役で出ており、浄水器を売りつけられかけていた。函館ゆかりの映画ゆえの出演かな。
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何も無いんだから
自由なはずなのにがんじがらめ