チョコレートドーナツ [DVD]

監督 : トラヴィス・ファイン 
出演 : アラン・カミング  ギャレット・ディラハント  アイザック・レイヴァ  フランシス・フィッシャー  ジェイミー・アン・オールマン 
  • ポニーキャニオン
4.22
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  • (240)
  • (92)
  • (15)
  • (2)
本棚登録 : 1390
感想 : 230
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013103085

感想・レビュー・書評

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  • 泣きっぱなしでした。
    今だったらきっと違う結末。でもこれは偏見がはびこる40年近く前の話。
    自分の心に正直なゲイなルディ。そのルディに影響されていく恋人のポール。
    2人から惜しみない愛を受けるマルコ。
    本当の親子以上に幸せな親子だったのに。
    マルコがキスした幸運のテープで、ルディにはきっとハッピーな未来が待っていると思いたい。

  • レンタルで観ました。
    幸せな時間と惨い結末の落差がとてもあって辛くなりました。
    ハッピーエンドのお話が大好きであんなに幸せそうに笑うマルコが、ひとりぼっちで寂しく最期を迎えたのだと思うともう…。
    裁判のシーンでも、ルディとポールがいかに愛情深くマルコを育てていて、これから育てていくだろうということではなく、ふたりがゲイだということが問題視されている、この時代では同性愛は大問題だろうけと、改めて突き付けられると重いです。
    ルディもポールも素敵だったけどな。ふたりの親としての資質を認める声もあったけど、それでも…なので。同性愛者は、ヤク中でムショ帰りの母親より罪が重いのか…?
    マルコは何も悪くないのに、という言葉が重苦しく響きました。

  • ありのままを生きるには

    誰にだってあるはず
    本質を見ようとせず先入観だけで意味嫌い嫌悪感すら抱く
    肌の色、瞳の色、体が不自由な人、喋り方がおかしいとか、まだまだあげればキリがない
    「生まれたばかり婆さんが99の孫連れて、水無し川に飛び込んだ
    それを瞽が発見しオシがツンボに電話した…………」
    子供の時に覚えた笑い話のようなもの、これだって偏見の塊でできている
    体が不自由、見た目が変だからお笑いの対象になる
    まだまだそんな世の中です
    私だってここで偉そうにこんな文を書いていても一皮剥けば偏見の塊でしかない
    人の悪いところを多勢が話題にして笑いあってる
    それがコミュニケーションの1つの手段だと思い込んでいるのが現代の当たり前
    芸能界はそれを「イジル」と言い芸人は「イジられてなんぼ」という
    イジメがなくならないのは生き物の本質なのかも知れない
    自然界じゃ少数派は自然淘汰されるけど人間は違うと思いたい
    手を取り合い愛を持って助け合う事ができるのが人間にできること
    今の私に何ができるだろう
    この偽善者で欲の塊の私に

    ハッピーエンドを願います。

  • 観終わってじわじわと涙が出る作品だった。マルコに向けるルディの愛情いっぱいの表情と戸惑いながらも真摯にひとつひとつ向き合っていくポールの覚悟も、思い出せば涙がでてくる。
    忘れられない映画になった。

  • 何気なく過ごしてるわりにLGBTフレンドが増えがちな自分にとっては、あらすじだけでもう完全にフラグたっちゃってるんだけども。
    なんせアラン・カミングの慈愛に満ちた笑顔と歌声がたまらない。
    泣かせにこられてるとわかってるのに結局涙ダー。
    大雑把で乱暴に見える(私見)アメリカの歴史の中でもまだまだ変革期の70年代。
    アホほど溢れ出る情熱の数々たくさんの物を壊しては作り上げてきたんだと思うと、やっぱりアメリカは憎めない。
    久々の号泣映画。GO級。

  • ゲイの男性二人が、たまたま知り合った知的障害のある少年を引き取り、共に過ごし、されどゲイということで引きされ、裁判をするはなし。

    裁判になる前から、じんわりじんわりと肌で感じる同性愛者ということだけである差別の意識。それが、裁判で一気に爆発する。裁判官や弁護士の言葉は、本当に子供のためなのか。弁護士のする質問は、明らかに子供に関することではなく、二人のこと。主人公たちはそれに対して当然怒るんだけど、これが世の中だとおもうと、本当にへどが出る。

    裁判官が、ふたりの深い愛情や子供にとっての環境にとってもいいと感じるが、子供にとって“同性愛がふつうであると認識するのは教育としてよくないのでは”といった意見をするんだけど、なんでそれを“ふつう”にしちゃいけないんだろう。子供の前でキスしたことはあるかって質問があるんだけど、そんなん海外の夫婦感じゃあ普通にすることなんじゃないの、どうして同性ってことだけでタブーになるんだろう。

    結末はあまりにも悲しい。
    世の中の“正しい”ひとたちの下した結果は、“正しかった”のか。
    私は、自身が差別される対象であるとわかった上で、戦い、子供を引き取ろうとした、あの二人の方が”正しく”同時に大きな愛情を感じたのに。

    同性愛者がマイノリティであることは確かだけれど、でもだからといってそれが悪だという意識こそが悪だと、どうして思わないんだろう。人は理解できないことを嫌悪する、みたいなことをなにかで読んだけれど、まさにそれなんだろうなあ。
    私自身が小中学生の頃、いわゆるオカマを名乗るひとたちがテレビに出始め、(ミツコ・マングローブとかね)ずっと苦手だなあって思っていたけれど、でもあのひとたちにとって、それをカミングアウトを世間にして、生きていくことって本当に大変で大きな判断だったんだとおもうと、そういったことを理解し始めてから思えるようになったし、誰よりもずっとたくましく、強いひとたちだなって尊敬する。
    だって、きっとそういう風に声を上げて、この生き方でもいいんだ!って堂々としてくれる先人がいたら、同じことで悩んでいるひとたちはきっと心強いよねって。

    マジョリティが正義でない、ってことを常に念頭においていきていきたい。

    昔無理だなって嫌悪していた自身を反省するとともにすこしだけ視野をひろく持てるようになったことを周りに感謝して。

  • ゲイの差別に一番理解があると思われるアメリカでも70年代だとこうだっんだ。それに知的障害者もからんで弱者のあり方を考えさせられる映画。
    仲の良さアピールするのに海岸で大はしゃぎというシーンはありがちで好きじゃないし、結局義憤と可哀想な話狙いかと思うが、役者の演技力とこれが事実を元にしていることでその壁がなくなる。主人公のアラン・カミングがいいのはもちろんだけど、マルコ役のダウン症の子の演技が素晴らしい。後ろ姿は本当に寂しそうだし、笑うとてもかわいい。演技をするという意識がないからなんでしょうか。
    結果は悲惨なもの。このあたりも事実の重さ。それを手紙の形で表現し、「アイ・シャル・ビー・リリースト」の歌に思いを乗せるというのがうまい。心に沁みる。見終わってもしばらくは心に残り、色々と考えてしまいます。

  • グッドワイフのイーライ・ゴールドがハマリ役すぎて、もはやアラン・カミングは何をやってもイーライ・ゴールドにしか見えない!!!

    でも、私はゴールドさん、大好きだから、いいの・・・

    しかし、スコットランド出身だったんだ。今、知って驚愕した。
    シカゴかニューヨークのユダヤ系かと思い込んでた。
    少なくともグラスゴーの香りは全然しない。

    この映画じたいは、、、ちょっと「泣き」を狙い過ぎでしょ!って気がして、正直、私的にはビミョーでしたが、それでも、ええ、シッカリ泣きましたとも。

    どうしようもなくだらしない親に放置されている幼い子供、って、後ろ姿だけでもう泣けてしょうがない。
    重要なシーンじゃなくても、見終わったあとでじわじわと地味に痛みが来ます・・・
    「ブレイキング・バッド」で、壊れていて砂嵐しか映らないテレビをじーっと見ていた子供をジェシーがあやすシーンがあったけど、あの薄汚れた子供の無表情をいまだに何度も何度も思い出してしまう。
    ネグレクトの子供を描いた作品では、今のところあれに勝るものはないなぁ。
    私が見ている映像はフィクションだけど、でも世界には、あんな風に放置されている子供が実際に大勢いるんだろうと思うと心が痛い。

    この映画の登場人物の中では、アフロの敏腕弁護士が良かった。
    私はいつも、ああいう口が達者でリアリストなタイプに惹かれてしまう。
    そして、黒人のもみあげアフロって最近見ないよね。
    だから新鮮だった。

  • 歌手を夢見ながらゲイバーでパフォーマーをやっているルディが、薬物中毒で逮捕された母親から保護したダウン症の息子、マルコを、ルディと同じくLGBTで弁護士の恋人、ポールと育てていくものの、いまよりもLGBTの認知度がずっと低い、1970代の、世間からの目が決して優しくない時代のお話です。

    今月は“家族”をテーマに色々と見ようと思い、見始めましたが、どちらかと言うとセクシャルマイノリティや障害者の社会的地位に関する重たいお話でした。

    まず、ルディがマルコを引き取ろうとするまでが早すぎてついていけませんでしたが、“一目惚れ”に納得のいく理由なんてないのかもしれないな、と思いました。

    マルコを育てたい2人の訴えが受け入れられず、結局実母にマルコが渡ることになった時の言葉が印象的でした。いつの時代も世界共通なんだなと。。

    「苦しさは時間が解決してくれる」
    「正義なんてないんだな」
    「それでも戦うんだ」

    前例のないことを証明するって難しいですよね。
    けど、薬物中毒で服役していた母親に育てる意思や適性があるかはもう少し審議してから判決下しても良かったのではないかと思ってしまいました。
    幸せや家族のカタチって法律では規定しきれないものなのだな、、ととても考えさせられました。

    最後の結末とルディの歌声と歌詞にはもう、うるうるせずにはいられませんでした。
    このお話は実話を脚色したとのこと。
    (実話じゃなくて良かったあぁ。。当時、プロモーションのやり方で少し問題になっていたようですが。)

    また、マルコ役は本当にダウン症の俳優さんが演じられているところも本作の魅力だな、思います。障害者の方が演劇とかを学ぶ場所があるっていうことも本作を通じて初めて知りました。

    心残りは、マルコを巡って2人が世間と戦うところがメインになっており、マルコと愛を育んでいく過程が短かったのが“家族”を見たいと思ってた身としては少し残念でした。。

    自分が本作に出てくるような人たちに限らず、その人の考えや本質を引き出し、尊重し合える関係を築くためにはどうすれば良いか、考えさせられる作品でした。
    来月以降に見るテーマの1つになりました。

  • Amazon prime videoで、以前から気になっていたので視聴。

    70年代、カリフォルニアといえども、まだLGBDなんて言葉は生まれていなかっただろう時代のお話。

    映画を見ていると、途中から主役のアラン・カミングが演じるルディが男性であること忘れてしまった。ピュアで可愛らしい少女のようでもあるし、全てを受け止めるような母のようでもある。大好きな人をまっすぐに好きになり、時には諌めることもする。自分も決して恵まれてないし、強くもないけれども、自分より弱い者を全力で守りたいという気持ちと行動。

    「女らしさ」、「母性」という言葉は、今の世の中では慎重に使わないといけないけれど、劇中のルディのこそ「女らしさ」、「母性」を体現してしていると思う。それらはきっと性別に関係ない、単なる概念なんだろうなと思った。

    ※これを読まれた方が、性に関する表現に関して不快に思われたらすみません。私の語彙力の問題です。

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