- Amazon.co.jp ・電子書籍 (258ページ)
感想・レビュー・書評
-
ヒトが学んでいる現場を見ないで、実験と他者の実験の知見で本を書いているように読めた。後半は特に教育心理学の教科書に載っているような内容を遺伝を強調して書いたって感じがした。
ヒトが学校で求められる学びをするために必要とされるさまざまな能力の程度はどれくらいだろう。遺伝的な影響があることと、日常的な、学業上の、あるいは、職業上の限界には、どのような関係があるのだろう。たとえば、遺伝的な限界を超えるような課題は何だろう。そのようなことが分からないと、示されている知見は役に立たないとわたしは思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教育の世界ではどちらかといえばタブー視されている遺伝的な要素を肯定し、その上で教育の意味を問い直そうとする論である。大いに刺激を受けた。
努力すればだれでも目標を達成できる。私たちは安易にそのことを語る。逆に、どんなに苦労しても君には絶対に不可能だと語るのは許されざることと考えられる。ただ、いわゆる統計学的な研究によれば、ものごとの達成率に先天的要因が存在するのは紛れもない事実であり、否定の余地はない。
ならば教育の価値はないのかといえばそうでもないようだ。ヒトはそもそも集団で生きる生物であり、遺伝的に優れた個体がその能力を共同体の中で共有することで生き延びてきたのだ。教育はそのために生まれたシステムであり、存在意義は揺るがないというのである。
本書には昨今のいわゆるアクティブラーニング推進論に対する反論も含まれている。遺伝的に自ら学ぶ方が適している人と、誰かから教えてもらった方が効果が上がる人とがいるのに、それを等閑視するのは互いの特性を打ち消すことにつながるかもしれないということである。
生来の能力を活かすと言えば聞こえはよいが、個々の人格を尊重する現代においてこの議論はさまざまな危険を含む。ただ、人は皆同じという幻想のもたらす弊害も考えねばならず話は単純ではないのだ。 -
「教育」というものを、生物学的な側面から見ることで、なぜ人は教育するのか、されるほうはそこから何を学ぶのかを解き明かされています。現代の教育の形から、そうでない文明から遠い世界での形。教えるとはどういうことを意味するのか、どういう行動を指すのか。その実態を通して、まず教えるということについて書かれています。その次に、学ぶほう、学ぶことについては、遺伝的な要素が大きな影響を及ぼしているということを中心に、だから画一的な教育で落ちこぼれてしまうものが出るということが分かるように書かれています。だから、人は「やってみないと」それが向いているか分かりませんが、あきらめるのではなく、様々なことに様々な方法で挑戦することが必要なのだと、勉強の仕方について色々な方法があるのだということを考えることができました。
-
学業成績の遺伝は50%以上で家庭環境の影響は30%。
家庭環境が整理整頓されている事が大事。
実行機能の遺伝率は100%。
教育をするのは人間以外だとミーアキャットと一部のアリ。