彼岸過迄 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1952年1月22日発売)
3.61
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本棚登録 : 1833
感想 : 136
4

さすがに濃厚な内容でした。読むのに骨を折ってしまい、時間がかかりました。
が、さすが文豪、これぞ文学といった「構成」。
難解ではありながら、読んでいると腑に落ちる「文体」。
人物の細かな心情変化、とくに「男性の嫉妬心」「猜疑心」を絶妙に表現していました。

夏目漱石の文学的知識が多少なりともあるからこそ、読み進めていけるけれど、現代小説に慣れきってしまうと、漢文の素養をいかんなく発揮した回りくどい漱石の言い回しは読みにくく感じてしまうかもしれません。
が、夏目漱石の表現は、大げさに思える比喩の一つ一つを繋げていくことで「ああ、これしか表現のしようがない」と思えるようなもので、咀嚼して読んでいくことでスルメのように味わいが出てくる。

構成として、短編をつなぎ合わせて一つの長編をなすというもの。
夏目漱石の「後期三部作」のテーマである「自意識」が客観的に、主観的に、さまざまな視点を通して描かれていく。

やはり漱石はすごいなと思わせるのは、その構成の妙にあります。
一見主人公に見える「敬太郎」は全編通してその存在は感じとれるものの、後半になるにつれて徐々にその存在が希薄になっていきます。
最後にはたんなる「聞き手」として、脇役になってしまう。

敬太郎は刺激を求め、様々な人から話を聞くし、自分の足も使うのですが、彼の内面はなにか好奇心をくすぐるようなものはないかと、外の世界にばかり向いていて、自分の物語を形成することはしない。

ですが、敬太郎が話を聞きに行く人々は、それぞれがドラマを抱えていて、後半になると、中心人物は「須永」になっていきます。
須永は自意識の塊で、その性質のために刺激を受けないように過ごしているけれど、内面では劇的な感情の波がある。

聞き手に回り切ってしまった「敬太郎」には、あまりにも内面や環境そのものに何もなかった。
だからこそ、須永の感じる苦悩を、敬太郎は感じなくてもよいけれど、その分、ドラマチックな事からは遠ざかるしかない。
この対極的な二人から、近代人の苦悩についてあぶるように浮かび上がらせるという多重構成になっています。

後半になるに従い、心情のとらえ方が難しく感じましたが、須永の「嫉妬心」は、読みごたえがありました。
思えば、男性のドロドロとした感情の波を事細かに描写するような小説はこれまであまり読んだことがないかもしれません。
女性を愛しているわけではなく、自分を愛しているかもしれない立場にいる女性が、自分ではなく他の人を選ぶ可能性がある、と感じたときの激しい感情の描き方は、体験がなければ書けないと思います。

もう、夏目漱石すごいの一言。近代以降の物質的豊かさを手に入れた人たちの苦悩をいち早く描いて、しかも人物の心情の描写が細かくて生々しい。
「須永」の卑屈さとかたまらないくらいリアルでした。

「行人」では、「須永」タイプを主観にしたストーリーが繰り広げられるそうなので、そのうち「行人」にもチャレンジしてみようかと思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年10月30日
読了日 : 2018年10月30日
本棚登録日 : 2018年10月26日

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