永い言い訳 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋 (2016年8月4日発売)
4.23
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本棚登録 : 288
感想 : 26
5

映画化の帯が、文庫の9.9割くらいを覆っている、このインパクトと、西川美和さんだよというのと、解説が柴田元幸さんだよ、という三点盛りに、これだ。

<妻が死んだ。
これっぽっちも泣けなかった。
そこから愛し始めた。>

買わないわけがない。

主人公の衣笠幸夫くんは、名の知れた作家なのだけれどそりゃもうダメ男で、奥さんの夏子さんに徹頭徹尾無関心、だから夏子さんがバスの事故で亡くなったと聞いたときも、妻の旅行先も確かじゃなくて、持ち物すらはっきりと本人のものだと確認できないようなていたらくだったわけだ。

奥様が亡くなってまぁかわいそう、という世間の目に反して幸夫くんは全然泣けなくて、妻夏子と一緒に旅行に行って、同じように亡くなった大宮ゆき、の遺族の一家と知り合って、その触れ合いを通じて魂を癒していく。
大宮家の二人の子供の時間の進み方の確かさが、自分が誰かの役に立っているという実感が、幸夫くんを支える。
母を亡くして、父は長距離ドライバーという環境の大宮家にとっても幸夫くんの存在は渡りに船、まるで四人は家族のような絆を形成していく。
夏子さんといたときは人を傷つけるのが特技だよ、みたいな男に見えていた幸夫くんが、この家族には妙に優しい。別人のように優しい。


しかしここで終わらないのが西川作品だよということで、西川さんは傍から見たこの関係を「同じ環境で家族を亡くした者同士が、お互いの心に空いた穴を埋めように共存しながら再生し始めた、というおはなしか。ほんとかよ。」とシニカルな視点で刺してもいる。


またまた無関係な他者は、ドキュメンタリーTVを観たあと、津村(幸夫)にこんな手紙をよこす。
「芸のある我が悲劇というものを見せては頂けないでしょうか。」
うーんぞっとするような無神経。
でもだれか言っちゃいそう。


とにかくそんな足場フラフラのところに、鏑木先生、という女の先生が出てきて、ぐんぐん家族に打ち解けて、四人の危うい絆はバシャッと崩れるというか、幸夫くんは居場所を失ってしまう。
(というよりも、失った、と感じてしまう。)

そうしてやっと、夏子さんのことを思う。
失っても取り戻せない時間を思う。夏子さんが自分を愛していたのか、携帯電話に残っていたように<もう、愛してない>のか、どこでボタンを掛け違えたのか、自分の犯した数えきれない過ちについて、思う。
けれどもう決して取り返すことはできない。
時間が戻ることはない。

そしてそのさみしさを抱えたまま、「書く」ことを選ぶ。
たいていの物語はまず「喪失」があって、それから「再生」がある。
けれどこの物語は違う。

まず「再生」があって、それから「喪失」がある。
「再生」があってはじめて「喪失」を受け止めることができる。
だから読者も、たったひとりで宙に放り出されたような頼りなさと、でもそれでも大宮家という命綱はありますよ、というような、幸夫くんの気持ちを追体験することになる。
よかったよかった、じゃなくて、これからだぞ!ずっとだぞ!みたいな、このほろ苦さ。


ここで想像の翼をはばたかせて、なぜ彼が「衣笠幸夫」と「津村啓」いう二つの名前を持つ必要があったのか考えてみたい。
「津村啓」は、洒落ていて、ウィットに富んでいて、見目もよくて、万人受けする、そういうキャラクターとして描かれている。
「衣笠幸夫」は違う。妻との会話の糸口ひとつ見つけられないし、物ほしそうに4歳の子のお弁当見たり、あまつさえ不審者では?と勘ぐられたりする。全然かっこよくない。
読んでいて思ったのは、幸夫くんは、夏子さんといるうちに、「津村啓」である自分を捨てられなくなったんじゃないかなあ、ということ。
それはたぶん、夏子さんが津村啓の小説の批評をしたりしたところに所以していそうなんだけど。
夏子さんにとっては終始して彼は「幸夫くん」だったんだけど、「津村啓」にとっては、夏子さんは「批評家」に見えていたのかも、とか。
そしてそれが二人の破滅的なすれ違いを生んだとしたら、やるせない。
まあ単に幸夫くんがクズで、調子に乗っちゃった、ということでも全然いいんだけど。うん。


しかしこの繊細な心の動きをどう映画化するんだ。
西川さんだからできるに決まっているけど。
ぼろぼろ泣いて、生きてる誰かを大切にしよう、という月並みなしかし前向きな感想をもてるこの作品、おすすめです!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文芸
感想投稿日 : 2016年9月19日
読了日 : 2016年9月19日
本棚登録日 : 2016年9月19日

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