森を散歩中に加藤典洋の講演録音を聴いていると、初期の村上春樹の作品が好きだと言って、平成の残り日数で一日一冊を読むにあたっての最初をこれにしようと思った。再読のはずだが、読み進めるにつれて内容の記憶が、途中で読むのをやめたんだっけ? と思うほどとにかく薄れていて、鼠がぼく自身に重なって感じて、もっと読むと語り手がぼく自身に重なってきた。下巻の最後、爆発の煙を汽車から眺める場面まで読み進めて、何度も読んでることがわかった。しかし前回読んだのはそんなに前でもない気もする。そもそも村上春樹が書くものの語り部がぼくっぽいやつなのが原因なのか、と考えるも、ぼくっぽいと思う読者がとても多いのが村上春樹でもあるので、よく本を読む人で村上春樹を読んでいるひとにこの件でいろいろ相談をしたいのでお願いします。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
残平成百日百冊
- 感想投稿日 : 2019年1月18日
- 読了日 : 2019年1月18日
- 本棚登録日 : 2019年1月18日
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