新書や文庫があったはずだが見当たらないので、そうだ、野間文芸賞を取ってようやくアク抜けした橋本治がこれから小説をもっと書いて活躍してくれるかな、なんて思った『草薙の剣』を、すぐ読みたかったのでKindleで買った。というのも、死んだら橋本治の本がのきなみ品切れになっているしで。
 橋本治というひとは、東京都杉並区なんかに生まれないでそして東京大学なんかに入らないで、地方の頭のいい高校生がなんらかの事情で大学進学が出来ず図書館なんかで独りもの考えたりして仕事は漁師や農業を継いで働きながら書く、なんて仕方で存在していたらずいぶん本来の橋本治として輝いたのではないか。もしそうだったら編み物の本は漁網の専門書になっていたか、編み物も漁網もどっちも出していたか、物書きにはならなかったか、わからない。
「定年を間近にした父親は、「就職をしたくない」と言う息子に説教をしたが、定年になって退社をすると「休養だ」と言って、一年ばかり再就職をしなかった。働かずに、日中はブラブラして気がつけば酒ばかり飲んでいる夫が「分からんでもない」と言う「息子の気持」とは、どんなものなのだろう。バイト生活を始めた息子は働きに行くが、普通の会社員とは違って、夕方に家を出て行く。昼の時間、働かずにテレビを観ている男と、自室に籠ってなにかをしている男──働かない男が二人いるそのことが、豊生の母の心に不安というものを植えつけた。
 やがて夫は再就職を決めた。その日の夕食の席で、「どうも俺には豊生の真似は出来んな」と、敗北宣言のようなことを妻に言った。その夫は、息子が三十歳になる年に死んだ。それから二年たって、息子は三十二になった。豊生の母は、二十三歳の年に三十二歳になっていた豊生の父と結婚をした。息子は、父親と同じ年になってもその気配さえ見せない。「誰かいい人っていないの?」と言っても、息子は否定でもなく肯定でもなく、ただ「ああ?」と言って話をやり過ごしてしまう。豊生の母は、息子が三十を越えたくらいの頃から、「これで大丈夫なんだろうか?」と思うようになっていた。」
 本書はおおまかには「戦後史」みたいなものじゃないだろうか。
 凡庸といえそうな登場人物たちが月並みな人生を送っている。具体的な事件や事故や世相に影響され考えながら生きている。みなそれぞれときどきの年齢にこだわっているように書かれるのも、歴史書だからだ。
 私見で乱暴な言い方をすれば、橋本治というひとの書いたものは、最初からずっと一本の同じ銘柄のボールペンで書いたようなものだ。それも、ボールペンの書き味をたしかめるように、メモ用紙にグルングルンとらせんの透視図のような、のばしたバネのような線を書きはじめて、たとえば一冊の本ならぐるんぐるんと最後まで一筆書きだ。きもち良くぐるんぐるんと進む。でも、ぼくはいつも読んでるうちにだんだんついていけなくなる。え、そうかなあ? と感じても文章はぐるんぐるん先へ行ってしまって途中で保留にさせてくれない。いやいや、抽象的に言いすぎたか。
 橋本治の有名なバブル期に買った家のローンをまだ払ってるってやつ、この一、二ヶ月に返し終わったって聞いた気がするけど本当かな? 借金返し終わってやっと死ねた? もしかしていつからか70歳、借金返済に照準を合わせてた? 最期に向かって生きてきた時間を見渡すために書いたのですか? どうなんでしょうね。小説には、評論とかエッセイみたいに説明を書いてくれないから、小説に書いてあるのがどういうことかは結局はわからないのだけれど、凡庸といえそうなひと、だったんですね橋本の兄貴は、奇才なんかではなくて、こういう感じにありきたりに見て感じて生きてきたんじゃないですか。
 とにかくどんなことでも「それはこういうことなんだよ」とぐるんぐるんとボールペンを走らせ...

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2019年2月2日

読書状況 読み終わった [2019年2月2日]
カテゴリ 残平成百日百冊

「ロンドンで、一人の婦人が、子牛ほどもある犬をつれて、横断歩道を渡っているのを見たことがある。
 犬にとって、その行く先はよくよくいやなところであったに違いない。腰をおとして抵抗しようとするのであるが、婦人は綱引きをする人のように、ほとんど四十五度くらい傾斜して力いっぱいひっぱったから、犬は「おすわり」をしたままの姿勢で、少しずつ移動してゆくのであった。
 車の往来のはげしい通りで、このためにずいぶん車が止まったが、みんな英国人特有のがまん強い、落ち着いた顔つきで、もちろん警笛を鳴らすものもいない。
 オープンにしたスポーツ・カーを運転していた一人の老人などは、しばらく運転席の中でごそごそしていたと思ったら、湯気の立つ紅茶茶碗をとりだして、お茶を飲み始めたくらいである。
 その間も、婦人は一心に犬を引っぱってゆき、横断歩道を渡りきったあとまで、周囲のだれの顔をも見ようとしなかった。彼女の顔はーーおそらく激しい運動のせいであろうーー首筋まで赤くなっていたのである。
 わたくしは、そのとき、洗濯屋の前に車を止めて妻を待っていたのであるが、事件が一段落したので読みかけていた本をとりあげた。
 が、それもつかの間、五分ばかりして何気なく目をあげると、今度はさっきと正反対の光景が展開しているではないか。すなわち、不平不満の犬が毅然たる態度で反撃に移ったのだ。
 今度は、引いているのは犬である。婦人の首筋は一段と赤みを帯びて、彼女は、見えないイスに腰をおろした姿勢のまま、見る見る出発点まで引き戻されてしまった。
 犬は、今や得意の絶頂である。もはや内心の満悦を隠そうともせず、周囲をながめたり、後ろ足をあげて、あごの下をかいたりなんかもしてみたのだ。
 わたくしが、全く英国的だと思ったのは、その後の情景である。
 婦人は、犬と向かいあって道ばたにしゃがみこむと、わかりやすい大きな身振りを使いながら、ゆっくりした口調で犬を説得しにかかったのである。
 話していることばは聞こえなかったが、右をさしたり、左をさしたり、大きな弧を描いたりしている手つきからすると、「いつもは、この道をまっすぐ行って左へ曲がって家へ帰る。今日は、この横断歩道を渡ってから右へ曲がって家へ帰ろうというだけの話だ。結局、同じことではないか」という趣旨であると思われた。
 犬にとっては、かなり抽象的で、難解なテーマである。「そんならそうと早くいえばいいのに」という顔つきで、犬が先にたって横断歩道を渡り始めたのは、三十分ばかり後のことであった。」
 現代の大人がいちゃもんつけなさそうなところを引用してみた。
 数年前、愛媛の山の中に住んでいるころ、松山市街との行き来は国道33号線を使っていて、その道路から見える石手川の支流に挟まれた土地に伊丹十三記念館の黒い建物が見えていて建物脇に保管されているかつて伊丹十三が乗っていたベントレーも国道からチラッと見えるので、気がついたときにはベントレーをチラッと見るようにしていた。律儀にお参りはしないけれど遠目に鳥居が見えたら心の中でお辞儀する、くらいな気持ち。大江健三郎があんまり伊丹をもちあげ続けるものだから、自然とそうなっている。
「大江健三郎より書簡。
来年の六月に子供が生まれる由。子供の名に、戸祭などはどうだろう、という。苗字とあわせて大江戸祭になる、というのだ。ふざけた男である。
 わたくしも、いよいよ麹町の伯父さんになるわけだが、わたくし個人としては、やはり姪にしてほしい。
 かつてマラルメがしたように、わたくしも、小さな姪に仔馬とヨットを贈るため、一夏過酷に働く、なんて、いつか是非やってみたいような気がするのだ。」
 伊丹十三を読み返したついで、ではないが、大江の特集の雑誌の、故郷の四国の山の上で耳を澄ます...

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2019年1月26日

読書状況 読み終わった [2019年1月25日]
カテゴリ 残平成百日百冊

 2011年3月11日に東日本大震災が起こり、川上弘美は3月中にこの小説を書き、自ら出版社に持ち込んだ。掲載されたのは「群像」2011年6月号だから、5月初旬発売で原稿の締切はおよそ4月20日あたり。刊行された小説として福島の原発事故をとりあげた最も早いもののひとつだった。本書にはこの時に発表された「神様 2011」の前に「神様」というタイトルの短編がおさめられている。並置されていると言うのが正しい。ぼくは2012年になったくらいか、当時勤めていた会社の同僚女性に本書を、短いし読みやすいだろうなと考えて、貸した。神戸の出身で阪神淡路大震災を経験していて、東日本大震災のすぐあとに東京へ引っ越してきたひとだった。
 「神様」は川上のデビュー作だ。『神様』(中公文庫)のあとがきから引用する。
〜” 表題作『神様』は、生まれて初めて活字になった小説である。
「パスカル短篇文学新人賞」という、パソコン通信上で応募・選考を行う文学賞を受賞し、「GQ」という雑誌に掲載された。
 子供が小さくて日々あたふたしていた頃、ふと「書きたい、何か書きたい」と思い、二時間ほどで一気に書き上げた話だった。
 書いている最中も、子供らはみちみちと取りついてきて往生したし、言葉だって文章だってなかなかうまく出てこなかった。でも、書きながら「書くことって楽しいことであるよなあ」としみじみ思ったものだ。「めんどくさいけど、楽しいものだよなあ、ほんとにまあ」と思ったのだ。
 あのときの「ほんとにまあ」という感じを甦らせたくて、以来ずっと小説を書いているように思う。
 もしあのとき『神様』を書かなければ、今ごろは違う場所で違う生活をしいていたかもしれない。不思議なことである。
 やはりこれもなにかの「縁(えにし)」なのだろう。と、『神様』に登場する「くま」を真似て、わたしもつぶやいてみようか。
(後略)”
「神様」の書き出しは、
 
 くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。
「神様 2011」の書き出しもまったく同じだ。川上はデビュー作を改変して発表した。お茶の水女子大学理学部生物学科を出てから田園調布雙葉高校の理科の先生もしていたひとは、東日本大震災の直後から「原子力」に関する勉強をはじめる。本書のあとがきから。
〜” 1993年に、わたしはこの本におさめられた最初の短編「神様」を書きました。
 熊の神様、というものの出てくる話です。
 日本には古来たくさんの神様がいました。山の神様、海や川の神様、風や雨の神様などの、大きな自然をつかさどる神様たち。田んぼの神様、住む土地の神様、かまどや厠や井戸の神様などの、人の暮らしのまわりにいる神様たち。祟りをなす神様もいますし、動物の神様もいます。鬼もいれば、ナマハゲもダイダラボッチもキジムナーもいる。
 万物に神が宿るという信仰を、必ずしもわたしは心の底から信じているわけではないのですが、節電のため暖房を消して過した日々の明け方、窓越しにさす太陽の光があんまり暖かくて、思わず「ああ、これはほんとうに、おてんとうさまだ」と、感じ入ったりするほどには、日本古来の感覚はもっているわけです。
 震災以来のさまざまな事々を見聞きするにつけ思ったのは、「わたしは何も知らず、また、知ろうともしないで来てしまったのだな」ということでした。(中略)
 2011年の3月末に、わたしはあらためて、「神様 2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段に構えた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性を持つものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろ...

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2019年1月23日

読書状況 読み終わった [2019年1月22日]
カテゴリ 残平成百日百冊

 3.11のちょっとあとのまだ春に、ある女性と箱根へドライブに行ったことがある。そのひとの個人的な仕事の打ち合わせに、ただの友達としてクルマを出すドライバーとして同行したのだった。大雨の日、麹町で待ち合わせて休館日の彫刻の森美術館へ。そのひとは大手出版社の編集者だった。箱根の帰り道に、どこかで中華を食べようかという話になって、ふるぼけていてでも店構えからそこが必ずうまいと言えるだろうそんな中華屋で食べたい、と言うがまず藤沢ならそういう店があるんじゃないか、となにも調べたりせずに藤沢の街の中心あたりでクルマをパーキングに停めて適当に歩いたが、見つからない。雨はもうあがっていた。歩きながらそのひとは矢作俊彦にメッセージを送った。そのひとは編集者として彼とは、藤沢にふるぼけて店構えから必ずうまいと言えるような中華屋は知らないかと個人的に聞けるくらいの友人に近い知人だった。矢作俊彦氏は知らなかった。(結局そのひととは鎌倉へ移動して段葛脇の「こ寿々」で蕎麦とわらび餅を食べた。)
 スズキさんとは自動車雑誌「NAVI」編集長(その編集長時代にこの小説は「NAVI」に連載)から現在は雑誌「GQ JAPAN」の編集長をしているいわば名物編集者の鈴木正文氏だ。三日間の有給を取ったスズキさんがパリ旅行へ出掛ける配偶者を成田空港へ送り、息子をおばあちゃんにあずければ晴れて自由な休みを満喫出来るはずだった。
〜”スズキさんはそのうち二日間、シトロエンの2CVを駆って箱根を一回りしようと考えていた。宿は決めていなかったが、箱根の温泉場ならどこも、今どきはがらがらだろう。TVといえば松平定知とCNNと野球放送、雑誌といえば『NEWS WEEK』と『世界』、それ以外には車内吊りの大見出し程度しか知識がなかったので、箱根は今でもスズキさんにとって遠足の小学生と紅葉狩りの爺さん婆さんのイリュージョンに塗りかためられていたのだ。”
 ところがなりゆきで息子と会津若松、青森下北を経て北海道の果てまでドライブしてしまう。どたばたしていて面白い、というだけで読めるだろうか。
〜”スズキさんはカチンと来た。そこで口を開いた。決して酒が飲みたかったわけではない。
「原爆が進歩かどうかは、ぼくには決められない。しかし人間が人間である以上、いずれは誰かが、地球を千回でも一万回でも破壊できるようなものを創り出しただろう。その点あれは、ウラニュウムなんて面倒なものから造るだけめっけもんだ。もしアインシュタインじゃない誰かが、あの手の兵器をフォーチューン・クッキーから造り出していたら大変なことになっていたぞ」
「大変なことというと?」
 ヌシ君はごくんと唾を呑んだ。
「萬珍樓で原爆が買えたし、世界中の中華街が核武装していたかもしれない」
「あじゃじゃ」”
 1968年あたりに高校生から大学生で全共闘に傾倒した世代の四十歳前後になった時の小説だ。成田といえば三里塚の闘争、下北といえば反核運動、そんなものがいま下敷きにするには更新の必要な話になってしまった。いまや萬珍樓で原爆が買えるのも時間の問題なのだ。で、この本にひとこと書くチカラがない。売ってしまったが初版単行本で買った矢作の小説『ららら科學の子』なんかをもういちど図書館で借りてでも読もうかと思う。
 矢作氏はぼくの高校の先輩で、ぼくの出た高校ではいちばん名の通った表現者と言えるひとだが、どうも偏屈で嫌な感じの付き合いづらい男な気がすると、ずっとそう思いながら、まだいまもよくわからないけどこの本のタイトルはとても良いし、語義矛盾のような言い方をすれば、新しい「ドン・キホーテ」をいつも見つけて読んでいきたいな、なんて思うのでした。

2019年1月22日

読書状況 読み終わった [2019年1月21日]
カテゴリ 残平成百日百冊

 一昨年(2017年)7月から9月にかけてちょうど三ヶ月、90回の連載として朝日小学生新聞に掲載された。その夏休み中のNHKラジオ第一「すっぴん」(著者の高橋源一郎がパーソナリティーをつとめるある月曜日の放送)で、毎日はなしの続きをとても楽しみにしている、という小学校四年生の女の子の投稿が読まれたのを聴いた。去年6月に単行本が出て、ぼくはその夏にゆっくりと読んだ。読んでいる間はずっと、連載の載っている朝日小学生新聞が配達されるのを心待ちにしていただろう小4女子の気持ちを考えていた。
 先行作品として、『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)があります。この『トムは真夜中の庭で』は大江が、小説を「再読」することの意味を語るときに幾度か引き合いに出しています。『「話して考える」と「書いて考える」』(集英社文庫)の章「子供の本を大人が読む、大人の本を子供と一緒に読む」から引用してみます。
「しかし多くの本を読みかさね、人生を生きてきもして、ある一冊の本が持ついろんな要素、多様な側面の、相互の関係、それらが互いに力をおよぼしあって造る世界の眺めがよくわかってから、あらためてもう一度その本を読む、つまりリリーディングすることは、はじめてその本を読んだ時とは別の経験なのだ、と(ノースロップ・)フライはいうんです。(中略)そのような読書は、自分の人生の探求に実り多いものとなります。とくにそうした探求が切実に必要な人生の時になって、本当に役に立つ読書の指針・仕方です。つまり「もう時間がない……」としみじみ感じ取る大人にとっては、そうした読書が必要なんです。」
 ここの「もう時間がない……」というのは、『トム〜』の中にある「time no longer」という句の日本語訳です。大江はこの句にこだわります。「大時計の箱の中に『ヨハネの黙示録』の、この世の時の終りを告げる天使の絵と、かれの発する言葉の文字とを見出す……。(中略)そして自分はその言葉を英語で覚えて、それを自分の小説にそのまま引用したことさえあった」(〜『読む人間』ー「故郷から切り離されて」(集英社文庫)より)と。じゃあ『ゆっくり〜』にもこれに対応する言葉があるかな〜と、あった、ありました、最初の方と、最後の方に。でもこの言葉は際立たない。当然のことだし、ミレイちゃんだって言われなくてもわかってることだったから。
 さてもう一度、先の大江の『「話して考える」と〜』から引用します。
「子供の読書は、それによって生き生きした新鮮な世界にーーつまり言葉の迷路のような未知の風景にーーとびこんでゆく経験です。しかし、それは、自分の将来の日々のために、そこで人生のしめくくりにどうしても必要な、方向性のある探求をするための、時間をかけての準備でもあるんです。大人には、一緒に本を読む子供にそのことを予言してやる必要があります。そして本の選択に助言をしてやる責任があります。(中略)まずはじめての本として良い本を読む、ということは大切です。それがなければ、やがてやるリリーディングにも意味はありません。フライのいうとおり、真面目な読者は、「読みなおすこと」をする読者のことです。さらに私はそれが、自分の人生の「時」のつみかさねの後で、やがてこの本をリリーディングするだろうとあらかじめ感じとりながら、はじめての本を読む読者のことでもあると思います。真面目な子供の予感を、大人は実現させてやらねばなりません。そして真面目な読者へと自分を仕上げねばなりません。」
 『ゆっくりおやすみ、〜』はたぶん、よく本を読み本を読むことを大切にするひとを育てる小説でもあるだろうし、著者はそうなるように充分に意識的に配慮したと思う。小説家人生を賭けるくらいに。そっと、子供が目につくところにさりげなく置いておきたい。装丁も挿し絵もすごく...

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2019年1月18日

「今朝のNHKで村木厚子さんが紹介!」とか書かれてブクログのトップに載っていた。ぼくが去年秋にこれを買ったのは、この東京をぐるぐる走り回っている時に常々、これは千日回峰行なんだ、と自分に言い聞かせるように堪えて日々を送っていて、いま多少楽にして森の公園をぐるぐる散歩しながら、これも千日回峰行なんだ、と心でたまに呟いている。山ごもりとか出家とか修行について調べている時に千日回峰行を二回やった猛者! みたいな記述で酒井氏の名前を見掛け、本書を買ってみた。配偶者に逃げられて追いかけたら自殺されたとか、苦しみを経て四十を過ぎてから出家とか、わかりやすいところですごい。なんですごいかというとぼくとさして変わらないからだ。大阿闍梨はぼくと同じような道を歩かれていた、ぼくは自殺はされていないけど。そしてほんとにこう書いてある、
「戦後、荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことがあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャッて作っちゃうよ。今と同じですよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に閉めて、寝て、六時ごろに仕込みして。くるくるくるくる……。もしここに屋台があったらラーメン屋のおやじだな。形は違うけどやってることは同じなんだよ。」

2019年1月19日

読書状況 積読

 湯船につかって、このまま最後まで読もうってね、思っていた。
 あともうひとめくりかふためくりってところで、年末に買った防水のワイヤレスイヤホンで聴いていたAmazonMusicの「波〜慶良間・久米島」の波の音が終わり、大汗をかきながら最後の行を読み終わって、次は奥付のページかなってめくったところでKindleの充電が切れて落ちた!
 あひゃあ。なんて偶然さね。けどもどんだけAmazonづけなんね。アメリカーの作ったものやね。本書についてはあんまり書かんよ。いや、あらためて別になにか書くかね。これを読んでもらうにはなんて言ったらいいか。沖縄のことが知りたかったら読め、かなあ、沖縄のことなんか知らなくても良い物語だよ、かなあ、戦後沖縄のことを知らないふりして老人になるつもりですか、かなあ、なにを言ったって知ろうとしないひとに言ってふくめるのは詮無いこと。でもひとこと言うなら、いま古今東西の書物からたった一冊をオススメしてということならこれでいい(あなたが日本人・ヤマトンチュならね)。
 さあ恒例の本文から引用を行いたいのだけど、今度はハイライトをつけながら読むからね、そうするといいところを抜き出しやすいんだけどまあいいか、ルビはかっこにいれて書くよ、それとネタバレみたいにならないようにちょいちょい略すよ。
「那覇にある家庭裁判所の前の歩道に正座して、かたくなに建物に入らない。家裁の入口からはサチコがなじってくる。往生際が悪いよ! と罵声を浴びせてくる。(中略)あられもない父の醜態(シタラク)を見られずにすんだのは、ほんとうによかったことだなあ。
「おれは入らんぞ、俸給(ジン)が、俸給(ジン)がなにさ!」(中略)「家族の愛(ジョーエー)があればなんだって乗り越えていけるさ」
「あたしは、俸給(ジン)のことなんて言っとらん」
「離婚はならん、リュウを片親にしたらならん」
「いまなら傷も浅い。もともとそんなに父親(スー)との思い出ないもの」
「あがあっ、そんなことあらん。とにかく離婚だけはならん」
「無職になっとったのに、ずっとあたしを騙してえ。ちゃらんぽらん(テーゲー)なうえに噓つき(ユクサー)なんて、そんな男とやっていかれるわけあらんがぁ!」
「おれは動かんぞ、おれは城(グスク)。城(グスク)はびくとも動かないもんさ」
「仕事もないくせになにが城(グスク)よ、半年もぐうたら(フユー)にすごしてえ!」
 琉警をクビになっていたことが発覚して(婦警の元同僚から聞いたらしい)、サチコは離婚届を突きつけてきた。
(中略)
 家裁まではついてきたものの、土壇場になって反旗をひるがえした。島が本土に返還される前に戸籍を返還されたら笑い話にもならない! グスクは妻の足にすがりついて、ばしばしと書類で頭を殴られ、正座のままで膝蹴りを食らって鼻血を吹いて、道ゆく人々の哀れみと嘲笑のまなざしを集めるはめになった。
 家族が離ればなれになるのだけは阻止したかった。もう二度と噓(ユクシ)はつかんから、すぐに仕事も探すから! 頭を地面にこすりつけて話しあいの余地が生まれるのを待った。三年目の夫婦の戦争(ミートゥンバーオーエー)はここが天下の分かれ目だった。」
 ↑登場人物が明るいのがわかるかなってところ!
「なんといっても沖縄(ウチナー)の子どもたちには宴会(スージ)好きの血が流れているからね。ウタが帰ってきたことで宴に中心ができて、だれもがはしゃぎ、歌い、じゃれあい、次にウタに演奏してもらう曲をめぐってじゃんけん(ブーサーシー)しながらカチャーシーを踊り、男の子同士でお尻に親指を突きたててはゲラゲラ笑っている(うかつな肛門には浣腸(プッスイ)の刑がくだされるのさ、そらプッスイ!)。もつれあいながら高まる親密な一体感は、多幸感に満ちた胸...

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2019年1月29日

読書状況 読み終わった [2019年1月29日]
カテゴリ 残平成百日百冊
読書状況 積読

 さて、難儀な本である。難解というのとも違う、ジェイムス・ジョイスやプルーストやドストエフスキーとも違う。911が起きて数日後にソンタグが書いた文章が「ザ・ニューヨーカー」に載って、彼女は全米から大変なバッシングにさらされ、殺害予告まで受けた。支配的な空気に当然口を開けないアメリカ知識人のうちでもっとも気骨のあったひとり。本書にも掲載されているその時の短い文章にはまっとうなことしか書かれていない。けれども日常会話だけではこうはいかない。書くことが思考をたすけ言葉を鍛える。そうして練られた言葉は難儀なものとなろう。
「まず、リスク、危険のことからお話ししましょう。罰を受けるリスク。孤立するリスク。傷つけられたり殺されたりするリスク。嘲笑されるリスク。
  私たちはみな、何らかの意味で、徴集されているのです。忠誠心について考えを異にする多数派に背き、彼らの不興をかう、非難を受ける、そして暴力を招く。そういったかたちで隊列を乱すのは、誰にとっても容易なことではありません。正義、平和、和解を旗印に私たちは寄り添い合っています。これらの言葉によってつながっている共同体があります。多数派に較べればたぶんずっと小規模で微力な、同じような考えをもった人たちの新しい共同体が。そうした共同体に突き動かされて、市民的不服従の公然たる表明として、私たちはデモや抗議を行います。練兵場や戦場へ駆り出される代わりに。
 自分の同類(トライブ)と歩調を合わせない。彼らよりも先へ行って、思考としてはより広がりがあるけれど、数のうえではより小さな世界へ踏み込む。疎外や離反に慣れていない、あるいはそうした姿勢を取ることに不安を感じる人にとっては、複雑で困難な道筋です。」(「勇気と抵抗についてーオスカル・ロメロ賞基調講演」より)
 通勤通学のかばんに常にソンタグを入れ携行し、電車でスマホにさわらないでソンタグを読む。半年あるいは一年、一冊を毎日。たとえばそうやって読んでみない? ぼくはこの本をある女性にあげた。(もうひとりあげた気もするがいま思い出せない。)彼女のあたらしい人生を応援する気持ちで。たぶんそのひとはあげたソンタグを読んでいないだろう。実際のところ、手元にあれば本は読まずとも良い。模範にするならイメージだけでも有効だから。ただぼくはそのひとの、ソンタグにあるような資質をとても好ましく思っていたのでこの本をあげたのだった。つまりぼくはその若い友人に模範を見ていた。
「作家がすべきことは何かあるか、としばしば質問される。最近のインタビューではこう答えた。「いくつかあります。言葉を愛すること、文章について苦闘すること。そして、世界に注目すること」。
 言うまでもなく、これらの意気のよい語句が口をついて出たとたん、ほかにももっと作家の美質として意識にのぼることがあった。
 たとえばーー「真摯であること」。それはこういう意味だった。ーー「けっして冷笑的(シニカル)にならないこと」。このなかには、愉快(ファニー)であることもあらかじめ含み入れて発言した。」(「同じ時の中でーー小説家と倫理研究」(第一回ナディン・ゴーディマー記念講演)より)
 そういえばちょっと前にむかしの芥川賞の選評を読んでいたら、村上龍がこう書いていた。
 「本来文学は、切実な問いを抱えてサバイバルしようとしている人に向けて、公正な社会と精神の自由の可能性を示し、「その問いと、サバイバルするための努力は間違っていない」というメッセージを物語に織り込んで届けるものだった。ダメな文学は、「切実な問いを抱える必要はない」という「体制的な」メッセージを結果的に送りつけてしまい、テレビのバラエティのような悲惨な媒体に堕してしまう。」(第142回芥川龍之介賞選評より。この回、受賞者なし)

2019年1月26日

読書状況 読み終わった [2019年1月26日]
カテゴリ 残平成百日百冊

 巻末の解説を村上龍が書いている。昭和五十九年四月とある。文芸評論家の加藤典洋が村上春樹と村上龍を論じた文章にこの解説の村上龍を引用している、そこから引用、
「一方、『風の歌を聞け』から五年後、八四年に村上龍は一転、こう書く。サザンオールスターズの桑田佳祐が証明したのは簡単にいえば「否定性」んなどなくてもよい音楽は作れるということだ。桑田は「たぶん気づいていないかも知れない」がサザンは、そのことをはじめて証しだてた。その点では彼らは「すごいバンド」なのだ。それが、サザンが「日本に初めて現れたポップバンド」であることの意味だ。「ポップスはずっと日本に存在しなかった」。なぜか。日本がこれまでずうっと「貧乏だったからだ」。
 あしたの米がない、ひえも食い尽くした、娘を身売りしなければ、……という百姓は「ラブ・ミー・テンダー」や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を絶対に聞けないし、聞こうとしないだろう。(中略)
 「喉が乾いた、ビールを飲む、うまい!」
 「横に女がいる、きれいだ、やりたい!」
 「すてきなワンピース、買った、うれしい!」
 それらのシンプルなことがポップスの本質である。そしてポップスは、人間の苦悩とか思想よりも、つまり「生きる目的は?」とか「私は誰? ここはどこ?」よりも、大切な感覚について表現されるものだ。
 だから、ポップスは強い。ポップスは売れる。すべての表現はポップスとなっていくだろう。」
(〜加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』岩波新書、「否定性と悲哀ー『風の歌を聴け』の画期性」より)

 もうひとつ、村上龍による解説の最後に書かている話を引用する。

「僕は九州の基地の町で生まれ、育った。高校の頃、「D」というジャズ喫茶に通った。Sさんというのがマスターだった。Sさんにはいろんなことを教えて貰った。コルトレーンを聞くんならC・パーカーを聞いて来い、パーカーを聞くんならアームストロングを聞いて来い、とそんな人だった。ジャズに浸りきって、酔うと決まって泣いた。
「ああ、どうして俺は黒人に生まれてこなかったんだ」
 そう言って泣くのだ。「D」には大勢の黒人兵が来て、彼らの好みで、僕は「黒い」と「白い」の区別をぼんやりと知った。
 Sさんは日本のジャズに絶望していた。Sさんは、今のラッツ&スターみたいに、顔を黒く塗ったりしていたこともあった。酒と麻薬が好きだった。麻薬は止(や)めよう止めようとしていたのだが、何しろ絶望していたので、止めることができなかった。もちろん警察からはマークされていたが、タレコミ屋となることで泳がされていた。当時僕は横田基地の傍に住んでいて、帰郷のたびに、Sさんに「白い粉」や「チョコレート」をプレゼントしていた。二十歳になってすぐ、僕は逮捕された。Sさんがタレこんだ、と友人が教えてくれた。「D」は閉店し、Sさんは僕と会うと逃げるようになった。僕は別にSさんのことを恨んではいなかった。
 それからしばらくして、Sさんは自殺した。
 僕は残念でならない。
 Sさんに生きていてサザンを聞いてもらいたかった。もし、「東京シャッフル」をSさんが聞いたなら、死ななくてもすんだかも知れないと思う。桑田佳祐の、ビートを一途に信じる力、ビートに従う日本語を探す才能、そんな人間が日本にも出てきたと知ったら、Sさんは希望をもてたかも知れない。
 歌は革命を起こせない。
 しかし、歌は、自殺を止める力を持っている。」

2019年1月19日

読書状況 積読

平成の残りの日に一日一冊読書しようと考えて『羊をめぐる冒険』から読み始めたのは加藤典洋のこの本の出版記念トークショーを聴きながら思いついた。
加藤は、村上春樹がただの本が売れる作家なのではなく、日本の伝統的純文学の系譜に連なる小説家であることを示していく。
「村上は、その作品を虚心に読む限り、これら安倍、三島、お終えに対立するというよりも、その反逆の伝統に連なる日本の戦後の文学者の一人である。その批評的エッセイを読めばわかるが、太宰治をはじめ、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎、夏目漱石など近現代の日本の文学の山稜に直接に連なる、じつに知的内蔵量膨大な端倪すべからざる文学者なのである。」
「私としては、いま、村上のこうした文学的な高度な達成が、中国の現代文学にとっても、韓国の現代文学にとってもー他の国の現代文学にとってと同様にー他人事でない所以を示したい。世の村上好きの愛読者たちには嫌がられるかもしれないが、村上は、そういうファン以上に、彼に無関心なあなた方隣国の知識層にとってこそ、大事な存在なのだと知らしめたい。/一言で言えば、村上春樹は、そんなに親しみやすくも、わかりやすくもない。見くびってはならぬ。/「村上春樹は、むずかしい」のである。」
(〜「はじめに」より)

2019年1月19日

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読書状況 積読

2009年から「群像」で連載が始まって読んでいたが、東日本大震災の後にしばらくほとんどの小説が読もうにも読めなくなった時期にこの小説だけを読むことが出来た。その点で忘れることがないだろう大事な本である。単行本刊行時は高知県に居たが、友人がサイン本を送ってくれた。銀色の文字でサインされていて、大切にしている。

2019年1月18日

読書状況 積読

2019年12月18日の明治学院大学横浜キャンパスでの「さらば大学@高橋源一郎最終講義」にて高橋源一郎が引いた本で、迷うような時に開く、と言っていた。ぼくの本棚にも二十年以上も常にすぐ手の届く場所に置かれているのに二十年も開いていない(のでこれを書くにあたって開いた)。言わずと知れた有名本がいまは文庫で一冊にまとまっている。

2019年1月18日

読書状況 積読

 村上春樹がまだ手練手管の書き手ではなくて、もしこれから『1Q84』なんかを読むならその前にこれを読んでください。そしてこれが書かれたのが何年だったか考えよう。村上春樹は高橋源一郎の『さようならギャングたち』(群像'81年12月号掲載)を読んで『さようなら~』が看過出来ない小説なのはよくわかっただろうしこの『羊~』(群像’82年8月号掲載)にはしっかり『さようなら~』を読んだことが刻まれている。
 語り部は、育った街を流れる川の河口で最後、泣いた。北海道に行く場面がもちろん重要だが、この物語は終始この(作中でふるさとの街の地名は明記されないが)芦屋川の河口のあたりに立ち尽くして語られているとぼくは感じる。『羊~』が書かれた1981~82年頃、かつての芦屋浜海岸沿いにはまだ谷崎潤一郎記念館も芦屋市図書館・美術館もなくてさみしい場所だったろう。いまはその先に二段階にわたって埋立地に住宅街が造成され、阪神淡路大震災を乗り越え年月を経て、ここで育った子供から同じものを奪いたくないとすればいまさらそれを取り消せとも言えない。村上春樹は現在に至ってもこの源泉を抱えているように見える。

2019年1月18日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2019年1月18日]
カテゴリ 残平成百日百冊

森を散歩中に加藤典洋の講演録音を聴いていると、初期の村上春樹の作品が好きだと言って、平成の残り日数で一日一冊を読むにあたっての最初をこれにしようと思った。再読のはずだが、読み進めるにつれて内容の記憶が、途中で読むのをやめたんだっけ? と思うほどとにかく薄れていて、鼠がぼく自身に重なって感じて、もっと読むと語り手がぼく自身に重なってきた。下巻の最後、爆発の煙を汽車から眺める場面まで読み進めて、何度も読んでることがわかった。しかし前回読んだのはそんなに前でもない気もする。そもそも村上春樹が書くものの語り部がぼくっぽいやつなのが原因なのか、と考えるも、ぼくっぽいと思う読者がとても多いのが村上春樹でもあるので、よく本を読む人で村上春樹を読んでいるひとにこの件でいろいろ相談をしたいのでお願いします。

2019年1月18日

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読書状況 読み終わった [2019年1月18日]
カテゴリ 残平成百日百冊
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