吾輩は猫である (岩波文庫 緑 10-1)

  • 岩波書店 (1990年4月16日発売)
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奥泉光の「『吾輩は猫である』殺人事件」(https://booklog.jp/users/yamaitsu/archives/1/4309414478)を読んだ際に、再読しておけばよかったと後悔したので、今更ながら手に取ったのだけれど、てっきり再読のつもりが、あれ?こんなに分厚かったっけ?(500頁)もしかして私が小学生か中学生の頃に読んだつもりでいたのは、子供むけにものすごく端折ってあったバージョン?と今頃気づく。翻訳ものならまだしも、まさか日本の作品だからそのままだろうと思い込んでいましたが、どうやらこれ、この年にして全文読むのは初めてということになりました。

語り手はご存知名無しの猫「吾輩」、登場人物はお馴染み彼の飼い主で英語教師の苦沙弥先生、その細君と三人の娘たち、下女のおさん、そして四六時中先生宅にやってくる先生の学生時代の同級生で美学者の迷亭、同じく友人の哲学者・八木独仙、先生の教え子で理学士の水島寒月、この寒月の友人で詩人の越智東風など。最初に読んだ頃は自分が子供だから、ものすごくおじさんのように思っていた苦沙弥先生、実際には30代前半くらいのようです。今の私より全然若い。「吾輩」も語り口からずいぶん老成した猫のように思っていたけれど、1~2歳くらいのとても若い猫でした。

改めて読んでとても面白かったのだけど、むしろこれ、子供が読んで果たして面白かったのかな?と不思議な気持ち。なんとなく、猫が語り手、というのと、漱石は「坊ちゃん」など子供にも読みやすいというイメージがあったのだけど、実際には本作は、世相への皮肉、シニカルな視点、難解な引用など、かなり大人むけの内容じゃなかろうか。時代背景的にも明治38年~39年(1905~1906)の連載なので、時々日露戦争の話題が出たり、現代とはかなり習慣が違い、大人でも訳注が必要な部分も多々あり。なぜ子供むけなどと思い込んでいたのか自分。

全11話、1話完結のホームドラマ風で、ちょっとした事件が起こることもありますが、ほぼ先生と訪問者たちの理屈っぽい会話や吾輩による人物や世相の分析など、日常の一コマ的なとりとめない内容。時代的に若干、男尊女卑的な発言もありつつ、苦沙弥先生の奥さんは大人しく引っ込んでるわけではないし、11話の、迷亭の、いずれ人間は結婚しなくなるという未来予想図はかなり面白かったです。迷亭は基本的にホラばかりふいているけれど、2020年現在、まさに彼の言ったようなことが現実になっていることを思うと、あながち彼の言葉はホラばかりでもない。

登場人物では、この迷亭が一番好きでした。現代でいうなら森見登美彦の小説に出てきそうな人物。時代は違えど、政権批判や男女の問題など、現代人が読んでも思い当たる、はっとするような意見もたくさんあり、日本人って実は良くも悪くも全然変わっていないのでは…と複雑な気持ちに。総じて、大人こそ読むべき本だと思いました。名作はやっぱり面白いですね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:  >な行
感想投稿日 : 2020年8月11日
読了日 : 2020年8月11日
本棚登録日 : 2020年8月11日

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