勧善懲悪――水戸黄門をはじめとする時代劇に代表されるように、日本人はこの手の話が大好物であろう。『空飛ぶタイヤ』もまた、時代背景は江戸、平成と異なるが、この系譜に名を連ねる、いわば甘い汁を吸う悪代官をやっつける町人の味方という構図に当てはまる物語であった。
空飛ぶタイヤは奇しくも自分にとって、平成最後に読了した本ということになったが、世の中が十連休に浮かれ、その間に年号が「令和」に変わり、一見平和が訪れたかに見える日常も、ニュースでは連日暴走した車の犠牲となった痛ましく、理不尽で、憐れな人たちが報じられている。これらの「事実」は、ニュースではあっという間に消費され、風化してしまう。だからこそ、この物語の存在が重要なのである。
事実を下敷きとして、池井戸氏はそのディテールをおのが想像力を駆使して物語に仕立て上げた。この想像力こそが作品にリアリティをもたらしている。そして、リアリティは読者の読むことへの推進力となるのである。
事実(と呼ばれるもの自体、実は多分に脚色されていることも多いが)を伝えるニュースでは感じ取れない勧善懲悪を、久しぶりに思う存分楽しめた。組織という巨人をバックに自己正当化を繰り返し試みる奴らに下される鉄槌こそ、最高のカタルシスであることをこの本は教えてくれる。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
小説・物語
- 感想投稿日 : 2019年5月7日
- 読了日 : 2019年4月28日
- 本棚登録日 : 2019年4月15日
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