ツチヤ教授の哲学講義

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000013994

感想・レビュー・書評

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  • 昔は哲学好きだったけど、ざっと読む分にはよくわからんなー。わかりやすいのか??

  • 哲学って結局何を学んで、どういう研究をする学問なんだろう…と、いうのが積年の謎だったけど、それが少しだけわかった気がしました(○´∀`о。゚

    特にヴィトゲンシュタインの言語ゲームの概念はすごい‼
    この本の途中まで読んでて、哲学の分野で、意味のある成果(仕事、貢献)って結局なんなんだろう?? 哲学って研究する意味あるんだろうか??という疑問がむくむく湧いてきたけど、なるほど、言語ゲームは偉大な成果だ‼と思った‼これだけ一つの分野(しかもずば抜けて歴史が長い分野)に影響を及ぼす研究成果ってすごいですよ‼

    きっと土屋先生の本(講義)の構成も、土屋先生の示したい結論が納得できるよう良く練られているのだと思います。他の哲学の本も読んで比較した方が良さそう。

    大学の講義を文書化したものなので、わかりやすい反面、ちょっと冗長な感じがしたのが、少し残念でした。

  • 高校で習った哲学は哲学の歴史であって哲学ではなかった。と今気づけてよかった。信じやすいので高校の教科書はすぐ納得しちゃったが、筋道立てて考えるとはのエッセンスに溢れてた。コツはいるし難しそうだ。だけど私も哲学者になりたい。

  • 哲学はどんなものか 納得するかどつか

    〈根本を疑いだしたらキリがない、今の私には哲学をじっくり学ぶ余裕がない。大学入りたてで学ぶのは心のゆとり問題からも適している

    宗教:合理的根拠がなくても信じる、何を重視するか
    哲学:疑って吟味して知識を獲得する、問題があってそれを解決する。哲学は宗教ではないから独断的に主張するだけではダメで、誰にも納得出来るような根拠を示して主張しなくてはいけない。文学と違って誰が考えても納得出来る答えじゃないといけない。

    人間は一体どうすれば自分のためになるのかということも分からないで生きている
    欲望を満たして生きていくのは生まれた時からのプログラム通りに動くのと同じ

    ほとんどの場合、なぜかという問に答えることは永久にできない


    謙虚な態度

  • 哲学とは何かというのをゆっくりと語りながら述べていく本。
    面白い本だけどそもそも自分が哲学と相性が悪かった。
    哲学的な問題は好きだけど、哲学的な解法は好きではない。理論的ではなく統計的なアプローチで望みたくなるし。
    自分は言語ゲームが得意ではないな。
    後半のウィトゲンシュタインの話は良かった。作者もこの立場を支持しててわかりやすい
    最後の語りは良いけどそこ以外は面白くはなかった。

    哲学とは考える学問、考えることによって形而上学的な感覚・経験を超えた知識を得ようとする学問。
    哲学的な問題はすべて言葉に対する誤解が元で生じている
    哲学的な問題は解決できなく、解消するべきである。言語そのものの構造から言って解決できない仕組みになっている。

    哲学とは頭の中で考えて、言葉と言葉の関係や論理的な関係とかを分析することしかできない。哲学的問題に関して理解を深める
    人間は放って置くと解決できない哲学的な問題を作り出してしまう。そしてそれに回答があると思ってしまう。
    問題が無意味と明らかにするのが哲学の仕事。

  • ほとんどの哲学の問題は言葉の使い方の問題であり、言葉の問題を除いた哲学の問題は解決できない問題だ、ということを語るのが哲学なのだ

  • 哲学的問題、たとえば「生きることにどんな意味があるか」、などは胡散臭い。どこかに解決があるような問題ではない。形而上学を探求すれば真理がある、という錯覚を明らかにする。う〜む、なかなか難しいな。でも、なんとなく分かるような気もする。

  •  難解な哲学をかなり細かく咀嚼して解説してくれる良書。「なぜ美しいか」との問いに「美が宿っているからだ」と答えるプラトンのイデア論は真理であるのか、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」で説いた「われ思う」こそ疑えない真理であるというのは正しいのか。いずれにも土屋先生は否定的な考えを持つ。では、ウィトゲンシュタインの主張するように、哲学的問題は言語ゲームの一つでしかないのか。土屋先生は、哲学が無意味だということを明らかにするのも哲学の仕事だと言う。問いが堂々巡りになっている気もするが、勉強した上で自分なりに「哲学とは何か」を考えたい。

  • 講義を聴いているみたいで読みやすい。この筆者のエッセイとちがってまじめに哲学のことを説明しようとしているところが面白いかな。

  • 人間、言葉でしか考えられない、ということ。

  • 哲学って何?という興味で読み始め、何度も睡魔に襲われつつ読み終えた。やはり哲学って何?を深めた結果になったが、哲学のいくつかのエッセンスを面白くわかりやすい例えを用いて講義してくれているので、哲学に興味をもつきっかけ本として、とてもいい本なんじゃないかと思えた。それは自分が読み終えることができたということからも証明される(笑)

  • すこしだけ、ウィトゲンシュタインに歩み寄れた気がする。
    それにしても、ジャケットがかっこいい。

  • 著者の土屋教授が講義形式でプラトン,アリストテレス,デカルト,
    ウィトゲンシュタインらを紹介しながら,言葉の構造上,
    何であれものの本質を明らかにすることはできないという。

    「なぜこの絵が美しいか」という問いに「美が宿っているから」と答えるプラトンに
    共感を覚える私は,ある意味哲学向きというか,世間向きでないということが
    よく分かった。やれやれ。

  •  「哲学」をテーマとした本はこれまでにも何冊か読んだけど、レビューを書くたびに「結局、哲学とは何なのかがわからない」という結論にたどり着いていた。そして、この本を読んで、初めて「哲学」とはどういう学問なのかがわかったような気がする。考えてみると、これまでに読んだ「哲学」本は、あくまでも哲学的アプローチによって何かしらを論じたものだった。それに対して、本書は「哲学とは何か」を論じたもの。本書を「計算の仕方」を説明する本だと喩えれば、これまでに読んでいた本は計算式にあたる内容と言えるかも。「そもそも」の部分を知らなければ、その計算式が一体何を求めるものなのかなんてわかるはずもなかった。おそらく、本書を読んだ今、これまでに読んできた「哲学」本を読み返せば、ボロボロと目から鱗が落ちる状況となるだろうな。

     この本はこの本で、筆者である土屋さんの主張が色濃く表れているわけだけれど、それでも「哲学とは何か」を知るためには、非常に有用な一冊となる。大学の講義を文章化したもののようで、かなり読みやすいし、内容も理解しやすい。何よりも具体例が豊富なのだ。ただそのぶん、油断すると頭に何も残らない。「なるほど、なるほどー」なんて言いながら読んでいたのに、ふと本を閉じてから考えると、結局どういうことかわからなくなっていたり。いわゆる「具体と抽象」という側面で見ると、「具体」部分がかなりの量を占め、「抽象」が見出しづらいため、そういうことになっちゃうんだと思う。もちろん、土屋さんからすれば、「そのくらい自分で抽象化しなさい」ってことなんだろうけどー。


    【目次】
    はじめに
    第一日 哲学は何でないか
    第二日 五分間は時間とは言えない……か?
    第三日 「マッチを擦ったから火がついた」は説明になっていない……か?
    第四日 机は見えない……か?
    第五日 ツチヤは人間とは言えない……か?
    第六日 どんな疑い深い人でも絶対に疑えない
    第七日 「われ思う」はなぜ疑えないか
    第八日 コーヒーを注文する方法
    第九日 言語ゲームで哲学はどう変わるか
    第一〇日 「哲学の問題を全面的・最終的に解決した」理論
    第一一日 哲学は世界を説明するものか

  • 平積みされていたとして、この装幀で「買ってみようかな」と思う人は何人いるだろう……


    本書の目的は、哲学を知らない人に、哲学がどんなことをするものなのかを理解してもらうことである

    のとおり、p.17で取りあえず、哲学が何なのか(正確には何でないのか)がわかります。曰く

    今まで言ったことを振り返ると、哲学は宗教ではない、哲学は文学でもない、哲学は科学でもない。

    ちょっと、目からウロコでした。言われてみれば、哲学は宗教でもなく、文学でもなく、科学でもありません。

      なお、どのように違うのかは本書で説明されています

    最後の方(p.223)で

    この講義の目的は、哲学が何を解明するものなのかを明らかにすることでした。


    として哲学を総括しています。
    一度読了してからも、枕元に置いて読み返していたくらい、面白い本です。

    そういう面白い本は、20冊くらいあり、いつでも読み返せるように枕元に置いています。例えば『サイエンス・ミニマム10++』とか『反社会学講座』とか『物理数学の直観的方法』とか。

    ただ、いずれも、昨日までは面白い本だったのですが、恩知らずにも、今朝ほど、書籍流となって私を襲いました。寝ぼけていて手がぶつかったのかも知れませんが、そんなことは恩仇返しの理由にはなりません。よって、積み重ねた20冊は、全て、2軍落ち、本棚直行です。

    一方、本日めでたく新1軍に昇格した記念すべき第1号は、『リスクのモノサシ』でした。
    [2006/08/29 ExcelWorld]

  • すっごく分かりやすい。
    講義を聴く形式の文章で、読みやすい。
    でも、哲学の基本的な考え方が分かるものの、
    この人がこんな理論を考えた、というような部分を
    学ぶには少々まどろっこしい。
    哲学の入門の、もう一個前としては、最適。

  • 本当におもしろかった。
    哲学は僕には難しすぎて理解できなかったけど、この本を読んだらほんの少しわかったような気になることができた。

    土屋先生はエッセイがおもしろくて、よく読んでいたのだけれど、ちゃんとしたものを書いてもおもしろいということがわかった。
    やっぱ頭いいんだろうな。

    それにしてもなぜこんなギャグみたいな表紙に(笑)

    内容はいたってまともだし、非常に面白かったです。

  • 般教以外で哲学に触れた機会のなかった私には、かなり興味深く読めた1冊。これを読むと、土屋先生のエッセイが更に奥行きを増し、可笑しさも増した(笑)

  • 哲学の入門書に良いと言うことで読んでみた。

    が、そんなに参考にはならなかった気がする。
    確かに入門書ということで読みやすい。講義形式を書き起こしているのでわかりやすい。でも、考える、理解する、というレベルではなく、ほんとに大教室で話を聞いているだけのような感覚。

    私には「ソフィーの世界」の方が入門書としては合っていたようだ。

    哲学の入門書、ではなく、”哲学的な考え方の入門書”だったのかな?

  • 哲学って聞くだけで拒否感を覚える人には是非読んで欲しい。
    なんだか気持ちが軽くなる。

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著者プロフィール

1944年岡山県玉野市生まれ。玉野市立宇野幼稚園、宇野小学校、宇野中学校と、とんとん拍子に宇野地区きっての名門校を進み、中学2年生のとき岡山市立丸の内中学校に転校。岡山操山高校を経て、官僚を目指して東京大学文科一類に入学。2年後、方針転換して文学部哲学科に進学して大学院博士課程中退。東大助手を務めた後、お茶の水女子大学に着任。35年にわたって哲学を教え、現在、お茶の水女子大学名誉教授。 哲学のかたわら、五十歳のときユーモアエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)を出版したのを皮切りに、『妻と罰』『ツチヤの貧格』(文春文庫)、『ツチヤ学部長の弁明』(講談社文庫)など多数のユーモアエッセイ集と、『ツチヤ教授の哲学講義』『ツチヤ教授の哲学入門――なぜ人間は八本足か』(文春文庫)など少数の哲学書を発表、いずれも好評のうちに絶賛在庫中。他に『幸・不幸の分かれ道――考え違いとユーモア』(東京書籍)、『われ悩む、ゆえにわれあり―― ツチヤ教授の人生相談』(PHP)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている。週刊文春とPHPに連載中。

「2013年 『哲学者にならない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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