国家を歌うのは誰か?: グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (107ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000228855

作品紹介・あらすじ

「国民国家の崩壊が始まったのは、国民の自決権(民族自決権)が全ヨーロッパで承認され、国民の意思があらゆる法的・抽象的制度-つまり国家-にまさることが普遍的に受け入れられたときです。いわば国民は、国家よりもまさっていたのです」(G・スピヴァク)。今日もっとも刺激的な二人の思想家が、新しい政治共同体の可能性を語りあう。

感想・レビュー・書評

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  • ハンナ・アーレントを軸としながら、国家について、ポスト構造主義・フェミニズムの代表的な論客2名が議論する。

    わけなのだが、なんだか話は今ひとつかみ合わない。どちらかというと、アーレントの読みとパフォーマティブな国家の脱構築(?)という観点のバトラーに対して、マルクス的なグローバルな資本と国家、民族といった問題意識のスピヴァクで、それぞれが結構長い話をするだけで、インターアクティブな感じはあまりないな。最後のほうで、ようやく、議論がアクティブになり始めたところでおしまい。

    なんだか、ちょっと欲求不満になるのであった。

    でも、ちょっとした刺激というか、問題意識というか、視点を得ることはできた。

    「国民国家」はまさに終わろうとしているんだな、と。そうしたなかで、国際的な法の枠組みは、国民国家をベースとした主権概念に基づいているわけで、その矛盾というのが、今日のさまざまな問題を見るときのポイントかなと思った。

  • 確認先:目黒区立八雲中央図書館・川崎市立宮前図書館・町田市立中央図書館

    香山リカが朝日新聞でスピヴァクを絡めて書評していたので、ご存知の方も多いと思われる(香山自身は「バトラーを書評した斎藤美奈子への」アンサーソングのつもりでやったと思われるがそれはそれで好印象を受けた)。二人(と訳者竹村和子)の文体が口語体なので読みやすいが、取り扱うテーマは非常に深いものがある(アーレントやアガンベン、さらにはシュミットなどにも言及していくという展開)。

    ナシオン(フランス語)ステイツというパッケージが軋みを見せる中で、二人のトークがさえぎり渡る世界とは何か―一読するとそこにヒントがあるかも知れない。

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著者プロフィール

カリフォルニア大学バークレー校教授。主な著書に『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの撹乱』『アンティゴネーの主張――問い直される親族関係』(以上、竹村和子訳、青土社)、『アセンブリ――行為遂行性・複数性・政治』(佐藤嘉幸・清水知子訳、青土社)、『分かれ道――ユダヤ性とシオニズム批判』(大橋洋一・岸まどか訳、青土社)、『権力の心的な生――主体化=服従化に関する諸理論』『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』(以上、佐藤嘉幸・清水知子訳、月曜社)、『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』(本橋哲也訳、以文社)、『戦争の枠組――生はいつ嘆きうるものであるのか』(清水晶子訳、筑摩書房)、『触発する言葉――言葉・権力・行為体』(竹村和子訳、岩波書店)、『欲望の主体――ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義』(大河内泰樹・岡崎佑香・岡崎龍・野尻英一訳、堀之内出版)、『偶発性・ヘゲモニー・普遍性――新しい対抗政治への対話』(エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェクとの共著、竹村和子・村山敏勝訳、青土社)、『国家を歌うのは誰か?――グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属』(ガヤトリ・スピヴァクとの共著、竹村和子訳、岩波書店)などがある。

「2021年 『問題=物質となる身体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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