- Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000237123
感想・レビュー・書評
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デリダの追悼文集の2冊目。90年初頭からデリダ自身の死の前年の2003年までを納める。
追悼された人は、ジル・ドゥルーズ、エマニュエル・レヴィナス、ジャン=フランソワ・リオタール、モーリス・ブランショなど。
追悼する自身の死を予感しつつ、親しい友人、というか思想上の盟友たちを次々と見送って行く。
しばしば、デリダは、言葉を失う、何かを話す勇気がない、といったところから、話をスタートする。
ドゥルーズへの追悼の冒頭
「言うべき事がありすぎる。そして私には、今日、それを口にするだけの気力がない」
リオタールへの追悼の冒頭
「私には力が欠けている。私たちに生じたことに公の言葉を適合させるのは不可能なような気がする」
ブランショへの追悼の冒頭
「数日数夜、私は空しく自問しています。今、ここで、なおも声を発する力がいったいどこから私のもとにやってくるのだろうか、と。私は、そうした力をモーリス・ブランショ自身から受け取っていると信じたいと思いますし、またそう考える事ができれば、と願っています。まさにここで、この瞬間、モーリス・ブランショというこの名前を口にするとき、どうして身を震わせずにいられるでしょうか」
こうした言葉は、ある意味、常套句なのかもしれないが、まさに言葉を失う瞬間から、言葉が、またわき起こってくる様をみるようでとてもスリリングだ。
そして、話しかける相手を無くしてしまった追悼者は一人さまよう。
ドゥルーズへの追悼。
「これからも私はジル・ドゥルーズを読み続け、あるいは新たに読み始め、学んで行く事だろう。そして、我々二人が行うはずであった長い対談のなかで、これから私はひとりさまよわなければならない」
こうした追悼文を集めるという行為はある意味、悪趣味なことである。デリダは、序文で、この本は、この編者に属するものである、と言っている。が、一応、そういう序文を自ら書くことを引き受けた訳で、これもまた遠からぬ自身の死に向けた準備、喪の作業であったのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示