敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244213

作品紹介・あらすじ

敗北を抱きしめながら、日本の民衆が「上からの革命」に力強く呼応したとき、改革はすでに腐蝕し始めていた。身を寄せる天皇をかたく抱擁し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った…新たに増補された多数の図版と本文があいまって、占領下の複雑な可能性に満ちた空間をヴィジュアルに蘇らせる新版。

感想・レビュー・書評

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  • 第二次大戦後の連合国占領時代の日本および日本人についての記録の下巻。

    本書のハイライトの一つは、第12章・13章の日本国憲法の制定にかかる部分だと思う。GHQ側が示した憲法草案(それは現在の日本国憲法に近いものである)に対して、当時の日本政府側が抵抗を示し、論争と駆け引きが行われる部分である。
    本書によれば、日本政府側が最も抵抗を示したのは、「誰に主権があるのか」という部分であった。GHQ草案が「主権在民」とし、主権は国民にあるとした草案を示したのに対して、日本政府ははっきりと反対の姿勢を示す。現在の日本国憲法の前の憲法、すなわち、大日本帝国憲法においては、国民は天皇陛下の「臣民」であり、軍隊の統帥権をはじめ、法的には天皇陛下に権力が集中をしている構造となっていた。天皇陛下は国会に優越する存在であり、主権は天皇陛下にあったと言っても良い。この部分を変更すること、主権が天皇陛下から国民に移ることに対して日本政府は最も大きな抵抗を示したのである。
    したがって、もし、この部分に関する論争と駆け引きで日本政府側が勝利を収めていたならば、日本という国は、現在とは全く違う国になっていた可能性があるということだ。
    その他にも面白いエピソードがある。新憲法案は国会で審議されたのであるが、日本共産党は新憲法に反対していた。その反対の理由が「いかなる国も自己防衛の権利を否定することは非現実的」であるというものであった。

    本書は6部・17章からなるが、占領軍下の日本を様々な角度から記述している。
    天皇制・憲法制定・GHQによる検閲・東京軍事裁判・戦後の経済活動・戦後の風俗・言論・経済成長、等々。上下巻合わせて800ページ以上に及ぶ大作であるが、読み応えがある。私は、日本の近現代史に興味があり、関連する本を時々であるが、読み続けている。日本の近現代史を理解するのに非常に有益な本でもある。

  • 【本書のまとめ】

    1 天皇制の維持
    占領軍は、軍部と天皇の間に「くさびをうちこむ」ことで、日本帝国の様々な国策から天皇を切り離し、天皇の新しいイメージ(天皇を再び民の手に)を作り出す作業に加担しようとした。終戦間近の状況においては、天皇の無事が日本の無条件降伏に寄与するし、かつ戦後においては、天皇の責任を問わずに、敗戦後の日本で象徴として機能し続けるほうが有用だと判断したからである。

    「くさびを打ち込め」「軍部を悪役にしろ」「天皇を平和主義者にして、天皇制民主主義を建設せよ」というキャンペーンは、公然と大々的に行われた。マッカーサーは、天皇の名においておこなわれた戦争について、裕仁が実際に果たした役割を本気で調査する意思は無く、日本側もそれを望んでいなかった。お互いの利害が一致した形になった。

    一方、国民の意識レベルでは、連合国が懸念していたこと、すなわち「天皇廃止は国民の紐帯を失わせ酷い混乱を生む」ほどのことは起こらなかった。聖なる戦争が終わると「現人神」への崇拝も同様に終わり、ほとんどの日本人は天皇制の運命については見物人を決め込むようになったのである。

    1946年1月1日に公布された天皇の人間宣言は、草案作りに連合軍が関わっていた。大本の狙いは「天皇の神格の否定」であり、日本人および天皇が他国の人間に優越するという意識を無くし、もって民主主義、平和主義、合理主義に徹せる新国家を建設すべく宣言するものであった。人間宣言の内容にこれについては、当初案で目指していたほどの強い神聖の否定はややマイルドな表現になったものの、長ったらしく難しい言い回しと、古風と伝統を想起させ日本人が納得できるような言葉遣いによって、国内外から好意的に受け取られた。

    1946年1月19日、SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)によって極東国際軍事法廷が正式に開設されると、戦争責任を取るための天皇の退位に関してさまざまな意見が起こった。
    日本国民の意見に対し占領当局の意見はシンプルであり、「天皇を支えることが民主的な日本を建設するうえで絶対的に必要であるため、退位は強いない」というものであり、同時に東條英機に、「開戦前の御前会議において天皇が対米戦争に反対しても、自分は強引に戦争まで持って行く腹を決めていた」との旨を証言させ、法廷で犠牲になることを求めていた。
    国民統合の象徴が消えることで日本国民がバラバラになり、共産主義が勃興するのを恐れたうえでの処置である。また、A級戦犯として起訴された戦犯者たちにも、天皇の責任を証言しないように占領当局との口裏合わせが行われていた。

    天皇の退位を巡った駆け引きが展開しているなか、保守派エリートはGHQと協働し、天皇を「人間」へと変身させるコマーシャルキャンペーンを打ち出した。地方巡幸である。
    1954年8月に終了するまで165日を巡幸に費やし、全行程は3万3000キロに及んだ。天皇の新しいイメージ(民に近い存在)を定着させ、天皇を「民と同じ目線まで降ろす」ことに大成功したのだった。


    2 明治憲法改訂
    松本委員会で占領軍に示された新憲法は、あまりに保守的で現状維持的であった。マッカーサーの指示で民政局が憲法改正チームに任じられ、GHQ草案が作られ始める。彼らは強烈な目的意識を共有して仕事に取り組んだ。既存の憲法に修正を加えるというよりも打ち壊して一から作り直していった。
    占領軍側は、天皇主権からの急激な転換を示すGHQ草案を受け入れることこそが、天皇に反対している人から天皇の「身柄を守る」唯一の方法であると主張している。
    新憲法は主権が国民にあることを明文化していたが、それは実際には天皇自身からの贈り物として国民に与えられたのだ。「上からの革命」と「天皇民主主義」は、この儀礼を通じて融合したのである。

    新憲法採択で揺れたのは交戦権規定だ。芦田均は「新憲法の解釈」という本の中で、日本の武力放棄は自衛権までも放棄するものではないと語っているが、吉田茂は自衛権までも放棄の対象に入るという見解を述べている。吉田は、占領終結さえすれば、憲法は修正可能であり、ひいてはアメリカの改革全体も見直しができるという考えを有していたが、一度決まってしまったものを変えるのはそうたやすいことではなかった。
    新憲法の神髄は「国民の政府と国際平和」。その単純さゆえに、国民の琴線に触れ、すんなりと受け入れる土壌が整っていたのである。


    3 新たなタブー
    この国に新たにもたらされた自由は、公の表現活動の隅々にいたるまで、検閲官僚組織によって取り締まられていた。検閲は、1945年9月から日本が主権を回復するまで継続的に実施された。
    検閲の対象は複雑で多岐に渡る。大まかには、戦勝国の価値観を否定するようなものはNGであった。また、検閲と同時に、日本の様々な侵略行為を国民に教育することを求められていた。そのため、連合国側から見た戦争が「真実」であり、メディアはそれを、不作為によってだけでなく、すべき行為としても積極的に裏書きして見せなければならなかった。
    戦死者を悲劇の犠牲者として扱い、戦争の災禍に涙を流すような表現すら不許可の憂き目に合った。それどころか、日本人が占領国との友好的態度を示そうとする表現ですら、ときには過去の軍国主義を彷彿させるという理由で差し止めにあったのだ。
    「占領軍」としてのアメリカは存在しないものとして扱わなければならなかった。この取扱い(特に映画撮影)は非常に困難であり、発禁による経済的打撃を逃れるために自主規制を行う者が後を絶たなかった。

    次第に、検閲の主たる標的が「軍国主義」「愛国主義」といった右翼思想ではなく、「社会主義」「共産主義」といった左翼思想にシフトしていった。


    4 東京裁判
    A級戦犯を裁く裁判は基本的に復讐の営みだった。それは法ではなく政治によるジャッジであり、ゲームが終わってからルールを作る行為である。多くの裁判官がこの裁判を「完全な茶番」とみなし、その意義に疑問を呈するものも少なくなかった。
    なにより、いんちきなルールで裁くことに反対だった者たちの真の理由は、自国の闘いを指示した者はすべて戦勝国によって戦争犯罪人として訴追されうる、という前例を作ってしまうことにあった。
    特に主要判事であるベルナール判事は、この裁判に天皇が不在であることは甚だしく不公平だと述べ、天皇を「違った基準」で測ることは、被告への訴追の阻害と国際司法の意義の喪失を招くと批判し、天皇を守ろうとするマッカーサーとは逆の立場に立った。
    「平和への罪は概念として曖昧である」「戦争は国家の行為であり、国際法上で個人的責任はない」「東京憲章の規定は事後法であり、したがって不法である」という様々に真っ当な批判がなされた。

    同時に、誰を裁くかについても政治的恣意性が働いていた。裁かれるべきか疑問である官僚が裁かれたのに対し、侵略国の国民を慰安婦として働かせたことや、捕虜を実験台に生物兵器を開発していたことは見逃され、計画に加担していた将校や科学者たちは訴追を免れた。


    5 成長と再建
    占領から3年も経つと、外国に統治されることに嫌気がさしてきた日本人が多くなってきたのは明らかだった。それにアメリカも、世界各地で起こる冷戦を見越して、「日本の非軍事化と民主化」にある程度の見切りをつけ始めたのだ。
    戦犯容疑で逮捕されていた有力者たちの起訴を取り下げ、経済が巨大資本化や中央官僚の手中に戻っていった。同時に、急進的な左翼が「レッドパージ」の対象となった。
    世界では連合国が仲間割れしていた。東南アジアの植民地支配を再現しようとするヨーロッパ、東ヨーロッパの弾圧を行うソ連、共産党との闘いにのぞむアメリカ。勝者と敗者の双方があれほど念入りに培ってきた平和という夢は、数年もしないうちに机上の空論に変わっていった。

    朝鮮戦争がはじまると、アメリカは日本の経済再生促進に関心を移していく。
    とはいっても、アメリカ側と日本政府側の経済復興の認識にはずれがあった。アメリカ側は、日本は復興してもせいぜい二流経済国止まりであり、安物雑貨と労働集約型製品を輸出する軽工業国というイメージを持っていたのに対し、日本政府側は、戦時に伸びた重化学工業を活用し、化学と先進技術に結びついた付加価値の高い産業の創出を目指していた。軍需生産によって培った技術を民需生産に振り分ける戦略である。
    そして、朝鮮戦争を皮切りに、世界経済の変化が起こる。貿易パターンが混乱し、外国による戦争受容がさまざまな日本製品の購買を刺激し、猛烈な成長をもたらした。当時の日本は、工業技術能力に余剰のある唯一の工業国だったのだ。
    この新興重商主義国にアメリカは、そんなつもりなどほとんどないまま、実に著しい貢献を果たした。占領軍は民主主義を推進する任務をおびていたのに、実際には、「一部に官僚主義を推進する」結果を生み、その官僚主義的遺産は主として経済に残り続けることになったのだ。


    6 再軍備と解放、そして経済復興
    冷戦が激化すると、アメリカは完全非武装方針を放棄し、日本政府に「警察予備隊」の創設を命じる。
    そこにあるのは一つの分裂した国であった。特に政治的考え方に対して、占領が元来目指した「非軍事化と民主化」の理想を追求するべきなのか、パックス・アメリカーナに組み込まれた「小アメリカ」として軍事化を是とするのかに割れていた。

    1952年4月28日に日本国の主権は回復されたが、その瞬間の街はとても静かであった。「日本は独立国家になったか」との問いに「はい」と答えた者は41%しかいなかった。

    果たして、日本は変わったのだろうか。祐仁とマッカーサーという二人の天皇が目指したのは、全く異なる道筋であった。裕仁はその存在自体が証明するように、戦中戦後において日本人の価値観に変化はなかったと言った。しかし、マッカーサーは、――例え日本を見る目が植民地支配者の感覚であり、12歳の未成人がやっと自分の足で立つまで成長できたという、発展途上国への見下した意識が根底にあったとしても――日本人が遂げた革命的な変貌を賞賛してやまなかったのだ。

    その後、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として知られるように、経済大国として一定の地位を獲得する。戦後「日本モデル」の出現は、何が原因として見られるべきだろうか?
    1970~80年代には、集団の和、縦型の人間関係、個別特殊主義といった「日本人論」が出ては消えて行ったが、それらの「日本モデル」の特徴とされたものの大部分は、じつは日本とアメリカの交配型モデルであった。
    日本を貫いていた特徴は、「日本は脆弱である」という絶え間ない恐怖感と、最大の経済成長を遂げるためには国家の上層部による計画と保護が不可欠だという考えが広く存在したことであった。後に日本モデルと呼ばれ、儒教的価値のレトリックで覆い隠されたものの多くは、実は単に先の戦争が産んだ制度的遺産だったのである。
    そこに占領軍が加わり、日本の強力な官僚的権威主義をさらに強力にした。占領軍は到着した瞬間から日本の官僚組織を保護し、行政の合理化を進めて、結果的に官僚の権力をさらに少数者の手に集めた。
    何より重要なのは、マッカーサー自身が官僚制度の権化であったことだ。司令部が発する命令は絶対であり、透明性は無く、日本の誰に対しても説明責任を負わず、検閲を堂々と行っていた。民主主義を進めるための占領軍は、日本の復興の過程において、一部分を少数者支配に委ねたのであった。

    敗北と占領は日本にダブルスタンダードを残した。憲法9条による「非軍事化と民主主義化」と、「国際的責任の遂行」の狭間で、日本はいまだに揺れ続けている。


    【感想】

    なんという大著。まとめようとしてもなかなかまとめきれず、歴史を簡単になぞる程度の要約になってしまった。
    戦後の日本人と旧軍部に起こった思想の変化と、占領軍が、時に日本人よりも情熱を持って日本の復興にまい進していたことが、緻密に記されている。

    特に、88ページから97ページの間に綴られている、渡辺清という復員兵を描いた「ある男の砕かれた神」の部分は必見だ。
    天皇の戦争責任が消失したことへの困惑。アメリカを敵として憎んでいた人間が、一夜にしてへりくだった態度に変貌したことへの失望。戦争支持者が米国民主主義支持者へとシフトした移り気への嫌悪感。そして、何から何まで嘘と方便によって塗り替わってしまった社会への厭世の気持ちが、一人の男の日記をもってありありと描かれている。
    現代に生きる我々は、「原爆を打ち込んだ敵国に、何故こんなにも素早くかつ従順に従うことができるのだろうか?」という疑問を抱くことがあると思う。渡辺はその感情の代弁者だ。
    この部分だけでも十二分に読む価値があると言えるだろう。

    そして、226~227ページには、「検閲と思想統制が日本人的態度に影響を与えた」という非常に興味深い考えが記されている。

    “この検閲民主主義は、イデオロギーを超越した根深い所に遺産を残した。表向き「表現の自由」をうたう中で実施された秘密検閲システムと思想統制は、(略)政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前を並べながら、その陰で合意形成を躍起になって交錯した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである”

    当時の占領軍の行動は、民主主義を目指しながら言論を統制するという矛盾に満ちたものであった。これが日本人を象徴する矛盾した態度――建前では同意しながら本音では納得しないこと――のルーツである、と考えるのは、さほど荒唐無稽とは思えない。敗戦と占領は間違いなく、国民の意識と国民性までも変えてしまったのだから。

    • 澤田拓也さん
      すいびょうさん、
      『敗北を抱きしめて』は、人生のお気に入りの三冊の中の一冊にも入れているほど、衝撃的な一冊でした。これを国内ではなく、海外...
      すいびょうさん、
      『敗北を抱きしめて』は、人生のお気に入りの三冊の中の一冊にも入れているほど、衝撃的な一冊でした。これを国内ではなく、海外の学者が書いたというのもまた意味があることとも。
      復員兵の日記「ある男の砕かれた神」も読み返しましたが確かに必読。
      改めて時間を見つけて再読したいと思いました。
      2021/02/27
    • すいびょうさん
      澤田拓也さん
      いつも見てくださり、そしてコメントいただきありがとうございます。
      日本文化の埒外にいる筆者が、これほどまでに卓越した洞察力と日...
      澤田拓也さん
      いつも見てくださり、そしてコメントいただきありがとうございます。
      日本文化の埒外にいる筆者が、これほどまでに卓越した洞察力と日本への理解力を持っているというのは本当に驚きでした。
      何度読んでも新しい発見のある本だと思います。
      2021/02/27
  • 最期の1ページまで、貪るように読みました。
    本当におもしろかった。

    今の日本について、常々不思議に思っていたことの答え、というか、なぜそうなのか原因みたいなものがいくつか書かれてあって、「なるほど、そういうことか」と思った。

    たとえば、多くの日本人の中に強くある、戦争の被害者意識。
    大人から子供まで、どうしてこんなにも「被害者」としての意識が強いんだろう、と常々疑問だった。海外が日本を見る目と真逆なだけに。
    私は、小林よしのりはじめ、「脱自虐」を唱える人たちのキャンペーンの結果かしらなどと思っていたけれど、さかのぼると、GHQと日本の関係、東京裁判のダブルスタンダード、そういったものの結果なのだと分かった。
    とても興味深い。

    また、最近ネット上でかなり目に余ると感じる歴史修正主義者たちの主張(たとえば、南京大虐殺はでっちあげである、等)や、ネトウヨたちの主張(日本はアジアを帝国主義から救おうとした、等)の根拠も、この本を読んで、初めて理解した。もちろん今もまったく賛成はできないけれど、根拠と論旨は分かった。
    今までは全く理解不能だったのだけれど。

    自民党とアメリカ、自民党と産業界の結びつきもしかり。
    まあとにかくいろいろと腑に落ちました。

    しかし一番驚いたのは、なんといっても、やっぱり、憲法9条は、天皇を守るために作られた、という部分。
    衝撃でした。

    憲法については、マッカーサーの性格とリーダーシップ、担当者たちの理想への思いが素敵な形で結実したわけだけれど、それ以外については、裕仁が退位しなかったことは多くの面でマイナスに働いているように見えた。いろいろと考えさせられた。

    特に、戦後GHQが行なった検閲は、たまに言及されることがあっても、戦前の検閲ほどのものではないだろうと思って今まで気にしたことがなかったけれども、こうして検証してみると、それによる不利益はかなり大きかったようで、驚いた。

    そして、東京裁判の被告たちが、文字通り「天皇を守る楯となって死んでいった」ところ・・・・
    英語圏の人の著書らしく、皮肉たっぷりに描かれているこの部分は、右翼じゃなくてもスッキリしないものを感じる(もちろん右翼の方々の思いとは違う意味で)。
    「共同謀議」が行なわれたとされる全期間を通して権力の中心にいたのは、じつは、天皇裕仁だけだったというのに、天皇に責任が及ぶような証言は控えるよう被告たちに裏工作されていたとは!

    また、この裁判に関係した判事はじめ多くの人の裁判に対する疑義は、ここ数年、まさに世界で沸騰しつつある人種問題や政治の問題が含まれている。
    帝国のダブルスタンダードは今もまだまだ健在だよなぁ、とため息まじりに思う。

    マッカーサーの人気が最後に急激にしぼんでいった様子は、申し訳ないけど、笑ってしまった!
    愛されていると思ってたのに、チョロイから便利に使われていただけか!と分かってショックを受けるという、大失恋の物語。
    日本とアメリカの関係の縮図(今も続く)ですね。

  • ポツダム宣言を履行するために「日本に戦争を永久に放棄させ、民主主義国家に作り変える」お花畑リベラルが頭の中だけで描いた理想は冷戦の現実にあっけなく崩れ、日本をおぞましい共産圏の「日本人民共和国」にするわけにはいかないため天皇制を維持し、天皇制を維持する以上、天皇に戦争責任を負わせるわけにはいかず、スケープゴートとして戦犯を「作る」必要があった。

    東京裁判は、訴因「平和に対する罪=世界征服を意図した共同謀議」があからさまな事後法である上に、噴飯物の罪状であり、被告の人選も出鱈目(せめて何名かは日本人自らが訴追すべきだったのではないか)、法手続きも粗雑を極め、ショウケース裁判として歴史に汚点を残した。

    天皇制について著者は「国民はそれほど関心を持っていない、過去には女性天皇もいる単に過大評価された王制」と実利的に考えているが、前半は正しくても後半は大間違いで、2000年以上続く(そのつながりがどれほど細く、極論すればフィクションだとしても)男系という「権威」が重要なのである。

    西欧文明では神の代理人たる教皇に、地上の権力である国王が「人間対人間の」争いで勝利し、その国王を人民が打倒した歴史があるため、民主主義共和国であっても神は残るのだが、女系天皇制や天皇制の廃止は、神そのものを消しさるに等しい暴挙なのである。

    健全な民主制は国民が「自律的に」参画する制度のはずだが、ナチスドイツやソ連、中共と簡単に扇動される衆愚制を目の当たりにして、連合国は狡猾な検閲による思想統制を導入し、結果として「建前と本音」「ダブルスタンダード」の嘘で固めた民主制もどきが出来上がった。

    結果的に完敗したとはいえ、欧米諸国との戦争を選択肢に入れられる程度には科学力・工業力を持った国を「玩具や雑貨を輸出して慎ましく暮らす」レベルに落とし、その代わりに財閥や独占企業の力を削いで、国民が権利を主張できるバランスの取れた国に変える構想は、朝鮮戦争特需で一瞬にして超効率的な(技術支援に品質管理技法の特典までついた)統制経済を復活させ、その代償として経済以外がすべて犠牲にされる体制は、大蔵省が占領軍の権力をまんまと引き継いでますます強化された。

    敗戦は、連合国にとってナチスドイツのような狂信的で強固な集団と思われていた日本人が、茫然自失となり、そこから誇りも名誉も道徳もかなぐり捨てて、ただ生きるために必死になる哀れな姿を容赦なくさらけ出した。

    もしかしたら瓦礫の中から日本人の手による民主主義(とは限らないかもしれないが)国家を再生できたのかもしれない。

    しかし冷戦の現実が、半ばアメリカに属国化され、半ばは旧体制を引継ぎ、半ばは国民の意思(与えられたものと自ら手にしたものがあるにせよ)を反映した中途半端な「日本」を混血の未熟児として産み育てた。

    エピローグ(ここだけでも読んだ価値があった)によると、昭和天皇崩御をもって「戦後」は終わったという。戦後の毒や負の遺産は消えていないが、2700年に及ぶ日本史の視点で見ると64年程度の歪みはちょっとした病気療養期間に過ぎないのかもしれない。

    本書にルーズベルトの名前は出てこなかった。そもそもソ連に踊らされて日本にハルノートを突きつけて戦争せざるを得ない状況にに引きずり込んだ上に(これは日本も同様だが)、ポツダム宣言に無条件降伏を盛り込んで終戦を遅らせ、ソ連一人勝ちのお膳立てをした最低無能のルーズベルトを否定できるほどには、アメリカも「自由」ではないのだろう。

  • 上巻にも共通して言えることだが、外国人が戦後の日本を語っているためにバイアスがないのが良い。自分自身日本人であり当時の話を見聞きする機会は圧倒的に日本人からが多いが、このようにイーブンな目線で戦争ならびに戦後を語られているので読み手も感情を抜きにして当時の様子を理解ができる。「菊と刀」「幸之助論」と共通した読後感があった。

  • 増補版といっても加筆ないが大判になって数倍掲載されている写真「三木清全集の発売前夜に書店前で寝袋で泊まり込む十数人」「占領軍兵士を戸外接待する芸者(アサヒグラフ’45Oct表紙」「戸外生活者(神戸三宮駅)」「超満員の買い出し列車」世相を物語る/ダワーは天皇の戦争責任が否定されたを批判する立場だが、戦勝国が「道徳的責任」を言う傲慢に気づいているだろうか/朝鮮戦争を契機としで重工業再建、再軍備化に占領政策は変化し、講和独立にもこぎつけた。 戦後すぐに掲げられてきた非軍事化と民主主義社会構築の理想は左翼の大法螺

  • 「上」に比べると、やや専門的で退屈な部分もあったが、全体的に多岐にわたる資料を横断しながら細かに、かつ鮮やかに歴史を構築していく手法は、どこかフィクションにすら感じられるほど面白く、それは歴史そのものに起因するものというよりかは、著者のテクニックの素晴らしさゆえだろう。夢中になって読破した。素晴らしい経験だった。さまざまな問題提起が含まれるため、本書を起点とし知識の網は広がっていくに違いない。

  • 下巻は憲法改正と東京裁判がメインテーマ。憲法改正が少々冗長かもしれない。
    日本人ではなかなか冷静になれない戦後直後の歴史や世の中の動きを鋭く切り取っていて非常に読み応えがあった。

  • 2020年59冊目。満足度★★★★☆ 上巻を読んでから、何年も間を空けての下巻読了。1999年にアメリカで出版されピューリッツアー賞含む数々の賞を受賞した名著の増補版。子供から天皇、文化から経済、政治などありとあらゆるところまで、アメリカ人の目を通して第二次大戦後の日本を分析。個人的には上巻の方が面白かった。

  • 社会
    歴史

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