ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000280723

作品紹介・あらすじ

アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。青年ゲドは、平和をもたらすエレス・アクベの腕環を求めてアチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る巫女の少女アルハと出会う。

感想・レビュー・書評

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  • 前半は墓地の大巫女アルハを中心に話が進み、正直退屈だったんだけど、最終的には読んでよかったと思った。

    古いしきたりに囚われたアルハに、竜王となったゲドが優しく道を示す。1巻の「自分との戦い」から、2巻は「人との信頼」にフォーカスが当てられる。「誰も1人では自由になれない」というゲドの言葉がすごくよかった。

    アルハからテナーになる時、またなってからも、本当にこれでよかったのかとこちらがイライラするぐらい悩むんだけど、人間そんなもんですよね。そうした葛藤を得て少しずつ変わっていく大切さがわかる。

    あと、やっぱり人生ってどんな人に出会うかが大切ですね。

  • 「だが、私を救ってくれたのは、水だけではないんだ。水をくれたのは、人の手なんだからね。」
    この言葉が、残りました。
    水だけではない。

  • ゲド戦記第二部。世界の命運を握る腕環をめぐり、2人の人物が運命的な出会いをはたす。
    主人公が交代したのかと思うほど、大巫女となった少女を中心に物語は進む。その悲しみのたゆたう境遇が涙を誘うなか、愚かさと若さがあふれる前巻から大きく成長した姿で現れた、落ち着いた感じのゲドが魅力的に映る。
    しきたりで少女を閉じ込める宗教のディティールは南米の文化を彷彿とさせてリアリティのある描写となっており、このあたりは文化人類学に造詣の深いル・グインならでは。一度迷ったら抜け出せなくなる地下迷宮の存在感は本書最大の見どころ。ラストは2人の行く末が気になる。

  • 2018年7冊目。

    映画版で出てきたテナー(テルーの面倒を見ていた女性)が「墓所にいた頃を思い出すわ」とほのめかしていた、あの過去が語られている巻。
    巻頭に地下迷路の地図が載っていて、指で辿りながら本編を読む楽しさも。
    「闇への崇拝」、そして「闇からの自由」をどう捉えるか。
    物語の展開とその中で現れる至言から、とても考えさせられた。

  • この物語、前半を読み進めているうちは「どこがゲド戦記なんだ?」と思わないでもありません。  何せ、肝心要のゲドは登場しないし、色彩感溢れる世界だった前作が描くアースシーとはどこか趣を異にしたモノクロの世界、カルカド帝国に属するアチュアンという墓所が舞台なんですから・・・・・。  しかもこの墓所は光らしい光のない全くの闇の世界。  さらに言えばそこかしこに崩れやら綻び、さらには降り積もった埃なんかが充満する死臭に満ちた世界なんです。  もちろん前作出てきた「影」が象徴する物の中には「死」さえも含まれていたとは思うけれど、あちらでは確かに存在するものとして明確に描かれていた「生」の気配がこちらの作品ではほぼナシと言っても過言ではないようなスタートを切ります。

    アルハ(幼名もしくは真名:テナー)は大巫女のしるしを持っている者として、6歳の頃にアチュアンの墓所に連れてこられ、テナーという真名を取り上げられ、「名なきもの」と呼ばれるこの地の精霊たちの大巫女となるべく教育を受けさせられます。  彼女が大巫女となる儀式は「玉座の神殿」で執り行われ、その儀式が象徴するのは「永遠に生まれ変わる(死を超越した もしくは 死そのものの)巫女」の再来ということのようです。  

    因みにその儀式は白覆面で顔を覆われた男におおきな刀でクビを落とされるという象徴的な行為が黒装束の男たちによって止められることで始まります。  この儀式によって、普通の人間(生ける者)であったテナーは死に、「名なきもの」に捧げられた「食らわれしもの」(≒ アルハ)となるのです。  アルハとなったテナーはアチュアンの墓所の「玉座の神殿」の大巫女となり、そこは男であればどんなに身分の高いものであっても踏み入れることは許されない聖域でした。  もっと言うならそこは普通の巫女であっても立ち入られる場所が限られており、神殿の地下に広がる墓所の地下迷宮を統べることができるのは大巫女のみという実に閉鎖的な世界です。

    普通の人間だったテナーがこの儀式によって得たものは何だったのか?と言うなら、誰も自分の言うことには逆らえない「大巫女」というポジションと、あの儀式で自分の首に向けられた刃のような殺意・・・・だったような気がします。  それも善悪というような価値観を超越した「ひたすら死だけを求めるような根源的な殺意」とでも呼ぶべきものだったのではないかと・・・・・。  それをさらに助長させていくのが、複雑に入り組み何年もかけて手さぐりと記憶のみでアルハが探索していった地下迷宮の「永遠に続くように思われるような暗闇」と彼女に課せられた「政治犯の抹殺」という殺人行為だったのではないかと感じます。

    ただ彼女は「生けるもの」だった時代の記憶のほとんどを失っていたとはいえ、辛うじて「生につながる何か」をその奥底に持ち続けていました。  だからこそ、彼女は「大巫女のお仕事」として与えられた最初の殺人を命じた後、悪夢に悩まされる日々を送ります。  ただその悪夢の正体が何なのか?を考える力は奪われています。  何故なら彼女が6歳の頃から受け続けてきている教育には「生」が含まれていないからです。  と同時に、この第2巻の主人公がゲドではなくテナー(アルハ)という女性である意味はここにあるのではないかと KiKi は感じました。  子を産む女性ゆえに根源的に持ち続けている「生」への拘り・・・・・のようなもの。  

     

    さて前半はひたすらこの地下迷宮の世界の中で因習に囚われた大巫女アルハが闇を親しいもの、当たり前のものとして受け入れ、自身をそれに身を捧げますます「死」に囚われていく様が描かれているのですが、そこに突如として「侵略者」として登場するのがゲドです。  彼は墓所の心臓部である玄室に侵入し、この世の始めから「光」を知らなかっただろう所に「魔法の灯り」を灯したのです。  闇には闇の存在の仕方というものがあり、それこそがアルハにとっては絶対だったのに、そこに光が灯されるのはアルハにとっては、冒涜以外のなにものでもありません。  でもその薄明かりの中でアルハが見たものは、光にきらめく美しいダイアモンドやアメジストでした。  この暴挙を許せないという思い、と同時に沸きあがってくるあの美しさに惹かれる思い。  二つの思いの間で引き裂かれそうになる感覚をアルハは初めて味わいます。

    闇を守る筆頭者としては侵入者ゲドのことは当然許すことができないわけでアルハは彼を大迷宮に閉じ込めて殺そうと考えますが、彼女の中の何かがこの罪人を躊躇わせます。  躊躇いを感じれば感じるほど、恐ろしい形で殺すことさえ想像するのですが、そんな自分をあざ笑うかのように「生かしたい」という思いも同時に大きくなってしまうのです。  結局アルハはこの男にこっそりと自分の食事や水を運びつづけ、彼と会話をするようになっていきます。  そんなある日、ゲドは立ち去ろうとする彼女に呼びかけます。  彼女の真名「テナー」と。

    ゲドによって「テナー」と呼ばれたことにより、「アルハ」であることが当たり前だった日々からほんの少しだけ解放されたアルハは「自分の欠片」のようなものを取り戻します。  ここでも「真の名」が強い力を持っています。  でも、「アルハ」と「テナー」は共存することができないとゲドは言います。  こうしてテナーは新たな苦しみと直面することを余儀なくされます。  この場所で何も変わらなかったかのように「食われしもの」として生きていくことにさほどの困難はないのです。  その生き方も1つの選択です。  そして彼女は長年慣れ親しんできた闇をさっさと見限ることができるほどには光を渇望していたわけでもないのです。  さらに言えば、彼女はこの闇を、彼女が捧げられた「名なきもの」を怖れてもいました。

    そんな彼女に「テナー」を選ばせたのはやはり「真の名」が持つ力でした。  ゲドは怖れる彼女に言います。

    「私はここに盗人としてやってきた。  武装して、あんたの敵として忍び込んだ。  ところがあんたは私を信頼し、親切にしてくれた。  (中略)  あんたはその後もずっと私を信じて、何かと手を尽くしてきてくれたが、私は何のお返しもしていない。  だが、今はすべてのものをあんたにあげよう。  私の真の名はゲドだ。  そしてこの名はもう、あんたのものだ。」


    と。  この一言でアルハはテナーであることを自ら選ぶのですが、このお話のものすごいところはこれでめでたし、めでたしでは終わらないところです。  二人は死臭に満ちた墓所を抜け出すことには何とか成功するのですが、その時テナーにゲドに対する疑いと憎しみの気持ちが沸き起こるのです。  テナーは、アチュアンでの大巫女の短剣を使った踊りを思い出しながら、その同じ短剣を手にゲドを殺そうと目論みます。  そんな自分の内面にわき上がるこの最後の殺意から彼女を救ったのもゲドの呼び声でした。  「テナー」と。  そして彼女はやっと自由になったことを喜びとは感じず、逆にあの墓所の奴隷となって費やした歳月を悔やみ、やっと手に入れた自由を苦しみと感じて涙を流します。

    そしてこの物語の中でもっとも含蓄があると思われるあの名文が登場します。



    自由はそれを担おうとするものにとって、実に重い荷物である。  勝手のわからない大きな荷物である。  気楽なものではない。  自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は必ずしも容易なものではないのだ。  坂道を登った先に光があることはわかっていても、重い荷を背おった旅人は、ついにその坂道を登りきれずに終わるかもしれない。



    ものすご~く簡単に、且つ乱暴にまとめてしまうと、第1作目は広い世界を転々と旅するゲドの姿を描く中で、彼が己という存在と向き合う話で、こちらの第2作目は閉鎖的な世界に本人の意志とは関係なく押し込まれ、己を失わざるをえなかったテナーという少女がゲドとの出会いにより己を取り戻す話という感じなのではないでしょうか。  と同時に、第1作では影と戦えるのは自分だけしかいないというのに対して、この第2作目では他者との信頼関係を築くことによって、一人では成し遂げられない、より大きな課題へ挑戦することができるようになることが描かれているように思います。

    さて、今のところこの2作目の副題にもなっている「壊れた腕環」が何を意味するものなのか、KiKi にはよくわかりません。    平和をもたらすエレス・アクベの腕環、歴史の中で2つに割れてしまった腕環。  その1つは光の中で人知れず保管され、もう片方が闇の中で保管されていたことには何等かの象徴的な意味があるような気もします。  そして、この第2巻で2つの腕環は元通りの姿を取り戻し、テナーの腕に輝いているわけですが、本当にこの腕環がアースシーの世界に平和をもたらしてくれるのかどうか・・・・・。  KiKi にはゲドのようにお気楽に



    「見よ!  私は闇で光を見つけたぞ。  光の精を見つけたぞ。」
    とか
    「この人のおかげで、古き悪は滅び、 (中略) この人のおかげで、壊れたものはひとつになり、この人のおかげで、憎しみのあったところに平和がもたらされるんだ。」


    な~んていう風には思えないんですけど・・・・・ ^^;

  • 争いが絶えない世界に平和をもたらすため、2つに割れたエレス・アクベの腕環を探しているゲド。

    エレス・アクベの腕環の片方があると言われる、アチュアンの墓地を守る大巫女「喰らわれし者」アルハがゲドを待ち受けていた。

    アルハ目線で書かれる物語。
    アルハ(テナー)が何故アルハに選ばれ、なぜゲドと出会うか。

    できればもう少しゲドがこの旅に出るきっかけについても話してほしかったです。

  • 影との戦いが自分という存在を受け入れることを教えてくれているのなら、こわれた腕環は他人を受け入れることを教えてくれてるんだと思う。まずは自分。次に他人。そうやって信頼とか築いていくんだろうな。ゲド戦記の中で1巻の次に好きな物語。生きていく中で大事なことが書いてある作品。

  • 一作目に続き、表現力に感動するばかりなのだけど、個人的にはゲドの場面が少なかったのと、一作目の壮大な移動や時間に慣れていたので、時間や場所がこじんまりしていて退屈してしまった所もある。

    青年期っていう1番物語にしやすそうな部分をあえてこういう形で描く事にゲド戦記の面白さが詰まってるなと思う。

  • 急に大人になった気がしてしまうのは、テナーの物語にゲドが登場したからなのかもしれない。

    あちら側、こちら側、この世界は魔法使いや呪い師を信じている人達だけではないのか。

    ゲドのこれからはどうなって行くんだろう

  • ラストがいい。ついその後どうなったのか知りたくなってしまう。

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著者プロフィール

1929年10月21日-2018年1月22日
ル=グウィン、ル=グインとも表記される。1929年、アメリカのカリフォルニア州バークレー生まれ。1958年頃から著作活動を始め、1962年短編「四月は巴里」で作家としてデビュー。1969年の長編『闇の左手』でヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。1974年『所有せざる人々』でもヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。通算で、ヒューゴー賞は5度、ネビュラ賞は6度受賞している。またローカス賞も19回受賞。ほか、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ニューベリー・オナー・ブック賞、全米図書賞児童文学部門、Lewis Carroll Shelf Awardフェニックス賞・オナー賞、世界幻想文学大賞なども受賞。

代表作『ゲド戦記』シリーズは、スタジオジブリによって日本で映画化された。

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