いのる (人生をひもとく 日本の古典 第五巻)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000286459

作品紹介・あらすじ

大切な人のため、自分のため、あるいは何かのために、人は祈りをささげます。信仰が呼ぶ奇跡、等身大の神や仏、言霊の力など、「いのる」人びとの心と姿を探ります。

感想・レビュー・書評

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  •  解説を担当している山中玲子氏の文章はたいへんわかりやすく、いつも面白い。このシリーズの中でもエース的存在である。で、彼女の書いた、最後の解説部分がシリーズ全体を通した「古典」の本当の意味を書き切っている。「古典」とは、危機であり、神経であり、気付きであり……どこまでも無限に分解・分析させてやまない未踏である。

     以下、全文引用する。

    【以上、「いのる」というテーマで集められた30篇を、あらあら見てきた。最後に、本篇では取り上げなかったが、能と深く関わる祝福の芸能「翁」のことに少しだけ触れさせていただきたい。といっても「翁」一般の話ではなく、あの震災直後の2011年4月、電力の供給もままならず客席なども薄暗い国立能楽堂で観た「翁」のことである。
     「翁」は「能にして能にあらず」と言われる祝福の芸能で、謡も「とうとうたらり……(流儀によってはどうどうだらり)」と呪文のような文句で始まり、「鶴と亀との齢にて……」「君の千年を経んことも……」などのめでたい文句が並んでいる。その中に、「天下泰平国土安穏、今日のご祈禱なり」という文句があるのだが、あまりにも常套句で、「鶴と亀との齢にて」と同じく、心に響いたことなど一度もなかった。「天下泰平」も「国土安穏」も、「謹賀新年」や「満員御礼」等と同様、一種のロゴのようにしか感じられず、ほとんど気にもならなかったのだ。そもそも普通の人間は、「天下が泰平でありますように」などと祈る機会などないだろう、と思っていた。
     だが、それは間違いだった。この日の「翁」では、ゆったり朗々と謡われる「天下泰平国土安穏、今日のご祈禱なり」が、臓腑に沁み入るというのはこういうことか、というように心に沁み込んできた。一つ一つの言葉の意味が、今初めて明らかになったようにくっきりと際立ち、理解され、この「天下泰平国土安穏」という文句に祖先たちがどれだけ深い祈りを込めてきたのか、実感できたのだ。「ああ本当にそうだ。どうか、世の中が穏やかに平和でありますように、国土が安穏でありますように」と、一緒に祈るような気持ちで舞台を見つめていたことを覚えている。実はこの時、能楽堂にいた多くの人が同じことを感じ、心を一つにしていたことも、少し後になってから知った。
     それで、このことを「いのる」の巻に書きたいと思った。既に提出し終わっていた本書の原稿のどれかと入れ替えようとあれこれ考えたのだが、結局、それはできなかった。あの時に感じた、自分の心がじわっと溶けだしていくような感覚はとても個人的なもので、解説原稿として一般化することがうまくできなかったのである。だから、ここに最後に書かせていただいた。深い祈りが芸能(文学と言えないところが惜しいが)の形をとって何百年も生き続けていて、大震災という困難な状況の中で本来の姿を現し、多くの人の心を揺さぶり一つにするのを見ました、体験しました、というささやかな報告のつもりである】

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著者プロフィール

1933(昭和8)年、東京生れ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。文学博士(東京大学)。東京大学教授、白百合女子大学教授を経て、東京大学名誉教授。日本学士院会員。専門は、中世文学、和歌文学、日本文学史。主な著書、『新古今歌人の研究』(東京大学出版会、1973)、『新古今和歌集全注釈 全六巻』(角川学芸出版、2011~2012)、『久保田淳著作選集 全三巻』(岩波書店、2004)、『花のもの言う』(新潮選書、1984。岩波現代文庫、2012)、『隅田川の文学』(岩波新書、1996)、『富士山の文学』(文春新書、2004。角川ソフィア文庫、2013)、『ことば、ことば、ことば』(翰林書房、2006)、『藤原俊成 中世和歌の先導者』(吉川弘文館、2020)など。
1997年より、『和歌文学大系 全八十巻』(明治書院)の監修者として、現在まで五十四巻を刊行。残る二十六巻も進行中。

「2020年 『「うたのことば」に耳をすます』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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