ジョコンダ夫人の肖像 (世界児童文学の名作C)

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  • / ISBN・EAN: 9784001106824

感想・レビュー・書評

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  • カニグズバーグの3冊目。
    これはもう、圧倒的な傑作。
    最後の一行の鮮やかな幕引きまで、ぐいぐいと惹き込まれていく。
    かの天才・ダ・ヴィンチとその周囲に興味のある方、あの名画の生まれた経緯を知りたいという方、いえそれよりも、人生の大切な何かを求めている方、すべての方におすすめ。

    主な登場人物は3人。
    レオナルド・ダ・ヴィンチと、その徒弟サライ、そしてレオナルドが庇護を受けていたミラノ公の年下の妻ベアトリーチェ。
    浮浪児あがりでコソ泥、無教養・無責任なサライを、何故レオナルドは傍に置いたのか。
    ベアトリーチェと過ごした豊かな時間と、非情な時の流れ。
    肖像画を描いてほしいという執拗な依頼を無視してまで、レオナルドが描いた肖像とは。そもそもそのジョコンダ夫人は、3人とどういう繋がりにあるのか。
    シャープで機知に富んだ文章にしばしば小さな感嘆の声をあげながら読み進むことになる。

    これは、尊敬するブク友さんのレビューに惹かれて読んだ一冊。
    ブク友さんも多くを語っていないため、私もあまり語らないことにしようと思う。

    でもひとつだけ。
    サライは確かに知識はなかったが生きる知恵はあった。
    ひとの心の機微に敏感で、何物にも左右されない自分だけのものさしを持っていた。
    世間体や虚栄心や知識に惑わされない、自分の眼で良いと思うものを選り分ける確かなものさしを、果たして私は持っているだろうか。

    対象年齢は高学年からとなっているが、その年齢だった自分が、この作品の主旨を掴んで消化出来たかどうかは、はなはだ疑問だ。
    カニグズバーグの筆力に幻惑されて、おしまいだったろう。
    だからたぶん、今が出会いのタイミングだったということだ。
    時を忘れて読みふけり、深く考察し、何かが覚醒する。
    至福のときを与えてくださったブク友さんに感謝。

    • 淳水堂さん
      nejidonさんこんにちは。
      nejidonさんのレビューで気になって、これと「ダ・ヴィンチの童話」を図書館いつか借りるリストに登録して...
      nejidonさんこんにちは。
      nejidonさんのレビューで気になって、これと「ダ・ヴィンチの童話」を図書館いつか借りるリストに登録していたのですが、
      ちょうどダ・ヴィンチの本を読んだのでよい機会だとこちらも読みました!

      題名からはモナ・リザとの交流の話かなと思ったら、モナ・リザは最後の最後に出てくるという、この題名と構成のバランスが良いですね。
      本を読んでいったら、ではこの後どのようにモナ・リザの肖像を描くのだろうって読者に想像できますからね。

      良いものを良いと判断し、楽しいことを楽しむことができる…、大切であり難しいことですね。
      2020/08/29
  • ちょうどメレシコーフスキイの「レオナルド・ダ・ヴィンチ ー神々の復活」を読んだので、
    https://booklog.jp/item/1/4309200915
    ダ・ヴィンチが書かれているこちらも読んでみた。

    題名からは「モナ・リザ」を描く話、ジョコンダ夫人との交流などかと思ったら、
    「モナ・リザ」(モナは女性への呼びかけ)を描くまでの精神にどのようにして至ったのか、あの絵にはダ・ヴィンチの何が込められているのか、という話だった。
    そしてその秘密を””こっそりにぎっている”のが、ダ・ヴィンチの弟子のサライという青年だということ。
    サライの本名はジャン・ジャコモ・カプロッティ、彼がダ・ヴィンチの弟子になったのは10歳のときで、ダ・ヴィンチは38歳。

    物語の舞台はミラノでダ・ヴィンチのパトロンはミラノ公であるルドヴィゴ・スフォルツァ、通称イル・モロ公(※ムーア人のように色黒という意味)。
    モロ公は政略結婚のためフェララ公の美貌の娘のイザベラに求婚するが、別の相手との結婚が決まっていたためにその妹でのベアトリチェと婚約を交わした。
    実際に結婚したときはモロ公38歳、ベアトリチェは15歳。
    ベアトリチェは、本来は賢く教養も有り機転も利き、人間や美術品の本当の姿を見抜く力を持っていたのだが、美貌の母と姉の下の醜い”2人目の娘”であり、結婚相手のモロ公にとっても愛人チェチリアに継ぐ”2番めの女”だった。
    この貴女ベアトリチェと、ダ・ヴィンチの弟子だが庶民でかっぱらい少年のサライとが心の交流を行うことになる。

    さて、この”サライ”という名は”小悪魔”という意味で、ダ・ヴィンチとの出会いもかっぱらいだった。弟子になってからもダ・ヴィンチの金を盗むは、家のものを勝手に売るは、ダ・ヴィンチの下絵や発明品メモを勝手に持ち出し金にするは、ダ・ヴィンチと会いたがっている人や工場を見たがっている人を勝手に通して仲介料を取るは、さらに身分の高い相手にも平気で無礼な口を叩くは、そしてそれに対して全く悪びれない。

    そんなサライと、貴女ベアトリチェは初めて会ったときから互いに理解できるものを見つけた。そしてサライを通してダ・ヴィンチもベアトリチェとの交流を深める。
    ベアトリチェは、偽物と本物、独創的なものと亜流のものを見分け、良いものは理由がわからずともただそれが”良い”ということが分かり、そして良いものには快く庇護を与える。人でもものでも本質を見抜きそれを楽しむことができる。
    そしてダ・ヴィンチのを通して夫であるモロ公も若妻ベアトリチェの魅力と才気に気がつくのだった。ベアトリチェは夫の愛人チェチリアを追い出し、活発的なサロンを開き、そしてモロ公の代理として外交官的な役割も行うようになり、二人の間には息子たちが生まれる。

    だがベアトリチェは立場が上がるにつれ、持つものは派手で大量になってゆき、そしてモロ公は妻を愛しながらも新たな愛人ルクレチアを持っていた。ベアトリチェは派手な衣装で自分の胸の傷を隠していったのだ。

    いまではベアトリチェとサライが会うことはまれになっていたが、モロ公の依頼により作られた巨像をみて「これは芸術というより努力の塊」だと言った。ベアトリチェにとっての芸術とは、その作者の努力により鑑賞者の目を無理やり向けさせるものではなく、優しく語りかけるもの、しかし跳躍するものが必要なのだという。
    そしてダ・ヴィンチには、パトロンの言いなりになった作品よりも、自分自身を引き出してくれる荒々しさが必要であり、それを引き出すのがサライの粗野さ、無責任さなのだとサライに告げる。

    ベアトリチェが23歳で亡くなり、ミラノはフランスに侵略され、モロ公は領外に逃げる。
    ダ・ヴィンチは弟子たちを連れて出身地であるフィレンツェに向かう。
    ダ・ヴィンチは描きたい絵しか描けない、多くのものに興味を示しては仕上げることができずにいる。王侯貴族からの肖像画も断っている。

    そしてその日。サライはダ・ヴィンチを訪ねてきた中年の男の対応に出る。金はあるが庶民の商人。彼は「自分の二度目の妻の肖像画を描いてもらいたい」という。彼の後ろにいた婦人にサライの心は捉えられた。その眼差しはベアトリチェのものだった。彼女が生き続けていたらなったであろう面影を持っていた。美貌は持っていなかったが、そんな自分自身を受け入れて、そのために人知れずに深く美しくなっていったのだ。喜びも苦しみも耐えることも知っている女性。
    彼女の肖像画は、ダ・ヴィンチが描かなかったベアトリチェの肖像になるだろう。
    そうしてサライは、ジョコンダとその妻のリザ夫人をダ・ヴィンチのところに案内するのであった。

    ===

    カニグズバーグは「クローディアの秘密」「なぞの娘キャロライン」といった意志が強く自分からなにか行動を起こす主人公を書いています。
    今回の主人公はルネサンス時代でかっぱらい少年。彼には罪悪感はないし絵で独り立ちしようという気持ちでもないのですが(この話の中でのサライであり、史実のジャン・ジャコモ・カプロッティというわけではないですよ)、本当に面白いものを見抜く力があり、誰にも態度を変えず、そしてダ・ヴィンチに付きベアトリチェを始めとする上流階級者たちと知り合ううちに美しいものを見て、いい音楽を聞き、誰かが何かを作るその音や動きが好きになっていっていきます。
    カニグズバーグは実際にダ・ヴィンチの作品を見てその魔力を感じて、ダ・ヴィンチについて調べてこの作品を書いたということ。カニグズバーグは多才のダ・ヴィンチはけっして冷たい天才ではなく、天才を持った人間であり、サライこそがダ・ヴィンチが本当に創りたいものを引き出す要素がある、としている。
    芸術は人を脅すものでもなく完璧すぎて隙がないものでもなく、人に語りかけるもの、それこそ自由が必要で作者を飛躍させる何かが必要。

    …しかしこれ、児童書としては子供たちにわかるのか。なぜダ・ヴィンチにサライが必要だったのかとか、時代背景だとか、愛人たちとか、貴族たちのプライド合戦とか…。
    たまたまダ・ヴィンチの本を読んでいたからまあ時代背景はわかったけれど、これを子供でもわかるように、しかし子供の理解力を見下すわけでなく書いた作者がすごいな。

    • nejidonさん
      淳水堂さん(^^♪ タイトルを見ただけで思わずクリックしてしまいました・笑
      お読みいただいて、コメントまでいただけてとて嬉しいです。
      カ...
      淳水堂さん(^^♪ タイトルを見ただけで思わずクリックしてしまいました・笑
      お読みいただいて、コメントまでいただけてとて嬉しいです。
      カニグズバーグはこれが最高傑作じゃないでしょうか。
      確かに子どもには難易度が高い。でもそこが良いのです。
      子どもは媚びてすり寄る大人の欺瞞が嫌いだからです。
      そこを見越していた作者の眼には、さすが!と思いますね。
      レオナルドにどうしても得られないものを、サライは持っていた。それも無自覚のうちに。
      物事を先入観にとらわれずまっすぐに見ることが出来るかどうか、この本を読むと考えさせられます。
      良いレビューですね!ありがとうございました!
      2020/08/29
  • カニグズバーグ作品は、どれも甲乙付け難いが、やっぱり「ジョコンダ」かなぁ、、、
    (少年文庫に収められないかと熱烈に待っています)

    岩波書店のPR
    永遠の謎を秘めた名画「モナ・リザ」.レオナルド・ダ・ヴィンチは,なぜ,フィレンツェの名もなき商人の妻ジョコンダ夫人の肖像を描いたのだろうか.その鍵は,レオナルドの徒弟サライがにぎっている.
    https://www.iwanami.co.jp/book/b254665.html

  • カニグスバーグ・・・
    相変わらず凄いの一言です。
    いつも通り最初は読みにくい。
    自分がどこへひっぱられていくのか検討もつかない。
    ひきずられるまま着いていくと、
    いつのまにやら凄い眺望のところへぽっかりと出る。
    そして読み終わると登場人物が心に棲みつく。

    本当にカニグスバーグはいつも凄い。

    ダヴィンチと手癖の悪い徒弟のサライの物語。
    それだけ知って、あとは黙ってカニグスバーグさんについていきましょう。

    対象年齢は早くて小学校6年生。
    上は大人まで。

  • ジョコンダ夫人というのが、モナ・リザのモデルの名前だということは知っていたけれど、それでいつジョコンダ夫人は現れるのだろうとチラと考えつつも、
    レオナルド(ダ・ヴィンチ)、泥棒少年だった弟子のサライ、サライが夢中になった、器量の悪いミラノ公妃ベアトリチェ、この人たちの過ごす、ワイルドで知的な哲学に夢中になり、それどころではなかった!

    文句なしに美しいお話し。
    人間の本当の価値や尊厳や喜びや、孤高の天才レオナルドについても見事に語ってくれる。

    もっと早くに夢中になりたかったけど、生きてるうちにこの本に出会えて幸せだと、かみしめている。

  • もう云十年ぶりの再読。
    このお話については何も語りたくない。
    「レオナルド・ダ・ヴィンチ出てきます」くらいならいいかな。
    これまで読んだカニグズバーグ作品の中でベスト(といっても、計3作しか読んでいないが)
    昔読んだ時も、子ども向けの本では飽き足らず、大人向けの本では満足できなかった時代に、本の面白さを教えてくれた作品でした。

    大人になって読んで気づいたのは、訳と訳書名も秀逸だなということ。
    時間が経っても古い感じはしないし、
    英語の作品名をそのまま直訳調に訳したら、
    そのニュアンスは失われた上誤解を招くだろうことを訳者や編集者が考慮したのが感じられる。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「カニグズバーグ作品の中でベスト」
      私もです、、、断捨離されて手元にないので、岩波少年文庫にならないかなぁと願っています。
      「カニグズバーグ作品の中でベスト」
      私もです、、、断捨離されて手元にないので、岩波少年文庫にならないかなぁと願っています。
      2013/03/02
    • こめりさん
      まったく同意見です。
      まったく同意見です。
      2013/06/17
  • 稀代の才能を持った芸術家、レオナルド・ダ・ビンチは何故、名もなき商人の夫人の絵を描いたのか。
    何故、こそどろ少年サライを重用したのか。
    一体、なぜ…
    この本は、現代の人々が彼の作品を見たときに感じる、こんな疑問に答えてくれるでしょう。


    このお話については2通りの読み方で楽しみました。
    ひとつは、モナリザのサイドストーリーとして。もうひとつはサライ・レオナルド・ベアトリチェの人間関係劇としてです。

    前者については、「真実を検証する!」というのではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチという素材を活かしてお話を作ったってカンジです。でも「もしかしたら…」と思わせるような作りこみ様で、これぞ小説!という気がしました。

    後者については、モナリザというキーワードでこの本を手に取った人も、登場人物自体の魅力にグイグイ引っ張られていきます。レオナルド、サライ、ベアトリチェのお話を充分堪能した後に、モナリザのエピソードがこっそり入れられている、といったカンジです。

    でも、それが狙いの一つでもあるのかな?と、思いました。私もそうだったんだけれど、『モナ・リザ』って、どうしても教科書の中にある絵で、有名すぎて逆に作品として自分の中に入ってこない作品だと思うのです。でも、コレを読むことによって、私は『モナ・リザ』自身に興味が持てました。鑑賞する対象になったというか…。

    また、この『モナ・リザ』という作品と同じようにように、当時のレオナルド・ダ・ヴィンチ自身も生きた偉人として見られていたんだろうな…と思いました。作中の言葉で言うのなら、「わたしが誰なのか知っていても、わたしがどんな人か知らない崇拝者に取り囲まれていて、どうしてさびしさに打ち克つことができます?」という事なのでしょう(これはベアトリチェの台詞だけど)。

    そんな具合に色々考える事は出来るのですけれど、純粋に3人の関係性を楽しむ事もできました。序盤のサライとレオナルドの関係性は凄くコミカルですし、ベアトリチェが加わった後の三人の友情も読んでて楽しいです。

    お話はサライとレオナルド、ベアトリチェの関係性の変化と共に綴られています。当初、三人は理想的ともいえる仲の良い友人関係を築いています。サライとベアトリチェは、年齢的にも精神的にも子どもで、無邪気にイタズラなどを仕組んでいましたし、レオナルドも超越者としての仮面をちょっとは脱ぎ捨てていたと思います。仲の良い、理想的な三人として描かれるのです。そしてこの序盤の関係性があるからこそ、それ以降の変化が面白くなっていると感じました。

    三人の変化。
    まずサライが「考える事」を覚えます。
    当初のサライは何物にも囚われない奔放な存在でした。それが、レオナルドやベアトリチェに出会い、徐々に変わって行きます。サライは最初、ベアトリチェを、一緒にいたずらをしてくれて頭の中には素晴らしいモノサシをもっている、子どもにとって聖母のような、どこか全能視された女性として捉えていました。それが後に書くように、ベアトリチェが以前とは違う振る舞いをするようになった事を契機に「どうしてベアトリチェは変わってしまったんだろう?」と徐々に考える事を覚えていくのです。それが一つの理由となって(もうひとつの理由は時間でしょう)、彼女との距離が段々広がっていき、「無責任さ」という責任を負わせるようになる…。そして最後には「意識的に、良心的に」、無責任に振る舞うようになるのです。

    また変化の一つとして、ベアトリチェが今迄やってきたような方法ではないやり方で、コンプレックスを埋めるようになります。
    ベアトリチェはもともとコンプレックスの強い女性として描かれていました。曰く、「二番目であることを気にしないフリをする」「わたしの夫に、わたしが彼の愛に値する人間だとおしえた」…。しかし当初は、その事実をそのまま背負って生きる事を、努力する…そんな人でした。が、年を追うごとに、そんな努力を財力に肩代わりしてもらうようになります。サライは当初、これが不満なのですが、彼女が「胸の張り裂ける音をかくそうと、いたましい努力をしている」事に気付くのです。聖女のような彼女が、年を変わるごとに心変わりをし、でも、それは彼女自身と戦った結果だったのだ…という事が、サライの成長による視点の変化を通じて描かれています。この流れが素晴らしいと思いました。
    最初は彼女が哀れに思えるんだけど、でもサライの彼女への心情変化とともに、それが徐々に嫌なカンジではなくなり、彼女も必死だったんだって事が伝わってきて、最終的には(美しさへのコンプレックスを持つ)自分と重なるようになる…。彼女の死の後には、彼女に対する感情は深みを持っていました。

    レオナルドは余り変わらないかもしれないけど、その分深く書き込みがされるようになり、人から「超越」していようと振る舞おうとしている人間だという事がわかってきます。
    「レオナルドが群れから離れていたかった。超越していたかった。人間や人間の感情に近寄られると、居心地が悪かった。人間とのつきあいでは、じぶんが完全無欠でなく見えるおそれがあった。」その「超越」していたい、という願望が、逆に凄く人間らしいと感じました。
    ここら辺は、レオナルド・ダ・ヴィンチが才能一本でやっていかなきゃいけない環境にいた事とかをもっと知っていれば、より深く読めたかも…と残念に思っています。

    また、ベアトリチェが死んだ時にサライの一連の言葉との対比が好きです。
    「ぼくはベアトリチェのことを話しているのに、どうして先生は死についてなんか話せるんだ。どうして、人のことを話しているのに、人生の変遷のことなんかいってられるんです?」
    「わたしが頭を剃って、食事を全部立ったままとるとでも思ったのかね。」
    「おお、あんまりだ。神さまは先生に、超人のあなたに、自分の作品以上に人を愛することをお禁じになったのだ。」
    「わたしはベアトリチェが好きだった。」
    「ベアトリチェが好きだった!好きだったって!」「あなたは人間よりも思想が大事な人だ。あなたは機械だよ、レオナルド・ダ・ヴィンチ。あなたは思想製造機だ。氷みたいな人だ。あなたの絵は氷づけの思想だ…」
    レオナルドは私生児として生まれ、幼くして母と引き離されて寂しい環境の中で育ったという事で、母の愛情を与えられなかったという解釈がある事を知りました。そこから考えるなら、「わたしはベアトリチェが好きだった」という彼の言葉は、この時の彼の感情表現の精一杯だったのではないかと思うのです。

    …そんな風に描かれるので、当初の微笑ましい理想的な関係とは随分変わってしまうのですが、「それでもお互いが大事だった」と類推できるので、より関係性に深みが出てくると思います。

  • モナ・リザの話。おもしろかった。
    絵から小説を書く、「真珠の耳飾りの少女」や原田マハさん作品の先駆け的存在だろうか。
    児童書とされているけど、読みごたえ十分。

  • 人間レオナルドに親愛を感じます。
    「モナ・リザ」を見る目が変わります。

    というか、アニス菓子が食べたい。

  • (1991.10.12読了)(1991.10.10購入)
    内容紹介 amazon
    永遠の謎を秘めた名画「モナ・リザ」。レオナルド・ダ・ヴィンチは、なぜ、フィレンツェの名もなき商人の妻ジョコンダ夫人の肖像を描いたのだろうか。

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