太陽の戦士 (岩波少年文庫(570))

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  • Amazon.co.jp ・本 (395ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001145700

感想・レビュー・書評

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  • ローズマリ・サトクリフ『太陽の戦士』(猪熊葉子訳,岩波少年文庫2018年11月第6刷)の感想。
    青銅器時代のブリテン、片腕のきかぬ少年ドレムの挫折と成長の物語。解説にもあるが、特定の時代・地域の人人の生活を綿密に描きながら普遍的な人間の真実にも通ずる拡がりを持ったサトクリフらしい児童文学作品で、いつも通り安心して読めた。これで岩波少年文庫で出ているサトクリフ作品は、品切れである『辺境のオオカミ』(重版御願いします…)以外読み終った。ローマン・ブリテンものもそれ以外も好かったが、強いて読む順番を推奨するとしたら、先ずローマン・ブリテンもの、後は時代順に太陽の戦士、王のしるし、運命の騎士が良いかも知れない。
    以下、技巧的な部分で気付いた点を記しておく。
    原則として、比喩表現に於いて青銅器時代に無いものは用いられない。地の文は三人称で語られるが、出来るだけ作品世界に無い筈の言葉は避け、物語への没入感を高めているようだ。とは言え、さすがに青銅器時代まで遡ると不足が多いのか、現代の慣用的な言い回しを「わざと避けた」感じを抱かせる部分も幾らかあった。この辺りの加減は難しいものと思われる。
    もう一つ、取っ組み合いの場面では視覚情報が少ない。実際、組み技・寝技の攻防では相手の状態を見て判断するのが困難なので、当人の意識や触覚に重点を置いた方が、双方の体勢を客観的に描写するより迫力が増すようだ。

  • イギリスの青銅器時代を舞台にしたサトクリフの作品。生まれつき片腕の効かない少年の成長物語。
    サトクリフの作品はどれも優しくない。描かれる時代は死が身近にあり、個人の権利は守られるものではなく、勝ち取り、勝って守り続けなければならない。登場人物は厳しい状況におかれ、容赦ない運命に翻弄されて挫折を味わわされながらも生き抜いて行かねばならない。しかし、そのその厳しさの先にこそ得るものがある、ということを強く感じさせてくれる。
    またサトクリフの作品は世界が濃い。念入りな情景描写が深く濃く読者をその世界の中に連れて行ってくれる。

  •  舞台は青銅器時代のブリテン。片腕の少年ドレムが、挫折と試練を乗り越えて、氏族の戦士になるまでの話を描いた歴史小説。
     そこで生きる人々の暮らしや自然を、とても細やかに、目に見えるように描いていて、歴史小説を読む醍醐味を存分に味わえた。
     それにしても、厳しい社会だ。氏族社会で認められるためには、オオカミ殺しの試練を乗り越えなければならない。片腕の少年にとって、その道はとても過酷で、つらく悲しいことも多く起こる。
     だけど、だからこそ、片腕の戦士タロアや、親友ボトリックス、愛犬ノドジロと育んでいく絆に胸が熱くなるし、少年の見せる成長がより深く心に届いてくる。
     読み通すのは少し根気がいるかもしれないけど、純粋に昔を生きる人々の生活を知るのは楽しいし、きっと大きな感動を味わえて、勇気がもらえると思うから、ぜひ中学生くらいになったら読んでほしいと思った。

  • サトクリフ氏の名前を知ったきっかけは、中山星香氏のコミックの後書きか何かだったと思う。
    感謝してます、もう足を向けて寝られない程度には。
    惜しむらくは大人向けに書かれた本の翻訳に日本語としてのセンスが欠如していること。
    ただ横のものを縦にすりゃ良いってもんじゃあるまいに……
    内容が良いだけに、本当に勿体ない。

  • 青銅器時代を舞台に、片手が利かない少年ドレムの挫折と成長を描いた物語。実に骨太です。そして何度も挫折しつつも進んでいくドレムの姿が素敵です。
    狼を倒すことによって一人前の戦士として認められる世界。そんな中で片手が利かないことが、どれだけハンデとなるか。しかしドレムは皆と同じスタート地点に立ち進んでいきます。自分の居場所探しという言葉がありますが、居場所は探すのではなく作るものなんですね。自分に与えられた境遇をどう受け止めるのか、それによって世界は広がっていく。
    族長の息子ボトリックスとの友情も熱くそして厚く素敵です。

  • 青銅器時代という歴史の教科書でも比較的アッサリと(少なくとも KiKi の学生時代はそうだった)、あくまでも鉄器時代への通過点のように扱われ、想像・イメージするのが困難な時代が舞台です。  まあ、道具が違うだけで鉄器時代初期と文化的に大差はないのかもしれないけれど、それでも人間がどんな風に自然の中で自分の居場所を築いてきたのかがサトクリフの筆致で繊細 & 詳細に描かれています。

    KiKi は以前からイマドキの「自分探しブーム」というのにシニカルなスタンスを持ち続けているんだけど、この本には「自分探し」な~んていう言葉は出てこないものの「生き抜くこと」「自分の居場所を作ること」の本質が描かれていると思います。  この時代の人たちが真剣に探っていた「自分の居場所」はイマドキのそれとは大きく異なり、それを見つけることができない ≒ 動物的な意味での死(精神的な意味では決してない)を意味することだということが言えると思うんですよね。  まあ裏を返せば現代社会に於いては「死とは直結しない淘汰がある」とも言えるわけで、それはそれで厳しいものがあったりもするわけだけど、イマドキはどちらかと言うと「個人主義」の弊害とも言える社会における自分の存在位置の不明確化 → 幻想(理想ではなく)と現実のギャップ → 根拠の薄い「できるはずなのにできない」という思い込み → 苛立ち という構造が透けて見えるような気がして仕方ありません。

    KiKi はね、「夢見る事」を否定する気はないんだけど、「夢を持てなければ生きているとは言えないと考える症候群」とでも呼ぶべき強迫観念には疑問を持っています。  「生き甲斐」「やり甲斐」という言葉が安直に使われるけれど、そもそも「甲斐」ってどんなもの?と辞書を引いてみると、そこに1つの答えが書かれていると思うんですよね。

    (全文はブログにて)

  • 青銅器時代のお話です。
    過酷ですよー。
    こういう時代に生きていくためには自分の位置を見つけてしっかり確保しないとすぐさま淘汰されるんですよね。
    それはもちろん今でも同じですけど、今の時代だと淘汰=死と結びつくわけじゃないですもんね。
    死ではない淘汰がある、という意味では昔よりキツいという見方もできますけど。
    昨今流行っている「自分探し」などというものは私は全く興味がない、というより「ホントの自分」なんてそんな都合いいものなんかあるかい!と思うので大嫌いで、同じようなのに自己啓発とか自己実現とか、まあこういうの流行るのも総じてヒマやからやろうなあーというぐらいにしか思えませんのですけども、だからそういうんじゃなくてドレムのように一生懸命やれることを全力でやることこそが大事なんだなあとしみじみ考えてしまいました。

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