羅生門/鼻/芋粥/偸盗 (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107010

感想・レビュー・書評

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  • H30.11.30 読了。

    ・鼻が良かった。僧侶が人間臭くて良かった。

  • 羅生門;1915年(大正4年)。
    凄み、というのだろうか。劇的な事件も、激しい感情表現もないのに、このインパクト。死体の描写より、突き放すような終わり方の方に、表現しがたい薄気味悪さを感じる。

    • hei5さん
      羅生門のエンディング、
      「下人の行方は、誰も知らない」に就いて
      ご存じかもですが
      「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝ...
      羅生門のエンディング、
      「下人の行方は、誰も知らない」に就いて
      ご存じかもですが
      「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた」が最初で、
      「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた」を経て、
      今広く知られてゐる
      「誰も知らない」に落ち着いたさうですよ。
      2023/12/11
  • 約四半世紀ぶりの再読。芥川龍之介の巧さを改めて知る。一文が長すぎず、リズムがある。絵( 情景 )が浮かぶ。近代文学だが文章は意外と現代的。そして、物語の閉じ方が、スパっと切れ味がいい。
    「 下人の行方は、誰も知らない。 」この終わりの一行、秀逸。かつて国語の教科書で読んだのが最初だと記憶。以来 今なお鮮やかに覚えている一節である。かくも印象的で鮮烈な一文、終幕、ペンの置き方、そうザラに無い。

    「 禅智内供の鼻といえば、… 」の書き出しもイカしている。他者の幸福への妬み、人の心の残酷さ。そうしたことを、かくも鮮烈に抉る。初読の頃、子供乍らに胸を突かれた。短編乍ら、否、短編故に、鋭い太刀さばき。

    そして「偸盗」は初読。中編ということもあり「 羅生門 」や「 鼻 」程の切れ味は無い。隻眼の長兄・太郎と美貌の弟・次郎。兄弟は共に盗賊の女首領・沙金に率いられ武家の屋敷を夜襲。だが女は長兄の討死を謀り、武家屋敷側に内通。結果偸盗らは屋敷で待ち伏せされ猛攻に遭う。その戦闘描写が巧い。この修羅場で兄弟は其々に、相手の討死を秘かに願う。だが、終盤兄は弟の窮地を救い、互いの兄弟愛を再確認する。滅法甘い落としであることよ。

    「 芋粥 」は、風采の上がらぬ五位( 下級役人 )の男の話。ゴーゴリの「 外套 」を彷彿とさせる。男の夢は「 芋粥 」。当時「 芋粥 」は大変な美食だったらしい。五位はこの好物の「 芋粥 」をたらふく食べることをいつも夢見ている。ある日、その願いを叶えよう、という奇特な侍に出会う。五位は、美味なる芋粥を思う存分に食べるという生涯最大の夢が叶う…。しかし、それを目前にしたとき、五位は芋粥を食べる気が萎えてしまう。飽く程にたらふく食べたい、そう願い焦がれるうちが花だった… ということなのか。その、急激な心境変化が詳らかでなく、拍子抜けの感あり。
    さて、京から越前へ「 芋粥 」を食べに向かう一昼夜の騎行。野狐の遣いも登場。不思議な道行きで幻想のようでもある。

    一方、以下の一文に出逢えたのは収穫。

    「 人間は、時として、充されるか、充されないかわからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚をわらう者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」

  • 『羅生門』は言わずもがな。『鼻』と『芋粥』はコミカルな書き方をしているが…私的にはいやな話だった。
    『偸盗』はかつて読んで凄い衝撃を受け、感動したのだけど…内容をかなり忘れていた。しかし面白かった!

    泥や埃の匂い、汗の匂い、血の匂い。
    男の髭の感触、女の紙の感触。
    地べたの冷たさ、人に皮膚の温かさ、
    日本の小説なのに、こんなにも嗅覚や触覚に
    訴えて来るものは珍しい。

  • 文章のリズムや強弱のつけ方が本当に上手いと思いました。物語を進める部分と心情や風景を細かく描写する部分の書き分けが凄まじかったです。
    一番面白かったのは『偸盗』。芥川本人は気に入っていなかった作品のようですが、物語の進め方が上手いと思いました。

  • 芥川龍之介『羅生門』1915
    芥川龍之介『鼻』1916

    人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。しかしその愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。芥川龍之介『芋粥』1916

    お釈迦様は地獄で苦しむ罪人・犍陀多(カンダタ)を救うため、地獄の底に蜘蛛の糸を垂らす。カンダタが細い糸を登り始めると、下から多くの罪人がわらわら登ってくる。カンダタ「お前たちは下りろ」と叫ぶと、糸が切れてしまった。芥川龍之介『蜘蛛の糸』1918

    芥川龍之介『地獄変』1918

    複数の人の証言から犯人を捜す。ミステリー。芥川龍之介『藪の中』1922

    人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。しかし重大に扱わなければ危険である。▼われわれの行為を決するものは、善でも悪でもない。ただわれわれの好悪である。快不快である。芥川龍之介『侏儒の言葉』1927

    老人になっていつまでも生きる。こんな悲惨な事はない。死は人間にとって一つの救いである。菊池寛

    菊池寛『恩讐の彼方に』
    菊池寛『父帰る』

    川端康成『伊豆の踊子』

    なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしく忘れないものだ。川端康成『雪国』1948

    別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。川端康成『化粧の天使達・花』

    どれだけ現世を厭離(えんり)しても、自殺はさとりの姿ではない。川端康成『末期の眼』

    ※大正、新思潮。理知的。

    横光利一りいち

  • 羅生門の人間の身勝手さ、鼻のユニークさ、芋粥の途中描写の美しさ、及び偸盗のドキドキハラハラ感。バラエティ豊かな名短編集。

  • 24.06.2021 読了

  • 芥川龍之介の初期の名作3編が収録されています。
    理想主義的な白樺派に対して、少し距離を置いた視点から近代人らしい思想を見出そうという動きが生まれました。
    芥川龍之介はこのムーブメントの代表的な作家で、新現実主義や新技巧派と呼んだり、文芸雑誌「新思潮」を中心として活動をしていたため、新思潮派と呼ばれています。
    本作収録の"羅生門"、"鼻"、"芋粥"は初期の代表的な芥川文学で、人のエゴイズムを克明に描き出しています。

    初期は古典に構想を得た作品が多いのも特徴で、本作収録の作品は四作とも古典が題材となっています。
    絵本の日本昔話のようなとっつきやすさがあり、話がわかりやすく読みやすいです。
    教科書で取り上げられることも多いので知名度も高く、中高生にもおすすめできる作品集と思います。

    ・羅生門 ...
    基となったのは"今昔物語集 巻第二十九 本朝付悪行"収録の一篇。
    相次いだ天変地異位の影響で衰退していた平安の都・羅生門を舞台に、行き詰まった若い下人が、"生きるための悪"に手を染める物語です。
    羅生門は無名作家時代に"芥川龍之介"の名で雑誌・帝国文学に文学に発表され、同時期に新思潮に発表された"鼻"と共に、後に短編集「羅生門」に収録されます。
    結びの文章は度々変更されていて、本書収録のものは雑誌・帝国文学収録時でも短編集「羅生門」でも無く、その後出た短編集に収録されていたバージョンで、最も有名な文句「下人の行方は、誰も知らない。」で締めくくられています。

    "生きるため"という、ある意味でエゴイズムの究極を迫られる状況で、目まぐるしく変わる感情的な変化が描かれる様は鮮やかともいえます。
    装飾せずに言えば、下人の手のひら返しがすごいと感じました。
    このあたりも本作で"エゴイズム"を感じさせる一因かと思います。
    短編で読みやすく、芥川龍之介、新現実主義を強く感じさせる(初出は新思潮ではないですが)一作です。

    ・鼻 ...
    題材になっているのは"今昔物語集"及び"宇治拾遺物語"の一作。
    新思潮の創刊号で発表され、夏目漱石に絶賛されたことで有名です。

    京都のある長い鼻を持つ僧が主人公です。
    滑稽な鼻故に人に笑われ、弟子に迷惑をかけるが、人前では鼻を気にかけていない風を装っていた。
    ある日、弟子を通して、鼻を短くする方法を知り、その方法で鼻を人並みに短くすることに成功するのだが、という展開です。

    おとぎ話っぽいストーリーで、ライトに楽しめる文学作品と思います。
    一方で描かれているのはしっかりとエゴイズムとなっています。
    鼻が短くなった僧を見る人々の感情は、羅生門で描かれたエゴイズムと同様、人の本質をついたものであると思います。

    ・芋粥 ...
    宇治拾遺物語の一篇を題材とした短編。
    なお、タイトルの芋粥は、さつまいもの入ったお粥などではなく、山の芋を甘葛で煮て作ったデザートで、平安時代によく食べられていました。
    主人公の五位は、風采の揚がらない小役人で、いつも馬鹿にされていたのですが、そんな彼には年に一度、臨時の席で出される少量の芋粥という楽しみがあり、また、腹いっぱい芋粥を食べてみたいという渇望がありました。
    ある日不意にそれをつぶやいてしまい、それを聞いた藤原利仁が、「それなら飽くまで芋粥をご馳走しよう」と申し出るという展開。
    ふとしたことで、願いが叶ってしまうストーリーです。
    ただ、五位には何もなく、唯一、年の一度の芋粥を食べる機会を楽しみにしていたのですが、そんな希望すらも半ば強制的に叶えさせられてしまう。
    極端に言えば、五位のすべてを踏みにじられてしまう、残酷な物語とも取れます。

    ・偸盗 ...
    他の三作に比較すると知名度が落ちます。
    中央公論に掲載されましたが、芥川龍之介生前、短編集には収録されませんでした。
    偸盗とは盗人のことで、タイトルの通り、盗人の集団の物語となっています。
    平安の世が舞台で、日照り続きに疫病が流行り、荒れ果てた時代で生きる盗賊の兄弟「太郎」と「次郎」が主人公。
    太郎は、自分の肉体を武器にあちこちと関係を持ち、人々を翻弄する女性「沙金」を想っているが、沙金は次郎と関係があり、太郎と次郎の関係性は良くないです。
    沙金には母の「猪熊の婆」がいて、猪熊の婆は「猪熊の爺」と連れ添っているのですが、沙金から見て継父となる猪熊の爺と沙金は肉体関係にあります。
    また、「阿濃」という身ごもっている白痴に近い女性がおり、お腹の子供の父は次郎であると思い込んでいます。
    そんな人間模様の盗賊団が、沙金の差し金で警戒態勢の屋敷に盗賊に入るというストーリー。

    作中には象徴的に"羅生門"が登場します。
    舞台設定も羅生門に類似していますが、キャラ等は異なっていて、思わせぶりですが"羅生門"との関連は無いのかなと思いました。
    書かれた時期、古典を題材とした点に加え、羅生門との対比ができるため、本書に収録されたものと思います。
    短編ですがやや長めです。
    ただ、展開は早く、内容がドロドロしていて読み応えがあり面白かったです。
    芥川龍之介自身の評価は非常に低かったそうですが、芥川龍之介らしいエゴイズムが書かれた、魅力ある作品だと思いました。

  • 羅生門・鼻・芋粥・偸盗
    (和書)2010年02月08日 21:29
    2002 岩波書店 芥川 竜之介


    読み易くてとても良い作品集でした。

    一番好きなのは偸盗です。

    芥川竜之介の作品をもっと読んでみたい。

著者プロフィール

1892年(明治25)3月1日東京生れ。日本の小説家。東京帝大大学中から創作を始める。作品の多くは短編小説である。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材を取ったものが多い。また、『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向け作品も書いている。1927年(昭和2)7月24日没。

「2021年 『芥川龍之介大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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