- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003109045
感想・レビュー・書評
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#みな失格太宰に言わせりゃ我々は愛撫するくせ愛はない奴
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主人公、「女達者」で「卑猥で不名誉な雰囲気」を漂わせているので、出会う女全てモノにしていくのだが、後半はもう女と出逢ったら過程とかすっ飛ばしてページめくったら同棲してるの面白すぎる
読者を死に誘うような魔力は感じられなかった -
太宰治は1948年6月13日に、玉川上水にて山崎富栄と入水自殺しました。
本作収録の3作は、太宰治の死後発表された作品です。
三作品それぞれ内容は大きく異なっているのですが、何れにせよ"死を前にして書いた"というには、あまりにもいつもどおりであると感じました。
晩年の芥川龍之介のような、読み手に作者の不安定さが伝わるような作品ではなく、一作品として楽しめる3作です。
そもそも太宰治の入水にも色々憶測があり、遺書も見つかっていることから自殺には違いないと思われますが、その死の間際の思いは不明、というかわかりようがないです。
愛人と入水しましたが、遺書には「小説を書くのがいやになつたから死ぬのです」とあり、本当に死ぬつもりだったのか、と思います。
各作品の感想は以下の通りです。
・人間失格 ...
1948年5月12日脱稿。
連載中に太宰治の入水死があり、最終回は死後の掲載となりました。
そのため、太宰治の遺書として捉えて読まれることも多いです。
私、という第三者が、京橋のスタンドバーで、小説のネタとして3枚の手記と3枚の奇妙な写真を渡される場面から始まります。
気味の悪い笑みを浮かべる少年の写真、恐ろしい美貌を持つが生きている感じを受けない青年、表情がなく座ったまま死んでいるような男、それらの写真はすべて「大庭葉蔵」という男のもので、以降、彼の手記の内容について書かれ始めます。
「恥の多い生涯を送って来ました。」という有名な書き出しで始まるその手記は、自分を誰にもさらけ出すことができず道化を演じ続けてきたその男の半生が書かれています。
太宰治自身の生涯に重なる部分もあるのですが、彼が太宰治自身を重ねた人物であるかは特に言及はなく、創作小説であるという見解が一般的です。
どこか強く惹かれるところのある作品だと思います。
本当の自分を決して表面化させないようにして道化として生きる葉蔵的な部分は皆必ずあって、共感するところがあるのではと思います。
ただ、葉蔵を知るバーのマダムは、葉蔵は「とても素直で、よく気がきいて」「神様みたいないい子」と評します。
それは表面だけのことなのか、表面としてもそれは葉蔵の一部ではないのか、擬態に成功した喜ばしいことなのか、否か、色々考えさせる一作と思いました。
・グッド・バイ ...
連載中に太宰治が亡くなり、絶筆となった作品です。
状況的に悲壮に感じるタイトルですが、内容は陽気で軽いので、読むと本当に人間失格と同時期に書かれたのかと驚きます。
主人公「田島周二」は、終戦で妻と娘を妻の実家に預け、東京で一人暮らしをしています。
闇商売で儲け、愛人を10人も囲っている色男ですが、気持ちに変化が出てきて、女房子供を呼び寄せて闇商売から足を洗い、雑誌編集の仕事に専念しようと思います。
その手始めとして愛人ひとりひとりにお別れを告げようというストーリーです。
とても読みやすく気楽な文体で、本作執筆中に自殺するとは思えない内容です。
最後はまさかの女房からグッド・バイされるというオチを考えていたそうで、おもしろくなりそうなのですが未完となってしまい、とても残念に思いました。
・如是我聞 ...
本作は小説ではなく随筆です。
冒頭にて、「この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを」書く旨、書き出しがあり、自分の作品に対する批判や、志賀直哉氏に対する強烈な抗議と批判が認められています。
書かれているのは"怒り"と読んでいいエネルギーで、本作も自殺直前の作品とは思えない勢いを感じました。
自分の作品に対する批判に対する回答が主ですが、正直なところ怒りが全面に出て回答になっておらず、感情的すぎて読みづらいです。
書きたいことを書きなぐった感じがあり、当時、太宰治が志賀直哉をどう思っていたかがよく分かる書だと思います。
ただ、本書も未完となっています。
本書の(3)と(4)は、太宰の死後に掲載されており、死んでからも批判し続けていたと思うと、志賀直哉も拳の落とし所に困っただろうなと思いました。 -
グッバイ!!
君の運命のヒトは僕じゃない〜 -
人間失格、グッドバイ、如是我聞の3本立て。以前電子書籍(青空文庫)で読んだ人間失格を文庫本で読みたくなって購入。
<人間失格>
主人公の考え方や振る舞いが、ものすごく自分に重なる。いや、案外誰でも重なるのか?心の底では他人が怖い、できるだけ触れたくない。でも生きるため、違う自分を演じる。「演じる」ではなく「化かす」とする辺り、さすがだと思う。「演じる」は他人しか向いてないが、「化かす」は自分にも向いてる。自他共に化かす。ところが懐に入ってみると、実際には恐れていた程ではない。1秒の出来事を100年分の1秒の出来事と捉えられるか。そんなことを問われてる気がする。
<グッドバイ>
とても人間失格と同じ人が書いたとは思えないほど、今どきなお話し。「未完」てことなのでどうなるのかは分からないけど、このまま続いたら一話完結型の連続ドラマみたいになりそうなので「以降、繰り返し」の方がしっくりくるかも。(身勝手な)男のプライドを感じる。
<如是我聞>
残念ながらそれほど本を読む方ではないので、この話を心底理解することはできなかった。ただ、事実としてはともかく外枠だけ捉えると、今でもそういう人いるよね、と思わず頷いてしまった。 -
40年以上経って再読した『人間失格』は、10代の頃とは全く違ったところに刺さってくる。
太宰治の真の凄まじさに気付いたのか、自身の経年による部分的な鈍化が明らかになったのかは不明。
数十年後にもう一度読むとその答えに近づくかもしれない。 -
グッド・バイ すごく面白かった。
最初の3ページで情報と雰囲気がぎゅっと凝縮されて詰め込まれてて、心もってかれた。
太宰うまいなぁと心から思った。
最後まで描いて欲しかった。残念。 -
『人間失格』
文章の構成がうまい。自伝的な部分はあるにしても、それだけでは単なる自意識過剰になると分かっているので、客観的な視点を持ち込み、そして、最後に一文で、人間の複雑さを表現している。
太宰治のことはそれほど好きではないけれども(行間がうるさい、というか、「俺ってすごくない?」という主張がうるさいので)、彼の文章のうまさは本物だと思う。
『グッド・バイ』
未完が惜しまれる。
10人くらいの愛人がいる田島でも、キヌ子には形なし。その喜劇性が面白い。
『如是我聞』
実際のところ、太宰治は頭の良い人だったのだろうと思う。だから、周りの人間が馬鹿に見えて仕方ない。
それに、いつの世にも、「権威」にあぐらをかく輩はいるものだ。 -
私は太宰さんタイプの人間にはならない!と願いたい。読んでよかった。