火の娘たち (岩波文庫 赤 575-2)

  • 岩波書店
4.00
  • (2)
  • (3)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 181
感想 : 3
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (614ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003257524

作品紹介・あらすじ

「その美しい夏の朝かぎり、ぼくらは花婿と花嫁だった」──パリの女優の面影が呼び覚ます、故郷ヴァロワの日々。金髪のアドリエンヌ、黒髪のシルヴィの回想は、過去と現在、夢とうつつ、光と闇とを往還する。小説・戯曲・翻案・詩を一つに編み上げた、幻想の作家ネルヴァル珠玉の作品集。その魔術的魅惑を爽やかな訳文で伝える。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ネルヴァルは随分昔に『暁の女王と精霊の王の物語』を読んだ程度だったのだけれど、今回岩波文庫から通勤電車で読んだら腱鞘炎になりそうなほど分厚い(600頁)文庫が!タイトルから勝手に幻想系の短編集かなと思っていたのですが、表題名の作品はなく、私小説風、紀行文風、戯曲から詩まで収録作品は雑多、共通点はどれも女性の名前がタイトルについている点でしょうか。以下収録作品メモを個別に。

    「アレクサンドル・デュマへ」
    序文。1841年、精神錯乱の発作で入院したネルヴァルのことを、デュマが新聞記事にしてしまう。仲良しなので当人はネルヴァルを擁護するつもりで発表した記事だったが、ネルヴァルにしたら「なんで言いふらすん!?知らん人もいたのに!」という気持ち。で、この序文がデュマへの返答として書かれた。といっても別に恨み言ではなく、役者が役にのめりこみすぎて役にとりつかれちゃうように、自分も自分の書いた作品の登場人物が憑依しちゃうんだよね、それでちょっとおかしくなっちゃうの(意訳)的な内容。ちなみにネルヴァル(1808年生まれ)、アレクサンドル・デュマ(1802年)、そしてヴィクトル・ユーゴー(1802年)、テオフィル・ゴーティエ(1811年)らが同時代のフランスの作家。

    「アンジェリック」(第1~12の手紙)
    連載していた新聞の編集長あての手紙という形式で、ネルヴァルが『ビュコワ神父』について調査した過程とその内容をドキュメンタリー風にまとめてある特殊な構成の作品。フランクフルトでネルヴァルが偶然目にした『ビュコワ神父の物語』の本、フランスでも手に入るだろうと思って買わずに帰ったが、どうにも入手できない。あちこちの図書館に問い合わせ、手がかりを求める過程で、ビュコワ神父の大叔母にあたるアンジェリックという女性の手記が発見される。彼女は身分の高い女性だったが、そうではない男と恋に落ち、当然家族に反対されて駆け落ちをする。ところが相手の男は飲んだくれて働かず、大変な苦労をすることになり・・・という話。

    「シルヴィ」
    オーレリーという女優に片思いをしている語り手「ぼく」は、少年時代を過ごしたヴァロワ地方の田舎で、仲良しだったシルヴィという女の子のことを思い出す。しかし少年時代の彼は偶々みかけたアドリエンヌという年上の美しい娘を好きになってしまい、シルヴィは離れていった。今は青年となったぼくは、オーレリーがアドリエンヌと似ていることに思い当たる。懐かしくなりヴァロワに出向いた彼はシルヴィと再会、美しく成長した彼女にすっかり夢中になるが、シルヴィは別の恋人がおり、アドリエンヌは修道女になったという。パリへ戻って憧れの女優オーレリーと会う機会を得たぼくは、アドリエンヌの思い出を彼女に語るが、逆にそのせいで振られてしまう。彼は同一人物であることを期待していたがお門違いだったのだ。後日彼はアドリエンヌがとっくに亡くなっていることをシルヴィから聞かされる。プルーストやウンベルト・エーコが愛した作品。回想が入れ子になっていてノスタルジーを強めている。最後に収録されている「ヴァロワの歌と伝説」が良い。

    「ジェミー」
    アメリカ、オハイオ。アイルランド娘のジェミー・オドハティは、ドイツ男のジャック・トッフェルと結婚する。気の強いジェミーは亭主を尻に敷いていたが、ある日インディアンに攫われてしまう。しかしあくまで気の強いジェミーは、インディアンたちの中でも頭角を顕し、彼らの首領に一目置かれるように。5年の歳月が流れ、ジェミーはインディアンの村を脱走、夫の元へ帰るが、トッフェルのほうはとうにジェミーが死んだものと諦め、新しい妻をもらっていた。ガッカリしたジェミーはインディアンのところへ戻り、首領と結婚して幸せになる。チャールズ・シールスフィールド「アメリカ人の国におけるクリストフォルス・ベーレンホイター」の翻案小説。

    「オクタヴィ」
    辛い恋から逃避するためイタリア旅行に出かけた「ぼく」は、イギリス娘のオクタヴィと出会う。イタリアの思い出。どうもネルヴァルは、「シルヴィ」や「コリッラ」などにも共通のモチーフである、女優に片思いしている主人公の話が多く、まあ私小説というか実体験なのでしょう。あと余談ですがイタリアといえば「ラクリマ・クリスティ(※ワイン名)」を飲むのがお約束なんでしょうか。たまたま少し前にデュマの『モンテ・クリスト伯』を読みましたが、イタリア旅行中のアルベールくんがやはりラクリマクリスティを飲んでいました。

    「イシス」
    こちらもイタリア紀行。ポンペイのイシス神殿。

    「コリッラ」
    戯曲。ファビオという青年が女優コリッラに恋して、劇場の雑用係マゼットに取り持ちを頼む。ようやく逢引の約束を取り付けるが、マルチェッリという男が全く同じ時間にやはりコリッラと逢引の約束をしていることをファビオは知る。果たしてコリッラが好きなのはどちらなのか・・・。

    「エミリー」
    1793年フランスとドイツ(プロイセン)の国境で戦争がおこなわれていた頃、フランス軍中尉のデロシュは、負傷して療養中にエミリーという娘と恋に落ちる。結婚が決り、エミリーの兄ヴィレルムとも親しくなるが、実は兄妹はドイツ人、偶然にもデロシュがかつて戦場で殺した相手が彼らの父親だということが発覚し・・・という悲恋もの。

    「幻想詩篇」(廃嫡者/ミルト/ホルス/テンテロス/デルフィカ/アルテミス/オリーブ山のキリスト/黄金詩篇)

  • この作家の作品を読むのは生まれて初めてだけれども、作品の内容もこれまで体験したことのなかった印象を残すものだった。タイトルどおり女性が描かれる短編集という体裁なのだけれど、なんというか、綺麗なのだ。文章が。訳がこなれているからだと思うが美しい風景が、美しい表情が、美しい心の動きが、美しいことばとして刻まれそこから立ち上がってくるような感覚にしびれる。そして、フランス語の原文を読んでみたいという気持ちにもさせられる。
    日頃SNSにあふれる小汚い日本語に辟易していたところに清涼なこの季節の風を感じることができた。

  • 19世紀中頃のネルヴァルのこの文学史上名高い作品集、かつてちくま文庫で出ていたのに買うタイミングを見失い、絶版になって残念に思っていたら、岩波文庫で出してくれた。
    何はともあれ、プルースト等に絶賛された名短編「シルヴィ」である。
    なるほど、夢幻的で美しい、印象的な小説だ。
    この小説は、私がA時点で回想しているB時点の私が回想しているC時点の・・・という風に、「回想」が入れ子構造になっている。この構造は、泉鏡花の「高野聖」と同じだ。語りが複雑な入れ子になって行くに伴って、おそらくものごとの継起性とか時間感覚がおかしくなり、話される中身は通時態を超越した神話的な・象徴的な次元に押し上げられるのだろう。
    さて神話的レベルに置かれた物語の骨子は、主人公の男性が幼なじみの身近な女性シルヴィと、近寄りがたい彼方にいるらしいアドリエンヌとの双方に心惹かれる恋情が核心になっている。
    最初から親しみに満ちたシルヴィは、負けず劣らず可愛らしい美少女と設定されている。この陽光のなかでかがやくような少女は、主人公が別の女性アドリエンヌにつかの間心惹かれる様を目撃しても、少し怒った後にはやはり主人公に明るい笑顔を見せてくれる。多少嫉妬もするけど、とにかくあなたが好き、みたいな、なんとも、男性にとって都合の良い、普遍的な女性像である。
    アドリエンヌの方は、後年主人公が心惹かれる女優オーレリーと重なっているが、壇上でスポットライトを浴びて立つ女神像のような、神秘的なイメージである。こちらの女性像は、夢見がちな主人公が生み出した妄想と言っていいだろう。
    結局主人公は「都合の良い他者」であるシルヴィとも結ばれることなく、妄想が生み出した憧憬の対象をも決して近づくことが出来ない。
    そのようなしょうもない文学少年/青年みたいな主人公だが、その恋愛状況が神話的に語られることによって、この小説は普遍的な物語となったと言えるのだろう。
    読んでいると、生身の身体を持たなそうなアドリエンヌ/オーレリーという<記号>よりも、よりリアルで、しかし男性にとって「都合の良い」シルヴィの溌剌とした存在の方が、魅力的に感じられる。

全3件中 1 - 3件を表示

ネルヴァルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×