アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫 赤 794-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (532ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279427

作品紹介・あらすじ

大地主の私生児として生まれ,混血の伯父に育てられ,革命軍に参加し,政略結婚によって財産の基礎をつくり,政治を巧みに利用して,マスコミを含む多くの企業を所有する????.メキシコ革命の動乱を生き抜いて経済界の大立者に成り上がった男アルテミオ・クルスの栄光と悲惨.現代ラテンアメリカ文学の最重要作.

感想・レビュー・書評

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  • 「あの朝、わしはわくわくしながらあれが来るのを待っていた。二人して馬で川を渡ったんだ」

    メキシコ革命前後の混乱期を生き抜き、政財界でも成功を収めた主人公の精神の流れから浮かび上がるメキシコの姿。
    老いたアルテミオ・クルスはベッドで死を待つばかり、体は満足に動かせず時折体に激痛が走る。
    周りにいるのは、アルテミオを嫌い遺産相続ばかり気にする妻と娘、遣り手の秘書、その都度の処置を施す医者たち。
    ベッドの上でアルテミオの意識はこれまでの人生を辿る。

    アルテミオは貧しい生まれだったようだ。メキシコ革命に従軍し、終結後は政権争いも乗り切り、実業家として財産を築いている。非情な手段もとった。
    だが家庭では妻と娘には恨まれ、年を取り政情からも遅れを取っている。
    そし70歳を超えたアルテミオは、自分の来た道を混濁する意識のなかで辿り返すしかない。

    小説の手法としては「病人の止めどもない意識の流れ」を追っている様式のため、時間は混在し、同じ内容が繰り返され、語り手も一人称、二人称、三人称が使われ混じっているというもの。

    一人称「わし」…病床のアルテミオの意識。
     『わしは目を閉じている。耳元で話し声がするが、よく聞き取れん』
     『わしは生き延びた。あんたたちは死んだのだ。わしは生き延びた。やっと静かになったようだ、眠っていると思っているんじゃろう、お前のことをお前の名前を思い出したぞ。だがお前には名前がない』
    二人称「彼」…アルテミオの過去を客観的に記す。
     『彼は、彼女が考えた美しい嘘をどこまでも信じることにした』
     『彼は大きく息を吸い込んで陽光の降り注いでいる入口に向かって駆け出した』
    三人称「お前」…老人となったアルテミオが、過去を思い出し、その過去で未来(ベッドにいる現在よりは過去)を予告したり、ベッドにいる現在の意識が混じっている。
     『その夜、お前は娼家で少佐や古くからの戦友たちといろいろなことを話し合うが、あの夜話し合ったことを思い出さないだろう』
     『お前は何も知らずに七十一年間生きるだろう。お前の血液が体内を循環し、心臓が鼓舞し、胆嚢から漿液が流れ、肝臓から胆汁が分泌され、腎臓が尿を作り、膵臓が血糖値を調節しているが、今になってお前はそうした事を考え続けるだろう』

    そしてアルテミオが混濁する意識で思う自分が手に入れたものは、まさにメキシコそのものを顕している。
    『お前はこの国を遺してやるだろう、自分の新聞を、ほのめかしを、阿諛追従を、下劣な人間のまやかしの議論で眠りこまされた両親を遺してやるだろう、抵当を遺してやるだろう、消えた階級を、矮小な権力を、(…略…)彼らはそれぞれメキシコを持てばいい、お前が遺したメキシコを持てばよいのだ、』(P434)

    フエンテスは、メキシコとはなにか、を書いている。そしてここではメキシコを表す俗語として『チンガール』という言葉について語っている(P220あたり)。
    この言葉は、陵辱する、犯すという意味の動詞で、抑揚は調子の変化で意味が千差万別し、嫌がらせ、中傷、暴行、殺しなどの攻撃の概念になる。
    これは現在のメキシコ人にとって、メキシコとは、スペイン人に征服された、陵辱された女であり、国民とは陵辱された女の子供だという意識を持っている、ということの現れなのだという。


    以下、作品内の時系列ごとに、メキシコの情勢とアルテミオ・クルスの状況を記載。

    ❐1941年:
     メキシコ…独裁政権→革命→政権混乱を経てきた。
     アルテミオ・クルス…メキシコ革命を乗り切り、財を成して会社を経営している。
     娘のテレーサは結婚の直前らしい。そのテレーサは、病床の父アルテミオへの恨みを述べ続け、アルテミオの妻カタリーナは娘を止めるものの自分自身も愛憎入り乱れる感情を持っている。

    ❐1919年:
     メキシコ…革命形による闘争など、政権混乱が続いている。
     アルテミオ・クルス…牢でその死を見届けたゴンサーロ・ベルナルの実家を訪ね、ゴンサーロの妹のカタリーナと結婚し、義父となったドン・ガマリエル・ベルナルの土地と財産を受け継ぐ。カタリーナは、兄を見殺し、父に取り入って財産を掠め取ったこの荒々しい男に対して、男としては惹かれているが人間としては心を許しきれないという葛藤を持つ。

    ❐1913年:
     メキシコ…1910年にディアス独裁政権に対して、大農園主のマデーロが対抗馬となり、1911年にマデーロがメキシコ大統領に就任した。しかしマデーロは国内の貧困改善には興味を示さず近代国家化に着手したため、メキシコ国内が荒れてゆく。1913年には、首都メキシコ市での反乱が勃発した。
     アルテミオ・クルス…内乱に次ぐ内乱。アルテミオは従軍した町で、若い娘のレヒーナを誘拐し陵辱するが、その後彼女とは恋人として逢瀬を重ねている。このレヒーナとの逢瀬がこんな時代だからこその生き甲斐となっている。そしてこの恋の終わりは実に哀切極まりない。この描写があまりにも印象的で、今後アルテミオがどんなに非情な手段でのし上がろうと許せるくらいに切ないものだった。

    ❐1924年:
     メキシコ…アルテミオ・クルスがかつてその下で闘ったオブレゴンが大統領担っているが、政治闘争は続いている。
     アルテミオ・クルス…カテリーナと結婚後、二人目の子供妊娠中。一人目は息子のロレンソで、この二人目は娘のテレーサ。家庭内のすれ違いは相変わらず。
     ロレンソが若くしてなくなったとこはいままでの記述でわかるのだが、それがさらに家族断絶の要因となっている。

    ❐1927年:
     メキシコ…政権争いも安定し、メキシコ革命はほぼ収束に向かう。
     アルテミオ・クルス…メキシコ革命が収束したとはいえ、「頭領と言っても、以前の頭領と現在の頭領と二人いますが」(P202)という時代。権力者が変わるたびに情勢も法律も変わるが、アルテミオはその都度乗り越え、議員になり会社も所有し、富を得ている。
    この小説において、メキシコ革命期の革命家や政治家の名前が多く出てくる。私は残念ながら彼らの勢力図、敵味方の構図はわからないのですが、メキシコ人からすればアルテミオがどの上司に乗り換えてきたのかが感じられるのだろうか。

    ❐1947年:
     メキシコ…メキシコ革命は名実ともに終結し、制度的革命党による一党独裁の時代。
     アルテミオ・クルス…社会的地位と財産を持った成功者ではあるが、すでに中年男となり精力は衰えている。息子のロレンソは死んだらしい。その事により余計に家庭不和が深まり、アルテミオは若い愛人リリアと過ごしている。 

    ❐1915年:
     メキシコ…ディアス独裁政権は終わったが、革命家同士での戦闘が続いている。
     アルテミオ・クルス…独裁政権を倒したといっても、国内が一つの意見というわけではない。革命家同士の闘争は続き、アルテミオも従軍している。そして捉えられた牢でゴンサーロ・ベルナルと会う。

    ❐1934年:
     メキシコ…制度的革命党の時代。
     アルテミオ・クルス…妻カタリーナの友人のラウラを愛人にしている。スペイン内乱で戦死してた息子ロレンソのことを思い出している。ロレンソは、かつてアルテミオがメキシコ革命に参じたように、スペインに参じたのだ。きっと父ならわかるだろう、と戦地に向かった。

    ❐1939年:
     メキシコ…1936年に始まったスペイン内乱に対して人民戦線内閣支持を表明、スペインからの亡命者を受け入れている。
     アルテミオ・クルス…この章は、スペイン内乱に従軍しているロレンソの話。この小説において”彼”とはアルテミオのことだが、この章では”彼”が息子ロレンソを表す。ロレンソは戦死し、どうやらその後戦友がアルテミオに息子の死を伝えたらしい。

    ❐1955年:
     メキシコ…制度的革命党の時代。
     アルテミオ・クルス…老年期に入っているアルテミオは、相変わらずの財産を保有している亜、家族とは離れて別邸で愛人リリスと暮らし、政権パーティや会議などはこちらで行っているようだ。結婚当時から齟齬のあった妻カテリーナとの溝は埋まることはなく、そんな家庭で育ったテレーサも父に対しては憎しみしかない。それでも彼女たちは、資産のためにアルテミオからは離れられないのだった。

    ❐1903年:
     メキシコ…ディアス独裁政権下。
     アルテミオ・クルス…地主の私生児として、隠されるように育った幼少時代が語られる。

    ❐1889年:
     メキシコ…ディアス独裁政権下。
     アルテミオ・クルス…アルテミオ・クルスの誕生。そして死ぬのだろう。

  • 病院で死の床についている老人アルテミオ・クルス。貧農から革命に兵士として参加、他人の犠牲をものともしない野心家の彼は、メキシコという国の混乱を背景にどんどん成り上がり、今は大金持ち、いくつもの工場や鉱山、新聞社を所有し、愛人を囲っている。しかし妻カタリーナとの関係は最初から破綻しているし、娘テレーサは父親を憎悪している。病に冒され意識朦朧としながらの断片的な回想や現状と、アルテミオ・クルスの過去が交互に語られていく構成。

    過去は時系列がバラバラなので、年度と起こったことをメモして順番を入れ替え確認しながら読んだ。メモすることで気づいたのだけれど、たぶんこれらのほとんどはアルテミオの人生の「後悔ポイント」もしくは「やりなおせるなら違う道を選ぶかもしれないターニングポイント」だったのかも。あのときこうしていればこんなことにはならなかったかも、と思う反面、いやこうする以外に道はなかった、とも思う二人のアルテミオがいる。

    あとメキシコ革命(1910-1917)について簡単に頭に入れておくだけでも随分読み易くなるのでおすすめです(私は途中で気づいてWikiで調べた程度ですが)スペイン内戦についてはヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』を読んだときにざっくり調べたので、息子ロレンソが義勇兵として人民軍に加わっていたあたりはなんとなく理解。

    読後感はガルシア=マルケスの『族長の秋』に近かった印象。個人のヒストリーのはずなのに、なにかとてつもなく巨大な集合意識に触れたかのような。たぶんアルテミオ・クルスという男の人生そのものがメキシコ近代史を象徴しているということだろう。

    一人の男性としては、富も権力も多数の美女も手に入れてけして不幸ではなかったはずなのに、本当に大切だったもの、本当に欲しかったもの(シンプルな家族の愛と尊敬)を得られなかった可哀想な人という感じ。妻との擦れ違いは、けして本心から憎みあっていたわけではないので辛い。娘についてはちょっと勝手だろ、と思ってしまった。贅沢な生活ができるのは誰のおかげだと思ってるんだ的アルテミオの心の声は傲慢ではあるがその通りでもあるし。

    あと晩年の若い愛人や不倫相手と違って、結婚前のレヒーナとの恋愛とその結末はとても切なかった。最後にようやくアルテミオ・クルスの少年時代と出自を明かす構成はベタだけどうまい。メキシコで使ってはいけない言葉は「チンガール」だと学習。しかしこの言葉こそがメキシコ近代史をいろんな意味で象徴しているのかもしれない。



    以下備忘録というか、自分の脳内まとめガイドライン。

    <時系列並べ替え後年表>
    1889年 4月 アルテミオ・クルス誕生
    1903年 1月 少年時代のアルテミオ・クルス、農園で小作人として暮らしているが…
    1913年12月 24歳。革命軍の中尉。レヒーナと恋に落ちる
    1915年10月 26歳。大尉になっている。偵察中に敵の捕虜となりゴンサーロ・ベルナルと牢で出会う
    1919年 5月 ゴンサーロ・ベルナルの実家を訪れ、その父ドン・ガマリエル・ベルナルの土地を乗っ取りゴンサーロの妹カタリーナと結婚
    1924年 6月 カタリーナが第2子テレーサを妊娠、夫婦間の不和
    1927年11月 38歳。議員になっている
    1934年 8月 パリ?で妻の友人ラウラと浮気
    1939年 2月 息子ロレンソはスペイン内戦に人民軍の義勇兵として参加
    1941年 7月 娘テレーサの結婚準備中
    1947年 9月 若い愛人リリアとホリデー・イン・アカプルコ
    1955年12月 愛人リリアと暮らす別宅でパーティ開催

    <メキシコ革命>
    1910年、30年にも及ぶ独裁政治で腐敗していたディアス政権打倒のためにマデーロが立ち上がり、サパタ、ビリャ、カランサ、オブレゴンらも反乱に立ち上がる。
    1911年、一度はディアスに逮捕され亡命したマデーロが逆襲に成功マデーロ政権が始まる。
    1913年、マデーロが保守派のみならずかつて協力していた仲間からも幻滅され、ウエルタ将軍の裏切りにより暗殺される。ところがこのウエルタ政権を今度はサパタ、ビリャ、カランサ、オブレゴンらの革命軍が打倒しようとする。(この頃、革命軍の中尉だったアルテミオ・クルスはレヒーナと恋に落ちる)
    1914年、革命は成功するが革命派内部の対立が激化。ビリャ&サパタ派とカランサ&オブレゴン派に分裂。
    1915年、両派の間で戦闘の火ぶたが切って落とされる。(1915年の回想ではアルテミオ・クルスはカランサ派に属していて、ビリャ派の捕虜となってしまう。その牢で同じく捕虜となっていたゴンサーロ・ベルナルと出会う)
    1917年、カランサ派が勝利、一応メキシコ革命はここで終結とみなされる。(そして終戦後の1919年、アルテミオ・クルスはゴンサーロ・ベルナルの実家を訪問し妹カタリーナを結婚する)のち、1920年にはカランサとオブレゴンが対立、カランサが敗北しオブレゴンが大統領に。

    • 淳水堂さん
      yamaitsuさんこんにちは。
      とってもわかりやすいレビューで、まさにそのとおり!と思いました。
      チンガールとは言ってはいけないという...
      yamaitsuさんこんにちは。
      とってもわかりやすいレビューで、まさにそのとおり!と思いました。
      チンガールとは言ってはいけないということはよく分かった(笑)
      全体的に猥雑で雑多な語りなのに、レヒーナとの別れの場面があまりにも切なくて哀しくて、あまりにも文章は美しくて、この印象が強すぎてアルテミオ・クルスの人生を攻める気にはなれずに読みすすんでしまいました。

      しかし南米作品を読むためには、時代や政治背景を検索しながらだから時間と手間がかかりますね^^;
      そしてどの国を検索しても、あまりの内乱や変革や戦争の多さに目を見張ってしまう。
      2020/05/29
    • yamaitsuさん
      淳水堂さん、こんにちは!
      淳水堂さんのレビューも拝見しました!「人称の使い分け検証、興味深かったです。なるほど、「お前」や「彼」のような俯...
      淳水堂さん、こんにちは!
      淳水堂さんのレビューも拝見しました!「人称の使い分け検証、興味深かったです。なるほど、「お前」や「彼」のような俯瞰の視点があることによって小説全体に個人史ではなくメキシコ史といった壮大な印象が生まれるんでしょうね。

      レヒーナとの恋があるだけで、アルテミオ・クルスを憎めなくなっちゃう気持ち、わかります。あれは本当に美しかった…。

      そして南米文学を読むようになってから、かなり歴史の勉強をしたような気がします(笑)日本の小説だとここまで複雑になることはないですよね。
      2020/05/30
  • フエンテスに出会ったのは、おそらくラジオドラマFMシアター「アウラ」。
    溝口健二監督「雨月物語」に触発されたとかいうゴシック趣味に開眼する思いだった。
    南米文学=マジック・リアリズム、だけではないのだ、と。
    それから岩波文庫「アウラ・純な魂」に手を出したり、「誕生日」のアヴァンギャルドだか文体実験だかにくらくらやられたり。
    そういえば「誕生日」はシャーリー・マクレーン(「アパートの鍵貸します」)へ捧げられている。神秘主義だかニューエイジだかスピリチュアルだか、よりは、そのヌーヴォー・ロマン風味にやられたのだ。
    アラン・ロブ=グリエより前にフエンテスのヌーヴォー・ロマンに触れたのである。
    その後、「私が愛したグリンゴ」や「ガラスの国境」は積読状態、「澄みわたる大地」「テラ・ノストラ」「遠い家族」は高価ゆえ手を出せず文庫になればいいなーと、思っていたところへ、本作の岩波文庫入り。偉い。
    というのは前置き。

    本作はまるで「市民ケーン」(新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト)のように始まる。
    死の直前のバイタリティ溢れる男が、半生を回想するのだ。
    「バラのつぼみ」に当たるのは「わくわくしながらあれが来るのを待っていた。われわれは二人して馬で川を渡った」だろうか。
    【一人称=わし=現在形=だ】
    【二人称=お前=未来系=だろう】
    【三人称=彼=過去形=した】
    の記述が繰り返される中で、アルテミオ・クルスの半生と性格、そして彼が半ば寄生し半ば共作(政府との結託、よりよい大統領へに取り入る)してきたメキシコの歴史が浮き彫りにされていく。

    この小説の感想をまとめるのは難しい。
    というのも、生が、出会う要素を統合していく過程であるのに対し、死が、獲得し所有し積み上げてきた要素が否応なく解体していく過程だからだ。
    語り手は組み立ててきた生活や記憶の愛おしさが、バラバラになっていくのを目撃する……これが死に際しての認知だ、と。つらい。
    得て構築したものを、失い愛惜する事柄を、再度まとめるのが書評家なのだろうが、私はプロではないので、ただ要素を雑多に列挙して、再読する自分に、ここに注目せよと促すのみ。

    ・鏡のイメージ=分裂と統合。
    ・テープレコーダーというギミック=繰り返しと再確認。
    ・失った女レヒーナへの思慕。得た女にはあきたりない。妻との恋(無理矢理奪取し所有)と離反(身分違い)と諦め(寝室を分けて、聞き耳を立てる)と和解(連想、ジョン・ウィリアムズ「ストーナー」)。もちろんカタリーナ側の視点も盛り込んで。欲望、追憶、混沌。嘘と自己欺瞞。
    ・無神論者。にもかかわらず司祭による、無理矢理の赦しの儀式が施される。抵抗。
    ・息子を失ったこと。革命後生き延びた自分は実業家になったが、革命による死という自分が果たせなかった人生を、息子ロレンソが代わりに果たしてしまった。喪失感と罪悪感。娘テレーサは兄の死を父のせいにする。
    ・メキシコ対アメリカ。「チンガール」……凌辱、犯すなどなど幅広い意味。スペインに侵されたメキシコ。
    ・そもそも軍隊ホモソーシャルにおける男色すれすれの関係性、そして女装司祭との男色。
    ・連想、ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画「山猫」旧世代バート・ランカスターと新世代アラン・ドロン。いやむしろ孫娘の恋人がドロンか。
    ・見捨てて来た者たち。死者たちを思う。死者の名前。俺を覚えておいてくれ。
    ・回想が進むその先は、壮年期でもなく青年期でもなく、少年期。ここで急にフォークナーっぽくなる。セバスティアン先生。黒人との混血に育てられた、という劣等感が、のしあがる熾火になった、と。
    ・すべて記憶が統合されるのは、星や空や天体の運行において。

  • 生と死と、現在と過去とが行き来しながら進むある男の回想。記憶に紡がれる壮大な歴史であり、人生であり、最後は、宇宙と大地につながる生命の話となる。
    しかしながら、読み進めるのに難儀した。長い。。。

  • 久々にガツンと来た。自分は作者をつまらない、理解出来ない、巨匠、と思っていた。ところが、これ、最初から最後までずーっと面白い。1人の男の死に間際です。寝たきり。悲しみなんて全然ないぞ。家族は見舞いに来るけど、仮病とか言われ、遺産をあからさまに聞かれたり、誰1人まともな奴いない。その男のいきざまを通し、メキシコを勉強する本です。前はカリフォルニアからマイアミ辺りまで国土があったんだって。だからスペイン系の地名が残っている。しかし主役も含め、情報も何もかもが濃く、血の色をしている。全然フエンテス面白いよ!叫!

  • 何も持たずに生まれた男性が、のし上がって全てを手に入れてから独りぼっちで死ぬまでを描いた壮大な物語。メキシコの国の成り立ちなども少し分かるようになる(かも)。

  • だめだ、挫折した。難解な文章、現在なのか過去なのかよくわからない。
    じいさんが、贅沢三昧の嫁と娘に財産を譲りたくない?という怨念はわかったけど。

    図書館で借りた本。1か月たって半分も読めなかったため、返却。

  • 何だか物凄いものを読んだ、という気がする。作中世界に引き込むパワーもさることながら、過剰という単語をキーワードにしたいほどエネルギッシュだった。読んだ後に何か疲れたような……w

  • 『アルテミオ・クルスの死』
    原題:La muerte de Artemio Cruz(1962年)
    著者:Carlos Fuentes Macías(1928-2012)
    訳者:木村榮一
    通し番号 赤794-2
    ジャンル 赤(外国文学/南北ヨーロッパ・その他)
    シリーズ 岩波文庫
    刊行日:2019/11/15
    ISBN:9784003279427
    Cコード 0197
    体裁 文庫・534頁
    定価 本体1,200円+税

    大地主の私生児として生まれ,混血の伯父に育てられ,革命軍に参加し,政略結婚によって財産の基礎をつくり,政治を巧みに利用して,マスコミを含む多くの企業を所有する――.メキシコ革命の動乱を生き抜いて経済界の大立者に成り上がった男アルテミオ・クルスの栄光と悲惨.現代ラテンアメリカ文学の最重要作.
    https://www.iwanami.co.jp/book/b482324.html

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