海上の道 (岩波文庫 青 138-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003313862

感想・レビュー・書評

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  • 『近年まったく本ものの旅ができなくなったために、行って聴けば何でもないようなことを、知らずにいい加減な想像ですませようとしている問題が幾つかある。』これを七十七になって言えるかですよ。若手でもサボってる学者はここでドキッとさせられるのでは。私は学者でも何でもないが、ドキッとしました。

  • 柳田国男の86歳のときの最後のメッセージといわれる。

    前にも、一度読んだことあるが、
    そのときは、『つまんない』という感じだった。
    あまり、重要なことが言われていないと思ったのだ。
    今回読んで、同じ感想だった。
    民俗学の考えていることは 
    なぜこんなに、つまんないのだろうか。

    大きなテーマは
    『日本人はいかにしてわたってきたのか』ということである。

    西海岸を伝う方法と東海岸を伝う方法
    風の言葉の収集から・・みえてくること。
    椰子の実が、伊良湖岬の海岸に流れ着いたこと
    宝貝を求めて沖縄 宮古をめざす
    漂流物は 椰子の実だけでなく 人間も漂流する
    日本はコメ作国家であるが モミだけでは稲作は伝わらない。

    という この構成の仕方は、
    風、椰子、人間、コメが 海上の道を通ってやってきた。
    ということなのだろう。
    ふーむ。
    コメが伝えわったことが 日本の文化の中心になった。

    何だろう、この物足りなさは、

    松岡正剛は、千夜千冊で
    海上の道 
    のなかで、

    松岡正剛は言う
    『柳田の民俗学は思想の言葉をもたなかった。
    見聞をしたことを記載することが柳田の方法で、
    それを聞き書きというなら、
    まったくそれ以上でもそれ以下でもなかった。』

    というのが、正しいのかな。

    柳田国男小論
    日本の歴史の流れから 柳田国男の変遷が詳しく書かれている。
    日本の植民地政策(外なるもの;台湾、朝鮮、内なるもの沖縄、アイヌ)
    との関連で、詳しく述べられている。実に参考となる論証である。
    海上の道の始まり
    貨幣としての宝貝

    殷の時代に 宝貝が貨幣だった。
    その宝貝は ベトナムもしくは 沖縄からとどいた・・。
    殷の時代のヒトが 沖縄にたどり着き 定住した。
    それが、コメの文化の始まり?
    そして 沖縄特有の酒 泡盛 はどのように来たのか?

    柳田国男は 学生時代に 伊良湖の海岸で
    椰子の実 を見たことが 
    日本人はどこから来たか?
    という疑問の発端だった。

    椰子の実を見た事が、島崎藤村の詩に結実する。
    日本は島国なので、
    どこからこようと『海』を渡るしかない。

    樺太経由であろうと 朝鮮半島経由であろうと
    海を通ってやってきた。
    柳田国男の 『海上の道』は、黒潮の道だった。
    黒潮に乗って やってきた文化。

    黒潮が日本でぶつかるときには 沖縄である。
    その沖縄が 黒潮から運ばれてきたものを、
    一時的に 受けとめ そしてヤマトへ 運んでいく。
    沖縄に 黒潮文化が根付いていないといけない。

    モミは 黒潮に乗って、沖縄にたどりついたとしても
    沖縄の稲作の遺跡は 古いものは残っていない。
    私は水田を 石垣や伊平屋島でみたが、
    日本の原風景のようなイメージが あった。
    なぜ、沖縄に 稲作文化が根付かなかったのだろうか?
    それが 九州南部では 稲作の古い遺跡が見つかっている。

    海上の道は モミをはこばなかったのだろうか。
    柳田国男は、
    海上の道の 先は ミクロネシアやポリネシア インドネシア
    と想定していたのだろうか?
    それとも、ベトナムから中国福建省だったのだろうか?
    どうも、稲が伝わるという意味では 福建省を考えていたのだろう。

    イネが雲南起源説であり 照葉樹林文化という考え方で言えば
    福建省から海上の道で、やってきたことも考えられるが、
    (泡盛が・・・タイから もしくは 福建省経由できたように、
    (沖縄のお墓の形式が福建省から来たような。
    そいう伝わり方の中に モミがなかったのだろうか?
    イネの起源説が 揚子江の中流域となったことによって
    少し、様相が違うような気がする。

    モミと稲作文化は、
    揚子江中流域からはじまり、揚子江の河口に ながれて、
    九州南部にたどり着いたのだろうか。
    確かに ニンゲンは ハプロタイプからいえば
    海上の道を漂流してきたようだ。

  • 学生の頃には、全集で読みました。
    手元に全集もあるのですが、
    いつ購入したのか、岩波文庫版(1992年2月15日第17刷)が
    あったので、行き帰りの列車の中で読んでいます。

    大江健三郎の「解説」が、素敵。
    (2012年9月5日)

    正しいかどうかというと、きっと「トンデモ」なんでしょう。それはそれで、よいのです。
    (2012年9月9日)

  • 1144夜

  • 恥ずかしながら、未読。

  • 柳田国男氏の著書、私たち日本人の祖先はどのような経路で我が国に移住してきたのか、
    伝承、神話、言葉の変化などの多角的な観点からその経路を分析して行きます。

  • ヤシの実の漂着・宝貝の分布・ネズミの移住など小さな事実を手掛りに構想した雄大な仮説。

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著者プロフィール

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。

「2021年 『新嘗研究 第七輯―三笠宮崇仁親王殿下に捧ぐ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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