怒りについて 他二篇 (岩波文庫 青 607-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003360729

作品紹介・あらすじ

ネロー帝に仕える宮廷の生と自決の死-帝国の繁栄と矛盾の中で運命の変転を体現したローマの哲学者セネカ(前4頃‐後65)。絶対権力を念頭に、怒りという破壊的な情念の分析と治療法を逆説的修辞で論じる『怒りについて』。苦難の運命と現実社会の軋轢への覚悟、真の幸福を説く『摂理について』『賢者の恒心について』を併録。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • ローマ時代に書かれたアンガーマネジメントの本。職場の机の引き出しに入れておきたい。
    人生は短い。協働的な怒りに支配される時間があったら、怒りを打ち負かして他に時間を割いた方が格段によいと改めて痛感した。

  • アバタロー氏
    兄の怒りを和らげるために執筆
    兄以外にローマ皇帝カリグラとネロも含まれている

    《著者》
    ルキウス・アンナエウス・セネカ
    親と区別するため小セネカ
    BC1~AD65年
    哲学を学び政治の世界へ
    コルシカ島に島流し(身分剥奪、ある意味死刑に匹敵)、この頃執筆していたとされる
    49才ローマ皇帝の皇后から教育係
    61才引退
    64才ローマ皇帝ネロから自殺を命じられた

    《内容》
    ○イライラと縁を切る技術
    ・どうにもならないことに悩み、心を疲れさせないことだ
    自分の思い通りになることは、自分の力が及ぶ範囲内で、それ以外は大抵うまくいかずストレスがかかる
    ・楽天的な人と付き合う
    ・普段から詮索をやめることだ
    怒りがあなたの元を訪れたのか、それとも他の方が怒りの元を訪れたのか、それをよく振り返ってみるといいだろう

    ○怒りに襲われたときの対処法
    ・侮辱されたときは放置し笑い飛ばし許すことだ
    何をされたかではなくどう受け止めたのかが問題、怒りに主導権を握られてはいけない
    ・怒るだけの価値がある重要な問題なんだろうか 、無価値なことに怒っているのだと気づいたのなら今すぐ鎮めることだ
    ・怒りによって人生をムダにしている
    そんなムダ使いをするほど命の蓄えがあるのだろうか、怒りたくなったら思いだそう
    死はいつだって自分の近くにあるのだ

    《感想》
    現代ではいろいろなハラスメントがある
    これはすぐに然るべき対処をしなくてはいけなく、放置したり許すものではない
    それと切り分けて考えなくてはいけない

    「怒り」は心構えのようなものとして捉えるとよいと思った
    幼児を叱っても、言うことを聞く訳でもなく疲れるだけ
    時間にルーズな友達を怒っても、その後守るかと言ったらわからない
    逆に怒りっぽい人とは離れることだ
    こういう面持ちがいいのだな

  • 俗っぽく紹介するなら「2000年以上読まれ続けるアンガーマネジメントの金字塔!」とでも言おうか。

    不可避的な災厄、苦痛と向き合う「摂理について」。
    賢者は不正を受けることがない、と主張する「賢者の恒心について」。
    そして、怒りという情念の恐ろしさと、そこから逃れる術を説く「怒りについて」。

    どれも、自らの働きかけでは御しがたいものとどう向き合うのかということに集約される。
    賢者の恒心における、ある種の「上から目線」で接するという態度などは文面だけを読むと驚いてしまうが、心を平静に保ちながら徳を保つには有効な手立てだろう。

    怒りという情念は破滅的なもので、そもそもそこからは逃れられるなら逃れるべきだ。
    しかし怒りというものはそこかしこで発生し、我々は日々過ちを起こす。
    その現実と向き合い、いかによりよくあるべきかを論じた本書は現代に置いても共感する箇所が多い。

    怒りに任せて話し相手を切り殺すような人間は現代にはいないが、怒りが破滅をもたらすものであるのは今も昔も変わらない。
    怒りのもつ恐ろしい副作用を自覚し、距離をおいてアンガーマネジメントするためのヒントはこの古典にぎっしりと詰まっている。

  • ◯摂理について
    ・善き人たちが苦労し、汗を流し、険峻な途を登攀するのに対して、劣悪な連中が自堕落に暮らし、快楽に酔いしれているのを目にしたときは、「息子は厳格な訓練で律せられるのに対して、奴隷の身勝手は育つがままにされるものだ」と考える。

    ・障碍を知らぬ幸福は、どんな打撃にも耐えられない。だが、絶えず逆境と格闘した者には、受けた不正で厚い皮が育ち、いかなる悪にも屈しない。

    ◯賢者の恒心について
    ・彼が所有のうちに置いているのは唯一、徳だけであって、ここからは何一つ奪い取ることはできないからである。

    ・犯罪は、遂行の結果以前に、範囲が十分である限り、すでに完了しているのである。

    ・人からの侮辱を賢者が児戯とみなすのも、至当というより他はない。

    ◯怒りについて
    ・最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないように務めることである。

    ・それは有益だとか不可避だとか言って自分の弁護と身勝手の口実を求めてよいわけはない。

    ・怒りに陥らないようにすること、それから怒りの最中に過ちを犯さないことである。

    ・子どもを早いうちから健全に躾けることこそ、何よりもためになる。

    ・モノは我々の怒りに値しもせず、それを感じもしないのに、怒るとは何と愚かなことだろう。
    ・われわれのうち、罪のないものは一人としていない。

    ・全部取り去ろうとしてはいけない。一部ずつ摘みとっていけば、怒り全体を征服できるだろう。

    ・「思っていなかった」とは、人間にとって最も恥ずかしいいいわけだと思う。あらゆる事態を思い、予期しておきたまえ。

    ・怒っているとき、鏡を見たことが役立った。

    ・何かを試みるときはいつも、あなた自身の力と、あなたが準備していてあなた自身がその準備になっている計画と秤にかけたまえ。

    ・あなたの中でどこが弱いか、そこを最もしっかり守るために知っておかねばならない。

    ・誰でも気持ちを傷つけられた時はいつでも、自分にこう語りかけるといい。「私にピリッポスより強大な力があるとでもいうのか、彼ですら、黙って悪口を浴びた。私がふるう力は神君アウグストゥスが全世界にふるった力より大きいとでもいうのか。彼ですら、自分に罵言を浴びせるものから遠ざかることで満足したのに。」

    ・夜の眠りへ退くとき、己の心に向かって尋ねる。「今日、お前は己のどんな悪を癒したか。どんな過ちに抗ったか。どの点でお前はよりよくなっているのか。」

    ・死の定めを思うこと。「気高い喜びに費やすこと許されている日を、他人の苦痛と呵責へ移して、何が楽しいのか。」

  • 「怒りをコントロールする」にて、「心を困難に苦しませるのではなく、芸術の楽しみにゆだねようではないか。」とある。現代社会において"良い大人"とは、自分が所属する集団社会に貢献する者で、"良い子"とは、学校で良い成績を残す者であることと同義になっているように思える。しかし、そういった価値観を追い求めすぎるせいか、それらに悩む人は自己を苦しませ、また、社会はそこから逸脱しようものなら厳しく当たる。他人を気にしすぎ、また、怒るのではなく、現実を忘れて芸術にふれ寛容になることが今の時代も大切なのではないか。

  • 人間について、医学的なことは少しは進んだのかもしれないが、人間じたいについての考察は、ここから、一歩もすすんでいない。

  • 怒りはダークサイドの第一歩だと言います。セネカは、実はジェダイの思想を私たちに伝えているのかもしれない。そのくらい普遍的な感情コントロール法を伝えています。

  • ストア派の哲学者セネカの「怒り」に関する論考。

    なるほど、これはいわゆるストイックというイメージにふさわしい「怒り」論だな。

    ある意味、過激なまでのストイックさに恐れをなしてしまった。その分、読み物としては、思考を揺さぶる力をもっている。

    この議論のある種の「過激さ」は、本物なのか、あるいはレトリックなのかというのも、ちょっと興味のあるところ。

    セネカは、ローマの皇帝に近い上流社会に生きていて、最終的には肯定のネロに命令されて自死することになるわけだが、ある種の公共的な劇場空間のなかで、自己をどう演出するか、どうストア派的な言説を徹底するかというほうに向かっていたのかもしれないという感じもしなくもない。(解説もややそういうニュアンスで書かれている)

    一見、なるほどと思わせるだけのインパクトをもちつつ、でもどうなんだろうか?と人を思考に誘っていく、そんな哲学の本。

  • -摂理について-
    世界が摂理によって導かれているのに、良き人々に数多の悪が生じるのはなぜか。
    神は善き人にこそ試練を与える。まるで厳父のように。
    古代哲学の運命論ゆえ、なるほどとはならないが、困難な状況を乗り越えることを称揚してくれる。


    -賢者の恒心について-
    ストア派の考える賢者が持ち合わせている大度について扱う。
    不正とは悪をおよぼすこと、すなわち卑劣な心を呼び起こすことと定義される。賢者は徳で満たされているため、悪が入り込む隙がない。従って賢者に不正を与えることは不可能である。
    賢者は徳以外に何も所有していないことを理解している。従って苛烈な目に遭わされても、運命が何かを奪うとは考えない。例として挙げられるスティルポーンのエピソードは強烈。
    賢者は侮辱に関しては気にも留めない。赤ん坊が親の髪を引っ張る程度のことと考えている。

    こうなれたら最強だよなーと思う。
    読んでいる間、ちょっとしたことに心揺れる自分を思い起こし、その愚者っぷりを痛烈に感じる。


    -怒りについて-

    怒りとは、
    ・不正に対して復讐することへの欲望
    ・自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望
    ・害を加えたか、害を加えようと欲した者を害することへの心の激動である。
    怒りについては学派によって扱いが分かれる。
    アリストテレスは戦闘において必要と論じるが、セネカは否定する。いかなる場合でも怒りが有用にはなり得ないと論じる。
    また、怒りは制御するのではなく除去してしまうのが良いとする。一度怒りに居場所を与えたら、増大するチャンスを与えることになる。
    怒りはそれ自身で発するものでなく、こころが賛同してから生じる。つまり情念や反射のようにコントロール外のものではないとする。
    怒りをなくす方法として、罪のない者は一人としていない、と思うことが重要。自分は何も間違っていないという思い込みがを捨てることが必要。
    われわれは他人の悪徳に目をとめるが、己の悪徳を背に負っている。
    そして怒りに対する最良の対処法は遅延である。

    この本を読んでいた期間は、怒らないように自分を気遣えていた。読み終えた今も自分を気遣えるようにしていきたい。怒ってしまっているとき、この本の表紙を目にすれば怒りが抑えられる気がする。それくらい納得させられる内容だった。

  • 怒りについて、ここまで詳細に綴られるとは思わなかった

    怒りの発生、怒りを抱え続ける事の危険さ
    怒りなくすことは出来ないがいかに平穏に暮らすか

    あらゆることを想定し、怒りが起きても猶予を与える
    今まで自分自身が犯した不正も顧みて、他者をすべて許せれば許す

    かぎりある時間のなかでつまらないこと(怒り)に時間を使うより
    常に楽しい事や有意義な事に全力で時間を使うことを意識したい

    つまらないことでイライラする時間は減るだろうし
    もし、怒りそうになってもこの本の内容を思い返して
    怒りの感情に対して心に余裕を持って対応できればと思う

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著者プロフィール

ルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca)。紀元前4年頃(紀元前1年
とも)~紀元65年。古代ローマのストア派の哲学者。父親の大セネカ(マルクス・アンナ
エウス・セネカ)と区別するため、小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる。ローマ帝国の
属州ヒスパニア・バエティカ属州の州都コルドバで生まれ、カリグラ帝時代に財務官とし
て活躍する。一度はコルシカ島に追放されるも、クラウディウス帝時代に復帰を果たし、
のちの皇帝ネロの幼少期の教育係および在位期の政治的補佐を務める。やがて制御を失っ
て自殺を命じられることとなるネロとの関係、また、カリグラ帝の恐怖の治世といった経
験を通じて、数々の悲劇や著作を記した。本書はそのなかでも「死」との向き合い方について説いた8つの作品がもとになっている。

「2020年 『2000年前からローマの哲人は知っていた 死ぬときに後悔しない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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