- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004140818
作品紹介・あらすじ
私たちは毎日さまざまな写真を見て楽しみ、また、そこから多くの情報を受け取っている。写真を見るということは、写真を読むということでもある。わが国最初の本格的な報道写真家であり、アートディレクターでもあった著者が、写真の正しい読みかたは、文字の読みかたと同様、不可欠の知識であるとの主張のもとに執筆したユニークな写真論。
感想・レビュー・書評
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50年以上前に書かれた本で、写真の読み方というよりは写真でどう説明するかといった実践的な本だと思った。
いわゆる写真芸術の分野とは決別しているというか、説明的で実用性に富んだ写真の使い方が多い。どう"見"せるかで、"魅"せるでは決して無い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
写真の読みかたは無限。同じ写真でもそれを見る人の知識や置かれた環境によって異なって読まれる。記号としての文字(例えば馬)は実物と関係ないが、記号としての写真(ある馬に限定した写真)は実物と非常に密接な関係がある。写真は感情的反応を引き起こしやすく、感覚的に理解される。最も感情的反応を起こしやすいのは人物写真(女性、表情)。写真の説明文や組写真は一枚の写真の欠点を補う。写真を美術品のように鑑賞するのは、本の内容を読まずに刷り上がったページをただ眺めているようなもの。
写真の読みかた
名取洋之助
岩波新書
写真を見る人のための、写真の見かたの本。これまで写真の撮り方や仕組みを説明する本はあったが、写真の見かた(読みかた)を論じた本はなかった。
1.写真は正確か?
新聞に写真が使われる理由は正確性、客観性の証明のため。このような客観的な写真は絵画や映画と異なりナマモノで、魚のようにすぐ古くなる。週刊誌の写真は裏通りの興味、イメージ、写真を図解として利用するものなど。
2.写真の嘘と真実
写真は客観的で正確であるが、巧みな編集によって真逆の内容となったり嘘をつくこともある。
3.記号としての写真
写真の読みかたは無限にある。同じ一枚の写真がそれを見る人の知識や置かれた環境によってそれぞれ異なって読まれる。これは写真をコミュニケーションの手段として使おうとする時に混乱を引き起こす。記号としての文字(例えば馬)は実物と関係ないが、記号としての写真(ある馬に限定した写真)は実物と非常に密接な関係がある。写真は感情的反応を引き起こしやすい。感覚的に理解される。過去の経験によって異なる。最も感情的反応を起こしやすいのは人物写真(特に女性、顔の表情)。写真につける説明文や組写真は欠点を補う。
映画「モダン・タイムズ」でチャップリンは羊の群れと地下鉄から出てくる群衆を対比させた。小説「USA」でドス・パソスは政治家の演説、新聞記事の一部、チラシ広告のコピー、流行歌の一節から、その時代特有の雰囲気を表現した。組写真は話の順序、時間的、距離的な推移を表現するもの。
写真を美術品のように鑑賞するのは、本の内容を読まずに刷り上がったページをただ眺めているようなもの。
4.これからの写真
絵画的効果を狙ったサロン写真「光とその階調」(福原信三)や機能美を追求した新興写真は自分と少数の仲間で楽しむだけの写真であり、最大の機能であるコミュニケーションの手段を忘れたもの。写真のテーマは他人と同じで構わない。その素材をどう見てどう感じたかが表現され、その感動が見る人に伝わるものであれば良い。
一枚の写真は記号として抽象化されておらず、具体的であり、見る人に感情的反応を引き起こしやすく、感動を与えることができる。しかし一枚の写真による感動には永続性がない。写真はあまりにも現実に忠実な記録であるため、すぐ古くなり過去の記録となる。この点が絵画や彫刻と違うところ。一枚の写真は「今日」の一枚。今日の現実は明日には過去の記録となる。そのような今日だけのための写真に価値はあるはずだが、それだけのために何千枚もの写真を撮り、多くの努力を費やすのはあまりにも空しく惜しい。写真は「組写真」とすることで一枚の写真としての弱点を克服し、小説や映画のように物語りを作り上げることができる。
●組写真の基礎的技術
写真は誰もが同じに読み取り同じ反応を示す訳ではない。キャプション(説明文)のつけかたで写真は変わる。組写真にすることで強調、省略と言った編集により印象を変えることもできる。 -
名取氏による雑誌への寄稿・草稿3編と,その他メモをまとめたもの.写真それ自体を記号として捉え,そこに写っているものをどのように読み解いていくべきか,ということについて説いている.
同じ一枚の写真でも,合わせて見せる写真や,見せる順番を変えると,全く違う意味に取れるというのは,「実は同じ灰色なんだけど…」というあの騙し絵を彷彿とさせるものがある.雑誌の見開きのような内容でも,同じ写真を使っているのに,キャプションやレイアウトを変えただけで正反対の内容を主張することが出来る.
写真が氾濫している今日に生きる上で,撮影者・編集者が何を言いたいのかを読み解くことも大切なのだが,文脈とは独立した視点で「何が写っているのか」を正しく把握することもまた重要であると感じた. -
キャプションが読みかたをきめる
並べられる写真で違う意味を生む
レイアウトが話をつくる -
1962年11月、名取洋之助は52歳の若さで胃ガンの為亡くなった。
木村伊兵衛、犬伏英之のあとがきから、生前彼が「メモ」を書いては撮影旅行に出掛け、帰ってきては書き、また出掛け、といった中で残された原稿400枚とその他雑誌等に掲載された文章を集め、一冊にまとめたのがこの本であることがわかった。
冒頭<たくさんの写真が私たちの周囲で使われ、私たちが毎日、写真を読むことを強いられていながら、これまで、写真の読みかた、見かたの立場から、写真を論じた本がなかったというのは、おかしな話です>とある。
あとがきにも<これだけ写真のことを論じた文章はほかにない。一九五八年に名取さんは「写真を見る人の立場から写真を論じた本がないから、あえて筆をとった」と書いているが、その事情は、それから五年を経た今でも変りがない>
名取洋之助は頭で考え、同時に直感も大事にし、常に動き回りあれもこれもやってみる、という人だったように感じた。
写真は純粋美術ではなく、実用美術であるという考え方から、第一期日本工房で共に居た木村伊兵衛などと考えが割れ、別々の道を行くようになったようだが、彼の報道写真家としての生き様は、後世に色濃く影を落とした堂々たるものだったと思う。
なにはともあれ、写真論たるものにきちんと手をつけたのは今回が初めてだったのだが、この本からスタートできて好かった。
読み物としても、小難しいことはなく、楽しんですすめられた。 -
2013/6/17読了。
名取洋之助が遺した原稿を木村伊兵衛らが集めて編んだ遺稿集のようなもの。先日読了したアサヒカメラ講座のスナップの巻に書かれていた「写真は文字のかわりになる」写真論がより深く分かりやすく書かれていた。
写真を利用して情報を広く伝えるとともに、そこに何らかの主義や主張を乗せるというのは今のメディアでは当たり前のことだが、その仕事を切り開いた人が、写真を見る人に向けて、見せる側がどのような技巧を用いているのかを実例付きで分かりやすく説いている本書は、間違いなく名著だと思う。
写真をPhotoshopで加工することなど思いもよらなかった時代に、そんなことなどせず単に並べ方とキャプションを工夫するだけで、真逆の内容を表現して見せる実例、群衆が共産警察官を虐殺した写真を載せながら逆にソ連の圧政を印象付けることに成功している『LIFE』誌の実例など、正しく用いるか悪用するかは別にして、その技巧の持つ力がとても強いものであるということがよく分かる。 -
(1972.09.14読了)(1972.09.03購入)
内容紹介
私たちは毎日さまざまな写真を見て楽しみ、また、そこから多くの情報を受け取っている。写真を見るということは、写真を読むということでもある。わが国最初の本格的な報道写真家であり、アートディレクターでもあった著者が、写真の正しい読みかたは、文字の読みかたと同様、不可欠の知識であるとの主張のもとに執筆したユニークな写真論。 -
[ 内容 ]
私たちは毎日さまざまな写真を見て楽しみ、また、そこから多くの情報を受け取っている。
写真を見るということは、写真を読むということでもある。
わが国最初の本格的な報道写真家であり、アートディレクターでもあった著者が、写真の正しい読みかたは、文字の読みかたと同様、不可欠の知識であるとの主張のもとに執筆したユニークな写真論。
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