原発はなぜ危険か: 元設計技師の証言 (岩波新書 新赤版 102)
- 岩波書店 (1990年1月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004301028
作品紹介・あらすじ
チェルノブイリの事故が世界に大きな衝撃を与えたにもかかわらず、日本の原発政策には何の変化も見られない。日本の原発ははたして安全なのだろうか。原発の心臓部である圧力容器の設計に携わった著者が、自ら体験した製造中の重大事故を紹介し、現在運転中の原発の問題点をえぐり出すとともに、脱原発のための条件を探る。
感想・レビュー・書評
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▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB20137164
(推薦者:人間発達文化学類 昼田 源四郎先生)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東日本大震災
原子力発電 -
福島第一原発四号機についての証言。読めば読むほど原子炉が安全とは思えない。
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今、多くの書店で災害や原発の関連書籍コーナーができている。しかし3.11以降に出版されたものは内容が薄い印象があるため、もっと前に書かれたものを探して買ってみたのがこれ。
発行は1990年なので21年前。福島第一原発ができてからの年数としてはちょうど現在の半分程度だった頃の本だ。しかしそこには、まるで今起きていることを予言していたような指摘が少なくない。薄いながら密度が高いため全文を引用したくなってくるが、指摘されている中で印象に残った「原発の問題点」は主に二つ。
ひとつは、数値シミュレーションを拠り所に安全係数をギリギリまで下げているが、そのシミュレーションが不完全であること。コンピュータがまだ今のように高速で安価でなかった昔は、数値計算も全体については実施できず、職人の勘と経験でポイントを絞っていたという。
もうひとつは、新しい研究により従来の安全基準に問題があるとして基準改定が何度も行われているのに、古い基準で作られた原発はそのまま運用され続けていること。現在の技術水準がいくら上がっていると言っても、40年前に作られた原発は40年前の基準と技術で作られている。
そして、「パニックを防ぐために事故情報を隠蔽するという政府の姿勢」も、「検査によって問題がみつかると基準を緩和していたこと」も、「海岸にある原発は海洋汚染の危険があること」も、本書ですでに指摘されている。福島第一原子力発電所は、20年前に指摘されていたこれらの問題点が何も改善されないまま3.11を迎えたのだ。
本書の締めくくりで著者は思想を語っている。それは、電力が不足するからといって発電設備をどんどん増強していくのではなく、エネルギー大量消費型のライススタイルを見直すことが大切だという主張だ。一度豊かな生活を味わった人がそれを捨てるのはとても難しいことだが、私たちは現在、否応なくそうせざえるを得なくなりつつあるのかもしれない。 -
原発について、全然知らんなと思って手に取った。原発の製造やその安全性の大部分が、一製造メーカーに委ねられているとわかって驚いた。もっと国や専門家が管理、チェックしているものかと。著者である田中さんも述べているけれども、わたしたちが最終的に頼るしかないのは、国。というか、国の決定には従わざるを得ない(自分たちで選んだ政権だしね…)。その「国」には、製造メーカーにたちうちできる、原発について精通している人(現場を知っていたり、その安全性を確かに審査できる人)が少ないんですと。あかんやん。
かといって、わたし自身は、エネルギーに依存した今の生活を見直すことができるのか。のほほんと生活している現状に、問題提起してくれた本だった。 -
1990年に執筆された本をもっと多くの人々が読むべきであった。原発は以前から壊れて修理を何回もされており、大震災が起こったので壊れたのではない、ということがよくわかる本である。大きく壊れて被害が大きくなるまで電力会社も政府の何も言わないということである。
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国会事故調査委員でもある田中光彦さんの1990年の著作。技術論から原発の危険性を問うているが、印象に残ったのは最終章で「最大の問題は、環境との関係を積極的に断ったこうした閉鎖的な人口空間をわれわれが快適と感じていることだろう。」と述べている部分だ。脱原発とは我々文明に依存した現代人の生き方の転換を迫るものだという気持ちを強く持った。