デモクラシーの帝国: アメリカ・戦争・現代世界 (岩波新書 新赤版 802)
- 岩波書店 (2002年9月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004308027
感想・レビュー・書評
-
本書は9.11以降顕著になったアメリカの単独行動主義を、国内外の要因から考察した良書である。
2002年初版。当時はアフガンでの軍事作戦が一段落し、大量破壊兵器保有の疑いがイラクに向けられていた時期であった。
導入部と中盤に映画の引用が数多くなされており、アメリカの価値観を身近に感じながら同国の対外政策を検証していくことができる。大の映画好きらしい藤原先生の一面がちらりと覗く。
是非とも次回の新刊では、イラク戦争とリーマンショック以降のアメリカを『アバター』や『ダークナイト』を用いて分析していただきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「帝国」とは自分達のスタンダードを他国にも押しつけ、自分達のスタンダードを基準に行動することであるとする著者の意見は卓見です。
-
ネグリ、ハートをはじめとする、「帝国」という言葉が意味する内容をわかりやすくしたうえで、アメリカという国家を「帝国」として批判的に考察していく本。
-
アメリカ映画からアメリカ人の戦争観を述べるなど、多角的視点でアメリカという国が如何に帝国となっていくかが書かれている。
面白かった。 -
大学1年生の時、
僕が国際政治という分野に興味をもつきっかけになった書。
9・11後のアメリカを「帝国」というキーワードに基づいて読み解いている。
偏りがなく、冷静な視点でアメリカを見た良書です。
-
9.11以降、アメリカの世界戦略の一大転換。
ほかのどの国にも制約されない強制力と、普遍的理念を組み合わせたデモクラシーの帝国ともいうべき秩序ができあがる−−
戦後の日本統治型デモクラシーが各国にも通用するという誤謬。
イラク政策に日本の戦後民主化路線を当てはめるのだとさ、器の形も違うところにいやはや乱暴じゃないかと、みなひそひそしている訳で、領土を持たないが唯一の超大国のご託宣には迷惑しながらもついて行かざるを得ない。
外交政策も、経済・金融政策も、アメリカ・デモクラシーの倫理で進められるのだから、もうウンザリ。しかしこれと言って枠組みを新たには出来なさそうだから、もう黙っているしかないか。 -
アメリカ合衆国という民主主義の国がなぜ帝国として定義されうるのかを、述べたもの。
それは、国内と国外の区分のあいまいさにある。
アメリカの多様性は、アメリカが世界の縮図であるかのような錯覚を起こさせ、アメリカの論理、民主主義、自由、人権を普遍的なものとして全世界に敷衍する。
それらの論理は普遍的であるがゆえに、内政干渉という規制の枠をこえて、及ぼされることになる。
まさに、アメリカこそが世界であるという考え。
中華思想を引き合いに出すまでもなく、「自国」と世界のあくなき一体感はまさに帝国というにふさわしい。
その意味で、日本国民であるはずの私自身、世界中の人々が、潜在的にアメリカ国民であるのだ。
もしくは、帝国民かもしれないが。
という内容はおもしろかったのだが、普遍主義と帝国の関連を説明したあとは、かなり薄い内容だった気がする。
インディジョーンズとか映画の分析より、もっと実例をだしていろんなことを説明してくれ、なんでこうなったのかを教えてくれと不完全燃焼な感じだった。
まだまだアメリカに関してはよく理解できない。 -
アメリカが嫌いになる本。
元々余り好きではなかったが、どうしてアメリカが単独行動主義に陥るのかが歴史やアメリカの文化、及びハリウッド映画を例に分かりやすく書かれている。
読みやすいのですぐ読み終る。 -
京都議定書の拒否あたりからアメリカ、特にブッシュ政権の単独主義行動が目立ってきた。そして国連決議のないままにイラク戦争が開戦し、人々はアメリカを「帝国」としてなぞらえ、批判をし続けてきた。もちろん私もその中の一人であった。しかしながら、この本を読んで、そのような一方的なアメリカ批判に対して疑問を持ち始めた。それは本書のなかでも紹介されていたように、ヨーロッパでは冷戦時では旧ソ連とドイツの封じ込めにアメリカを使ったし、冷戦後は軍事的場面ではアメリカ抜きでは無力だということが明らかになった。また、アジアにおいても地域のバランサーとしてアメリカに頼ってきたのである。そこには批判者になった私たちも、アメリカという軍事大国の下に入ることによって安全を享受してきた事実があることを忘れてはならない。つまり、アメリカを今のように単独主義的で帝国化させたことに、そのアメリカに享受を求めてきた私たちにも責任があったのではないかと思う。それゆえに、アメリカを国際社会に戻す作業においても私たちアジアやヨーロッパの人々が参与しなければならないと思う。
それでは、この帝国化し、独走しはじめたアメリカに対して、私たちはどのように対応したらよいのだろうか。この点について、私は本書にあるように、アメリカを排除(あるいは敵視)した国際関係よりも、アメリカを含めた国際関係のほうが重要であると考える。そのためにも国連機構の再編成とその機能の強化という考えに賛成する。なぜならば、多国による相互監視・牽制システムはまだ完全に崩壊したわけではなく、国連も弱力ではありながらも安全保障以外の分野において成果を挙げているからだ。また、現存する国際機構で国連ほど多くの国が加入し、多分野にわたって従事している機構も他には見ないという点からも、新たな国際システムを樹立するよりは従来あるものの再編成や機能強化を進めたほうが効率的だと思う。
この点を踏まえて、アメリカを国際社会に取り戻す作業において私なりに考えた答えが次のようである。アメリカの軍事的・経済的強大さを認め、時としてその強大さを利用する必要もあるが、国際刑事裁判所の設立のように(軍事的な面やアメリカ一国に対する制裁とは限らないが)単独でしかも一方的な行動を制裁できるような機構が必要だと考える(もっとも、これについてアメリカは特別扱いを要求している現実もある)。また、アメリカが単独主義に走った場合、残りの国々は一致団結してアメリカに対抗する必要もあると思う。これはアメリカを敵視することではなく、アメリカ以外の諸国によるアメリカの牽制であると考える。この場合はアメリカ以外の国々はできるだけ分裂状態にないことが好ましい。しかしながら、現実の国益を考慮した外交においては、かならずしも各国の意見が一致することはないだろう。だが、このような外交自体、アメリカから被る恩恵を期待していることになり、そのような外交をとるのであればいっそうアメリカの帝国化に対して責任を取らなければならないだろう。