- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004312901
感想・レビュー・書評
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大学人として共感もし、考えさせられもするグッと来た本。
マックスウェーバーが、自己の魂の救済と重ねて群がる若者に対して、官制として制度化された大学の学問はそういうものではない、と冷や水を浴びせたこと。
「食えない」不安を突破するために、生活次元を超えた公共的で壮大な使命感で自己を充電する必要があった。
狭い領域で論文を書き続ける"論文作家"だけを研究者・科学者というのではなく、科学に絡む人間が互いに同じ公共的役割を意識した「科学技術エンタープライズ(事業体)」をつくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
実はこの本もタイトル買いしたのだった。ウェーバー風の科学技術本なのだろうと、さっと買い物カゴの中に入れた。ウェーバーの「○○としての~」シリーズより当然読みやすく、一気に読了した。著者はウェーバーと本書の関係をはじめにと3章でふれている。
これは、やわらかい「科学史の教科書」と性格を持っている。類書ですぐに思い浮かんだのは、乾侑 『科学技術政策―その体系化への試み』東海大学出版会や、廣重徹『科学の社会史(上・下)』岩波書店の2冊だ。ただ何れも少し前にかかれたものとなっている。この「職業としての科学」は、今日の科学トピックと歴史的エピソードを関連付けさせながら、わかりやすく、科学技術やそれを生み出した科学者について述べている。結果として、「やわらか科学史」になったのではないか。そう感じる理由は、著者がメタ理論的な科学論は成功していないことが多いので、歴史に執着して論を展開しているからだろう。
著者は、巨大な社会システムとなった科学技術は、専門家の気風と社会の期待により乖離が生じている、またまだまだ可遡的、と述べている点は、読者に思考の余地を与えてくれている。転換期の科学技術政策を考える機会を与えてくれる良書だ。