- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006023034
作品紹介・あらすじ
アフリカから連れてこられた黒人女性たちは、いかにして狂気に満ちたアメリカ社会を生き延びてきたのか。公民権運動が一段落した1980年代に、日本からアメリカに移り住んだ著者が、多くの普通の女性たちと語り合った中から紡ぎだした、女たちの歴史的体験、記憶、そして生きるための力。(解説=池澤夏樹)
感想・レビュー・書評
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「塩を食う者たち」とは、塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて傷を癒す者たちでもある。
塩を食らう者たちは、生きのびること、再生することを願う者たちである。
生きのびるとは、人間らしさを、人間としての尊厳を手放さずに生き続けることを意味している。
知らない国で、起こっていたさまざまな出来事。
挫折を繰り返しながらも生きてきた人のことばを知ることができた。
その中でも、お金なんかなかったけど、道徳の基準は、高かった。いまは、物質は多く手に入るようになったけれど、お互いにいがみ合っているような感じで。物、物、といっているうちに失われてしまう何かがあって、
ということば、それは今はどうだろうか?
道徳の基準は?
いつの時代でもどこの国でも考えていかなけばならないのでは…と感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1970年代、著者は知人からの紹介を辿るようにして、何十人もの黒人女性たちから話を聞くプロジェクトをはじめる。話をしてもらうのは、普段インタビューなど受けることがない一般の女性たちがほとんど。ソーシャルワーカー、産婆、葬儀社の経営者、作家、司書などさまざまな職業、さまざまな世代の女たちが語る〈アメリカで黒人女性として生きること〉に耳を傾けた貴重な記録。
タイトルに使われている「塩を食う」とは苦難のメタファーであると同時に、「塩を食べて傷を癒す」=解毒という真逆の意味もあると、本文中で明かされる。藤本さんが訪ねていく女たちは白人のルールや男のルールに抗って傷付きながらも、まさにその抵抗によって自分はアイデンティティを手放さずに生きていけるのだと語る人びとだ。
本書の中心をなすのは作家のトニ・ケイド・バンバーラとの対話。The Salt Eatersという彼女の小説が本書タイトルの由来になった。マイノリティは自分たちを語るための言葉をまず探さなければいけない、というトニの問題意識は藤本さんの次作『ブルースだってただの歌』でも触れられていたことを思いだしつつ、アジアン・コミュニティは白人か黒人のスタイルを借用して済ませていると指摘されているのが興味深かった。それはインタビュアーの藤本さん、そして本書の読者にも跳ね返ってくる言葉として残る。
だが、トニの家の話に移っていく後半はもっと面白い。子ども時代にボーッと白昼夢を見ていてもそのまま放っておいてくれた母の思い出や、執筆に没頭していると代わりに電話にでて「かあさんはいますごく忙しい。窓の外をじっと眺めているけれど、仕事中だから」と答える娘の話など。母娘三代に渡る絆と、創作への深い理解を感じる印象深いエピソード。娘さんは独特な言葉遣いでトニと父親を驚かせてもおり、"独自の言語"に近づいた世代だったのではないかと思う。
藤本さんは抑圧と偏見についてだけ聞きだそうとしたのではなく、彼女たちが受け継ぐ精神性の豊かさについての逸話を引きだそうとする。それこそが自尊心の復権に重要だからである。「接続点」のユーニスは、「日本の女性が黒人の女たちについて知るのは、役にたつかもしれないわね。彼女たちにも同様の心理的圧力あるのかもしれないもの」と話す。彼女たちの言葉は日本の女が自分自身について考える役に立つだけではなくて、日本でマイノリティをどう扱われているかを直視するためにも重要だと思う。ただ励まされるだけではなく、ある面では自分もまた無自覚な強者として振舞ってしまうことを考える。
黒人女性への最初の聞き書き本である本書では、手に職を持っている女性たちの言葉が取り上げられた。続く『ブルースだってただの歌』では、罪を犯して服役中の女性たちの元へ藤本さんは赴く。彼女たちは本書で葬儀の様子だけが語られる20歳のイヴォンヌに似ている。イヴォンヌは倍以上歳上の妻子持ちの男と不倫し、撃たれて死んだ。「高潔」なだけではない彼女たちの現実から、藤本さんは目を逸らさなかった。 -
1980年代に黒人女性に話を聞いた記録。「塩を食う者たちとは、塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちであると同時に、塩を食べて傷を癒やす者たちでもある。」彼女たちは貧困や差別との闘いなど厳しい人生を経験しながらも周りに手を差し伸べる。
ブローティガンらの翻訳者でもある藤本氏だけあって、女性たちのヴォイスがダイレクトに伝わってくる文章がいい。 -
82年作の文庫化。
70年代アメリカの黒人女性たちへの聞き書き。
人種と性別で社会的下位に置かれた彼女たちのことばには呪いよりも威厳に満ちた気高さがあった。だから生き延びることができたのか生き延びるとそうなるのか。
塩は辛苦と薬の相反するふたつのメタファー。負ける(負けさせられる)からわかることや身につく力。時代や国や性別を超えて刺さりまくり。 -
黒人であり、女であることで、最も苦難を強いられた人々の言葉。何があろうと日々の暮らしをまっとうする姿に、あぁ、力強さとはこういうことなのだと打ちのめされる。圧倒的なパワー。
131…共同体のために語ること
でもね、女か男かということにかかわらず、実は「媒介」というのは伝統でもある。ビリー・ホリデーは彼女のストーリーの主人公について語ったものだった。彼女は女主人公をつくりだして、ある客観的な態度で語ったものだった。「わたしが…」と歌うかわりに、「彼女が…」とうたって。そして男のブルースシンガーも、やはりその伝統でうたってきた。わたしは創造者ではない。わたしは代弁者なのだ。共同体が問題なのであって…「芸術家」個人が重要だという、ナルシスティックな観点とは異なるもの…。
133…女たちはと言えば、文学に現れるのは、娼婦か母親のどちらかに決まっていたけど、現実にはもっと様々なタイプの女たちがいた。初潮を見たら、母さんの所へなんか行かない、おばあちゃんの所へ行く。ちょっとした秘密を抱えてしまったら、美容師の所へ行った。美容院へ行って座ってる。そして女たちの会話を盗みに行く。もちろん女たちがあれこれ喋っているのは、あなたがそこにいるから、あなたを教育しようっていうことよ。男たちのことを話してる、どのような基準の男たちを判断したらよいのとかね…。わたしはそういうことを書きたい。誰も書かないから。
136…社会科学者は文化のあらゆる側面は苦闘によって方向づけられているというわけね。それはそれでいい。けれども、そこから一歩進めて「黒人のアメリカにおける文化のあらゆる側面は抑圧に対する闘いを表している」というわけね。それもそれでいいのだけれど、どうもこの辺りから怪しくなってくる。つまり、そこまで進めてきて、こんどは抑圧が唯一の現実である、と結論してしまうわけだから。抑圧は現実の一部でしかないのに。あるところでは「抑圧は現実の一部でしかない」なんて発言しようものなら、異端として、偏向として非難される。「なんだと!抑圧が究極的現実ではないと?」と怒鳴られる。
141…母は子どもたちを勇気のある者に育てようとしたのね。わたしたちは貧しくはなかった。わたしは子どもの頃、「あたしたちは貧乏だね」と母にいったものだけれど、母はいつも「わたしたちは貧乏人ではないのよ。ただ文無しだっていうだけよ」といったもの。つまり、わたしたちの抱負は大きく、けだかいのだと。画廊や美術館や酒落たレストランへ連れて行ってくれたのは、わたしたちがおじけたりすることがないようにというためだった。わたしたち兄妹はずいぶん小さい頃に、フランス料理のメニューも読めるようになって。家具調度もなく、お金もなかったけれど、そんなものはうんとあるという態度で振舞っていた。ずいぶん引っ越しもして。母はなぜそれほど頻繁に引っ越したのか、いまとなっては、その動機が思い出せないというのだけれど、わたしとしては、たびたび引っ越しをすることによって、いろいろな価値基準がじつに恣意的なものであることを学ぶ結果になった。ある所では、わたしたちは貧乏だと考えられ、ある所では金持ちだといわれ、ある所では利発な子どもだといわれ、ある所では愚鈍だといわれ、間がひどく黒いといわれるかと思えば、ずいぶん満い時の色をしているとかいわれてね。やがてわたしは判断の基準は自分の内面のそれでなければならないと考えるようになった。
155…わたしはわたしの娘を、夫というものを持たず育ててきた。周囲の人たちが手を飲してくれた。以前は、それはそうしたいという希望でそうなったのではなくて、しかたなくそうなっていた。非公式の保育園よね。近所にはいつも必ず「なんとかかあさん」と呼ばれる女性がいて、面倒を見てもらう必要のある子どもを引き取り世話をしたものだった。「一体誰の子かね、この子は?」なんて彼女はけっしてたずねない。
子どもは子どもなのだから。子どもは世話をしてもらわなければ生きていけないのだから。あなたの子であろうと、わたしの子であろうと。子どもは面倒を見てもらわなければ生きていけないのだから。もしあなたのことを彼女が嫌っているとしたら、あなたとは口をきかないかもしれないけれど、子どもがやってきたら、その子には食事をさせる。
209…彼と一緒にいたいという女がいたのに、わたしは彼とは一緒にいたくないというのに、彼はその私のほうがよかったのどうかは知らないのだけれど、少なくとも気が楽だったということだったのね。彼はどうしても出て行かなかった
214…
「黒人の女は強い、という通説はどう思う」
「家長たる母とかね…。女だって人間にすぎないのに。強き女であれ、そして男を支えろ、云々云々というのが、わたしがチャールスのことを耐えようとしたことの背後にあったと思う。自分の人生なんかなくなって、呼吸する場もなくなる」
「自分は強くなければいけないのだ、と女たちに思い込ませるのは何だと思う」
「パターンがあるように思うの。黒人なら誰でも、自分の人生のどこかで一度は強い女に触れた体験と記憶があるわけね。あらゆる手をつくして、自分を売ってでも、死にもの狂いで子どもに食べさせて。女たちは必ずやそのようにしてやりぬくということを男たちは知っていたから、彼らはそのことで自分たちは無力だと感じたのかもしれない。女がやってくれる。自分はしなくたっていい…。都市の女たちはどうなのかしらね、シカゴとかニューヨークとか…わたしが育ったのは、とても辺鄙な土地だったから… -
“苦海浄土”のアメリカの黒人女性版
しかし、苦海浄土より響かない
それは僕がアメリカの黒人女性の境遇より水俣病の方をより強く人間性への冒涜と感じているからなのか
同じ国で起こっているからこその共感なのか
歴史を共有しているからこその共感なのか
はまたま、自分のうちにある隠れた差別意識/傍観者意識たるゆえなのか
その理由こそ、深く振り返るべきに感じた
この本で語られるわずかな人たちの個人史は、黒人の歴史以上のなにかを、生きることの意味を、私たちの失くしてきたものを、語っている -
316-F
文庫(文学以外) -
塩を食うとは、塩を食いながら苦労することと、病になったら塩で治すという意味をこめたものであるという。
黒人女性の聞き書きをまとめた。アジア人、特に日本人がアメリカでどのように生活していたか、についても書いてほしい。 -
アフリカからの離散、奴隷、虐待、蔑視、貧困という「この狂気」をいかに生き延びたのかとの問いを基に、北米に生きる黒人女性たちを訪ね歩き、聞き書きした名文。
著者も、登場する女性たちからも並々ならぬ機動力が感じ取れる。
聞き手として、どのような心構えが必要なのかということも改めて考えさせられた。 -
生きのびることの意味―はじめに
接続点
八百六十九のいのちのはじまり
死のかたわらに
塩食い共同体
ヴァージア
草の根から
著者:藤本和子(1939-、東京、翻訳家)
解説:池澤夏樹(1945-、帯広市、小説家)